なお日本人

1991年12月、「オウム海中都市構想」を企てた麻原が村井秀夫に命じて建造させた特殊潜航艇の操縦士役となった。
乗せられた潜航艇は彼曰く「ドラム缶二本を連結し、側面に穴を空け、その部分にコックピットのような形で洗面器を接着剤で取り付けたもの」という、お粗末な代物であった。
静岡県の沼津港で進水式と試運転を行った際に進水直後に沈没し、信者らも立ち去ってしまったため潜航艇内部に取り残され、結局地元のダイバーに救出された。
後の現場写真と端本の証言で明らかとなったが、教団側は最初はクレーンで水面ぎりぎりまで吊るした状態を写真撮影するだけの予定だったが、途中クレーン車がバランスを崩して横転し、そのまま海へ落ちた為、潜航艇も巻き添えを喰らい沈没したということだった。
端本は裁判にてその事について「潜水艦が沈み内部に取り残されていたときは、走馬灯のように今までの人生が思い出された。オウムにめぐり合っていなければ…。」と後悔の念を供述している