兼重氏の生家は岩国市内にある。
「もうアレとは縁を切ったけぇ、話すことはないですけどね」
 と言葉少なに語るのは、兼重氏の長兄である。

「縁を切るって、向こうが言い出したんやから。50年近く前、そう言って家を出て行ってから、すっかり疎遠で。今どこにいるかもわからん。だから今回の騒動について聞かれても何も知らんのですよ」

 兼重氏は1951年、同市で生まれた。上に姉と兄2人がいる4番目の子であるが、
「私らとは“種違い”なんですよ」
 と長兄が続ける。

「うちの父は戦争で亡くなってね。終戦後、未亡人の母が戦争から引き揚げてきた男と一緒になった。そして生まれたのが宏行です。家は畑をやったり、川でシロウオや貝を取ったりして生計を立てていた。宏行は真面目で正直な性格だったが、年も離れているから、私らもあんまり遊んだりはしなかったね」

 地元の小中学校を経て、岩国工業高校へ進学。同級生によれば、
「機械科にいてね。車やバイクいじりが好きで免許も持っていたよ」

 卒業後は、陸上自衛隊に入隊した。ちょうどその頃のことだ。長兄が言う。

「宏行から“兼重とは縁を切る”とはっきりと言われてね。けんかしたり、確執があったりしたわけじゃない。でも、生まれの問題とかで、本人なりに思うところがあったんでしょう。それ以降はこの家に戻ってくることはなかったね」

 隊所属時代に結婚するが、程なく退職。大手ディーラーに勤めた後、1975年、23歳の時に地元で自動車整備工場を始めたという。

「はじめは私の妻と二人きりの工場だったんですよ」
 とは、兼重氏の姉の夫、つまり義兄である。

「宏行に頼まれて妻が事務をすることになって。立ち上げの時には銀行から3千万円借金しましたが、長兄と私が保証人となりました」

 というから、「縁を切る」と大見得を切って出て行った割には、きょうだいにおんぶにだっこだったわけだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/cb5b57f0b2aeb21e9a1296dcdcc2b562482ac380?page=2

前社長もちょっと家庭環境複雑やな