狡兎死して走狗烹らる

[由来] 中国の古い書物で、しばしば引用されていることわざ。たとえば、「史記―越えつ世せい家か」には、次のようにあります。紀元前五世紀、春秋時代のこと。越の国の大臣、范はん蠡れいは、王を補佐して、宿敵、呉ごを滅ぼすことに成功しました。しかし、彼はそのあと、すぐに越の国から立ち去ってしまいます。それは、「狡兎死して走狗烹らる(獲物のウサギが捕まって死ねば、不要となった猟犬は煮て食われる)」と言われる通り、越王はいずれ、自分を邪魔に感じ始めるだろう、と考えたからでした。