バット10本とトレードされたやつの末路


そこでヴァイパーズはテキサス州のラレド・ブロンコスとの選手同士のトレードを持ちかけたが断られ、ブロンコスは彼と1,000ドルの現金でのトレードを提案したがこれにヴァイパーズは現金取引がチームの財政が不安定に見えるのを恐れ断った。その後、5月20日には彼と合計665ドル相当のプレーリー産のカエデで作られたバット10本とのトレードの契約が結ばれた[3][1]。そのため移籍したラレド・ブロンコスでは彼は“バットマン”と呼ばれ、マウンドに上がった際にはバットマンのテーマが流された。6月5日のテキサス州アマリロで行われた試合でのヤジはひどく、敵チームのファンからはおろか、審判からも野次が飛ばされた。5日後の6月10日、遠征先だったテキサス州のサンアンジェロで彼はチームを去ることに決めた[1]。

音信不通になっていた2008年11月5日、ヘロイン、メタンフェタミン、アルコールなどの多量摂取により死亡しているのが発見されていたことを2009年3月3日にAP通信が伝えた[5]。26歳没。