飯塚智広
二松学舎沼南高校から亜細亜大学に進学。高校では主戦投手として2年春の県大会優勝、夏も県大会決勝に進出、のちに甲子園で準優勝する拓大紅陵に1-2で敗退した。3年春も県大会準優勝で2年連続で春季関東大会に出場。大学で外野手に転向し、井端弘和とともに1・2番を打った。

大学卒業後の1998年に大学の先輩・沖原佳典がいたNTT関東に入社、日本選手権ではチームの初優勝に貢献して優秀選手となる。翌年からはNTTグループの組織再編によりNTT東日本に転籍すると2番・センターでレギュラーに定着、クリーンアップにつなぐ役回りに徹していた。

入社1年目から国際大会の日本代表として選出され、2000年にはシドニー五輪の日本代表としてプレーした。また、身長163cmと小柄ながらパワーもあり、都市対抗野球大会をはじめとする公式大会でしばしばホームランを打っていた。