さらには、その「がんばれ!」と言うのが、妻と子ども2人、庭付きの一戸建てを手にした、正社員で係長の野原ひろしなのだ。1990年代ではまだ平凡なサラリーマンとして見られたかもしれないひろしは、現代社会では理想的な家族を超えて、“勝ち組”そのものにも見えるため、さらに欺瞞めいたものを感じてしまう。

 そもそも、非理谷は決してがんばっていなかったわけではない。少なくとも、推しのアイドルを応援するために日銭を稼ごうと努力をしていたのではないか。幼少期から不幸の連鎖が起きて、“社会的弱者”からいわゆる“無敵の人”になってしまった彼を生々しく(しかもアイドルオタクであることも含めややステレオタイプ的に)描き、「日本の未来は暗い」と社会全体の問題にも言及しておきながら、結局は「がんばれ!」という個人の努力に帰結させ、それをまるで“良きこと”のように描く構図は、はっきり間違っている。

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