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《哀悼》編曲家・服部克久さんが70年前にジャニーさんと交わしていた「約束」

「1931年にアメリカの日系2世として生まれたジャニーさんは、第2次世界大戦後にロサンゼルスに住んでいました。ちょうどそのころ、父の良一さんが笠置シヅ子さんとアメリカツアーを行ったのですが、その際に英語の通訳を兼ねて現地でお世話をしてくれたのが、若き日のジャニーさんと、姉のメリー喜多川さんだったんです。

 公演が終わった後も家族ぐるみの交流が続き、ジャニーさんとメリーさんは日本に帰国。しばらくは服部家に居候していたといいます。“朝起きると、なぜか2人がいるんだよね”と冗談まじりにボヤいていましたのを思い出します」(同・服部さんの知人)

 偶然に出会った2人だが、エンターテイメントを愛するという点では同じだった。

「青春時代を戦争で過ごしたジャニーさんは、ミュージカル映画『ウエスト・サイド物語』を見てエンターテイメントの世界に関心を抱き『ジャニーズ事務所』を設立しました。彼が手がけた日本初の男性アイドルグループ『ジャニーズ』のデビュー曲『若い涙』の編曲は服部さんが務めています。旧知の仲もあって信頼していたんでしょうね」(前出・音楽ライター)