名立機雷爆発事件(1949年)

巡査より縄を持ってくるように頼まれた女性は、海岸のすぐ目の前、20メートル先にある自宅に戻った。振り返ると巡査は、機雷の方向をじっと見ていたが、少しして上着を脱ぎ、左そして右のズボンの裾をまくった。女性は裏口から家に入ると、目の前の肥だめの口が開いていることに気付き、1枚目の敷板を置き、もう1枚に手をかけようとしたところで、ドカンと大きな音とともに裏のひさしが落ちて、その下敷きになった。

ようやく這い出して家の中を見るとあらゆる壁が吹き抜け、その先の表通りでは近所の女性が手でおぶっていた子供が向こうへ転げ落ちていた。反対の海のほうを見ると裏の風よけの板も一切なくなっていて、黒山のようにいるはずの子供たちは何処へ行ったのか、ただ海が広々と見えているだけであった。少し石垣のほうへ出てみると、そこには多くの子供たちが血まみれになって倒れ、手や足が飛び散っていた。もうみんな死んでしまったと思ったが、2人の子供がやんわり起きだして「たすけてーたすけてー」と叫び始めた。女性は、見物していた2人の息子たちが気になり捜し始めたが、自分の子かどうかは、もはや着物で見分けるしかなかった。探し回ると近くで男の子が「助けてー」と呼んだのでそちらを見るが、一目で助からないと分かり「おやー」と言葉にならない声を発してただ見守るだけであった。しばらくして11歳の息子を見つけた。近づいて抱きかかえてみたが、頭部の半分が失われていた。あまりもの出来事に涙を流すことも出来ぬまま、もう一人の子を探した。石垣の下に降りると、その14歳の子は立ったまま石垣に磔になっていた。無傷で目は半分開いたまま、まだ温かかったので、女性は長い間、体をさすり続けたが、やはり生き返ることはなかった。