>1994年の世界選手権で高校生としては史上初の代表入りを果たす。
>左腕から150km/h近いストレートを武器に強豪キューバ戦にて1点リードされている6回の場面から登板しキューバの主軸のアントニオ・パチェコとオマール・リナレスに対して立て続けに三球三振を奪う等、超高校級の逸材といわれ、ドラフトでは8球団以上の競合は確実とまで言われた。

>アマチュア凍結選手となり高校からはプロへ進まず、日本石油に入社。社会人では故障の影響でフォームを崩すなど伸び悩み、川村丈夫の影に隠れる格好となった。

>1996年のアトランタオリンピックに出場。アマチュア凍結選手の特例[1]として同年のドラフト会議にて巨人から2位指名(逆指名)を受けて入団。

アマチュア凍結選手って制度が無ければ人生変わってたかもなあ