当代記に信康事件に関する次のような一文があるのだ。

「8月5日、岡崎三郎信康が牢人となった。
彼は信長の婿であったが、父・家康の命令に常に背き、
信長をも軽んじたからだ。また、家臣にも情けがない、
非道な振る舞いをした。これらのことを、
先月、酒井忠次を派遣して、家康は信長に、信康の振る舞いや、
それにどのように対処するかを伝達している。
信長は、そのように父や家臣に見限られるのは仕方がない、
家康が思うように処断せよと返答する。