>>277
これか

東海道新幹線は、11日昼頃まで平常通りの運行が続いていた。その後、名古屋市付近で警戒水準を超える降雨を記録したにもかかわらず、東海旅客鉄道(JR東海)は「遅れを最小限に留めたい」「運休は避けたい」という当時の葛西敬之社長の意向もあって、東京駅からダイヤ通りに新幹線を発車させた。しかし、雨足が強まっていく中で出発した列車は、徐行と停止を繰り返しながら遅延を拡大させ、結果的に東京駅 - 米原駅の間で70本近い列車が団子状態でストップし、全面的に不通となった。
列車が運良く駅ホーム内で足止めとなった乗客は、改札を出て駅近くのホテルなどを利用できたが、最終的に5万人を超える乗客が車内に取り残され、一夜を明かす事態となった。その中には翌12日からの阪神甲子園球場での阪神タイガース戦に出場する読売ジャイアンツの選手も数名含まれており、12日に新大阪駅に到着したものの、同日の試合は中止となった。長嶋茂雄や松井秀喜のように航空機で移動していた選手や首脳陣もいたが、多くの選手は新幹線移動であった。
天候が回復した翌12日もダイヤの乱れは続き、博多発東京行き「のぞみ20号」が22時間21分遅れで終点の東京駅に到着するという、開業以来最悪の遅延を記録した。JR東海は数多くの乗客が車内で運行再開を待つ結果となったことについて、「もっと早く運転見合わせするべきだった」という批判にさらされ、運輸省(現:国土交通省)もJR東海に事情の説明を求めた。数日後の社長定例会見では、葛西が「あれは未曾有の大災害が原因で、正常で適切な運行だった」と発言したが、この発言にも批判が集まり、後の会見では「多くの乗客にご迷惑をおかけしました」と陳謝する事態に発展している。