らんまん【NHK】
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引きこもりならもっと酷いパターンあるやろ
取材受けてくれるのがこの人しかおらんかったんか で、その間理解ある夫さんは何してたんですか?
ゴミ嫁の世話ずっとさせられてたんですか? >>501
ワイは月曜から夜更かしに出て無事全国の笑いものになったんだよな て言うかさっきの引きこもりの定義やと
リモートワークワイも引きこもりに該当しそうなんやが 女は専業主婦ですって履歴書に書けるけど男ならただの無職になるの辛い 醜形恐怖か?
ワイもクソチビクソブサイク顔デカで外出られへんで >>471
ドーベルマン親子がNHKでのラグビー代表の中継に呼ばれてて草生えた >>518
無理矢理ラグビー要素入れたのって
こう言う使い方する為なんかね
謎やわ 自己否定は自分の存在を確認出来て気持ちええからなぁ 二度目の上京を果たした際、植物学教室を訪ねた富太郎を温かく迎え、教室への出入りや資料・標本を見ることを許してくれたのは矢田部である。自宅に招かれ、ご馳走になったこともあった。
富太郎はこの仕打ちが、信じられなかった。彼は矢田部の麹町富士見町(現在の東京都千代田区)の邸宅を訪ねて訴えた。
「今の日本に、植物の研究者は極めて少ない。一人でも排除し、研究を封じるのは、学界の損失であり、植物学の進歩を妨げることになる。また、先輩には後輩を引き立てる義務があるはずだ」
言葉を尽くして撤回を求めたが、矢田部は聞き入れなかった。こう書くと、一方的に矢田部が悪いようにみえるが、富太郎にも配慮が足りない部分があった。
富太郎は出版にあたり、大学の資料を使用しているにもかかわらず、矢田部の許可を得ておらず、『日本植物志図篇』に大学や教授への謝辞をひとことも載せていなかった(上村登『花と恋して─牧野富太郎伝』)。そんなところも、矢田部の気に障ったのかもしれない。
1893年(明治26年)、矢田部非職後に東京帝国大学理科大学の主任教授となった松村任三教授に呼び戻される形で助手となった。助手の月給で一家を養っていたが[注釈 5]、文献購入費などの研究に必要な資金には事欠いていた。
それでも、研究のために必要と思った書籍は非常に高価なものでも全て購入していたため多額の借金をつくり、ついには家賃が払えず、家財道具一切を競売にかけられたこともある[注釈 6]。
その後、各地で採集しながら植物の研究を続け、多数の標本や著作を残していく。
ただ、学歴の無いことと、大学所蔵文献の使用方法(研究に熱中するあまり、参照用に借り出したままなかなか返却しないなど)による研究室の人々との軋轢もあり、厚遇はされなかった[5]。松村とは植物の命名などを巡って対立もしている。
1900年(明治33年)から、未完に終わった『日本植物志図篇』の代わりに新しく『大日本植物志』を刊行する。
今回は自費ではなく帝大から費用が捻出され、東京の大手書店・出版社であった丸善から刊行された。だがこれも松村の妨害により、4巻で中断してしまった。
矢田部の後もまたやらかしてて草生える >>471
まいんさんは今火曜のドラマで頭ちむどんどんな役演じてるから… 子供がおるかおらんかって割とデカいよな
おったらおったで子供のできとかでまた悩むんやろうけど まんさんのアスペっぷり見せつけられた後に引きこもりの話題とはね 元の引きこもりの事は何の擁護もしてくれなくて草
これが社会ですよ >>447
こんなガイジでも偉人扱いされるからわからんものや 一旦止まってしまうとそのまま地に根を張りやがて溶けてゆくぞ >>530
戦後に昭和天皇に植物学を進講したのが大きい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています