伊33潜が引き揚げられたのは昭和28年6~7月だった。曳航(えいこう)されてきたのが興居島の御手洗海岸。前部の魚雷発射管室は浸水していなかった。そこでは9年の歳月を経ているというのに、肉付きもよく若々しい姿をそのままに亡くなっている海兵13人が見つかった。深い海の低水温で冷蔵庫に入ったような状態で保存されていたのだった。

その時のようすは吉村氏の「総員起シ」に生々しく描かれている。艦内からは油紙に包まれゴムテープでぐるぐる巻きにされた遺書の束も見つかった。母や妹ら肉親に向けた切々とした文字が読み取れたほか、皇居を遥拝(ようはい)し、君が代を歌い、万歳を三唱したと艦内の最期を伝えた人もいた。

遺体は外気に触れると、たちまち腐敗が進んだという。興居島の御手洗海岸で長い時間をかけて荼毘に付された。