1964年(昭和39年)3月24日にアメリカ大使館ロビーで当時19歳の少年(統合失調症で入院歴があった[6][7])にナイフで大腿を刺され重傷を負った。この時に虎ノ門病院で輸血を受け「これで私の体の中に日本人の血が流れることになりました」と発言し多くの日本人から賞賛を浴びたが、この輸血が元で輸血後肝炎に罹る[8]。 3か月の入院を経て回復し(その後ハワイ州ホノルルの海軍の病院に検査のために再入院した)一時は辞任を考えたものの、「今退任し帰国すれば日本人は事件の責任を感じてしまうだろう」と考え留任することを決め、その後も駐日大使として活躍した


この人ほんまええ人よな
輸血の話する度に思い出す