野澤評価路線や

> 当時山一は総会屋利益供与問題と無関係であり、尚且つ簿外債務について知らない者から社長を選ぶ方針であったと言い、そうしたことから野澤が社長に選任された。野澤は社長に就任してから初めて、山一證券が2,600億円という巨額の簿外債務を抱えていることを知った。

> 莫大な簿外債務の存在を知らされた野澤らは、週明け月曜日(簿外債務の存在を知らされたのは8月16日の土曜日)ただちにプロジェクトチームを発足させた。メリルリンチとの提携や、規模縮小などで会社の存続を図ったが、この問題はそもそも野澤が知らされた時点で、もはや手に負える様なものではない致命傷であった。

> 山一の破綻によって、従業員全員が解雇され、顧客や融資先などにも多大な損害を及ぼした。にもかかわらず、歴代社長職を務めた東京大学や一橋大学といった学閥出身でない野澤の男泣きは、野澤に対してだけでなく山一の一般社員に対する世間の同情を大いに集める結果となり、全社員が応じても余りあるほどの求人を受けたという[5]。簿外債務事件に関与していなかったため、刑事訴追されなかった野澤自身も、自主廃業の業務に追われる傍ら、自ら社員の履歴書を持って求職活動を行った[5]。