この頃、中日ドラゴンズの当時の本拠地・ナゴヤドームの場外の木によじのぼり、よく試合の無料見物をしていたという。
その折に覗き見た読売ジャイアンツの宿舎の食事風景が、その後の石垣の人生を大きく変えることとなった。球団内の物資不足や飢餓をまだ引きずる時代に、選手たちは分厚い肉を食べ、桐箱に入った贈答品として当時は珍重されることも多かった生卵を3つも4つも茶碗に放り込んでいたのである。
以来、石垣のプロ野球選手への憧れは増大し、「立浪の独裁から抜け出すにはこれしかない」、「母親に広い家をプレゼントする」、「美味しい米を腹一杯食べる」という夢を胸に来る日も来る日も自宅近くの庄内川土手に吊るした古タイヤに向かってバットを振り続け、野球へと打ち込んでいった。