らんまん【NHK】
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全国のお茶の間でテレビのチャンネル変えたご家庭が沢山ありそうw ただの素人に論文書かせて査読もしない大学もガイガイでは? 買い物してきて1人で生活してるなら上等やろ
ガチの引きこもりから鼻で笑われそう >>415
「わたし何か間違ってる?😕」の精神を大切にしたい 史実の牧野
・好みではなかったいとこのなおと結婚しておかみとして切り盛りさせるも研究に送金させすぎて倒産しかける
・なおと番頭の和之助を結婚させて実家の借金を押し付け、実家が潰れた後も自分が死ぬまで送金させ続ける
・新しい妻と13人の子供を作り困窮
・植物研究の為に実家の財産を使い込み、困窮し嫁が始めた料亭の収益も使い込む
・金銭感覚が全くなく服を買い込み、後輩にご馳走して使い込む
・妻は学問の為ならと文句も言わず贅沢せず仕事や子育てに励む
・出版にあたり大学の資料を使用しているにもかかわらず、恩師である自分を温かく迎えてくれた矢田部の許可を得ず、日本植物志図篇に大学や教授への謝辞をひとことも載せず、矢田部を激怒させ出禁にされる
・傍若無人な振る舞いを繰り返し借りた本も返さず大学から追い出される
・植物を採りすぎて保護も考えろと怒られる
こんな畜生が朝ドラの主人公ってええんか? マジで要がいないと学芸会だよな
チビブス神木と浜辺ではまじで学芸会になる
浜辺ってしゃべり方も口元が不自然だよなもっとちゃんと口開けや
性格悪い嘘つき浜辺はステマ過大評価工作だけで全くいいところがない
https://livedoor.blogimg.jp/trendcatch_123/imgs/e/d/ed8c696b.jpg >>423
いうて2年後にはマキシモヴィッチも死ぬし 万太郎「すみません!私が悪かったです!」
田辺「何が悪いか言ってみろ」
万太郎「……?」
マジでこれやん でもまんさんなら可愛ければ結婚して一発逆転あるじゃない 放送が終わってもこんだけ話題に出されるちむどんどんって地味に名作では? このままちむ化してったら
タケオが土佐の一番星になって上京してくれるかな メール送ろかな
24歳、高卒職歴無しヒキニートです。 理解のある夫さんおるやんけ……
やっぱりまんさんの人生てイージーモードだわ…… >>458
そういうことでは箸にも棒にもかからなかった舞いあがれって 数年の引きこもりなら誰でもなり得るけど数十年となると周りが悪いと思うわ フレックスの会社に入って朝ドラ実況するのが幸せや😊 そんなに他人からの評価って大事か?こいつのメンタル弱すぎやろ 正論言ってる側を悪者に仕立て上げようとするのはちむどんどんの手法やぞ
この先大丈夫かこのドラマ >>487
氷河期だともうちょい広い
団塊ジュニアだともうちょい上 72年から75年生まれまで そんなに誰かの役に立ちたいならボランティアでもやれや >>492
でもお前はこうやって顔面晒してテレビ出る度胸もないよね 引きこもりならもっと酷いパターンあるやろ
取材受けてくれるのがこの人しかおらんかったんか で、その間理解ある夫さんは何してたんですか?
ゴミ嫁の世話ずっとさせられてたんですか? >>501
ワイは月曜から夜更かしに出て無事全国の笑いものになったんだよな て言うかさっきの引きこもりの定義やと
リモートワークワイも引きこもりに該当しそうなんやが 女は専業主婦ですって履歴書に書けるけど男ならただの無職になるの辛い 醜形恐怖か?
ワイもクソチビクソブサイク顔デカで外出られへんで >>471
ドーベルマン親子がNHKでのラグビー代表の中継に呼ばれてて草生えた >>518
無理矢理ラグビー要素入れたのって
こう言う使い方する為なんかね
謎やわ 自己否定は自分の存在を確認出来て気持ちええからなぁ 二度目の上京を果たした際、植物学教室を訪ねた富太郎を温かく迎え、教室への出入りや資料・標本を見ることを許してくれたのは矢田部である。自宅に招かれ、ご馳走になったこともあった。
富太郎はこの仕打ちが、信じられなかった。彼は矢田部の麹町富士見町(現在の東京都千代田区)の邸宅を訪ねて訴えた。
「今の日本に、植物の研究者は極めて少ない。一人でも排除し、研究を封じるのは、学界の損失であり、植物学の進歩を妨げることになる。また、先輩には後輩を引き立てる義務があるはずだ」
言葉を尽くして撤回を求めたが、矢田部は聞き入れなかった。こう書くと、一方的に矢田部が悪いようにみえるが、富太郎にも配慮が足りない部分があった。
富太郎は出版にあたり、大学の資料を使用しているにもかかわらず、矢田部の許可を得ておらず、『日本植物志図篇』に大学や教授への謝辞をひとことも載せていなかった(上村登『花と恋して─牧野富太郎伝』)。そんなところも、矢田部の気に障ったのかもしれない。
1893年(明治26年)、矢田部非職後に東京帝国大学理科大学の主任教授となった松村任三教授に呼び戻される形で助手となった。助手の月給で一家を養っていたが[注釈 5]、文献購入費などの研究に必要な資金には事欠いていた。
それでも、研究のために必要と思った書籍は非常に高価なものでも全て購入していたため多額の借金をつくり、ついには家賃が払えず、家財道具一切を競売にかけられたこともある[注釈 6]。
その後、各地で採集しながら植物の研究を続け、多数の標本や著作を残していく。
ただ、学歴の無いことと、大学所蔵文献の使用方法(研究に熱中するあまり、参照用に借り出したままなかなか返却しないなど)による研究室の人々との軋轢もあり、厚遇はされなかった[5]。松村とは植物の命名などを巡って対立もしている。
1900年(明治33年)から、未完に終わった『日本植物志図篇』の代わりに新しく『大日本植物志』を刊行する。
今回は自費ではなく帝大から費用が捻出され、東京の大手書店・出版社であった丸善から刊行された。だがこれも松村の妨害により、4巻で中断してしまった。
矢田部の後もまたやらかしてて草生える >>471
まいんさんは今火曜のドラマで頭ちむどんどんな役演じてるから… 子供がおるかおらんかって割とデカいよな
おったらおったで子供のできとかでまた悩むんやろうけど まんさんのアスペっぷり見せつけられた後に引きこもりの話題とはね 元の引きこもりの事は何の擁護もしてくれなくて草
これが社会ですよ >>447
こんなガイジでも偉人扱いされるからわからんものや 一旦止まってしまうとそのまま地に根を張りやがて溶けてゆくぞ >>530
戦後に昭和天皇に植物学を進講したのが大きい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています