紅林 麻雄(くればやし あさお、1908年〈明治41年〉 - 1963年〈昭和38年〉9月)は、日本の警察官。
担当した事件において、数多くの冤罪被害者を生み出した。

現在の静岡県藤枝市出身。

自身が担当した幸浦事件(死刑判決の後、無罪)、二俣事件(死刑判決の後、無罪)、小島事件(無期懲役判決の後、無罪)、
島田事件(死刑判決の後、無罪)の各事件で無実の者から拷問で自白を引き出し、証拠を捏造して数々の冤罪を作った。
その捜査手法は紅林の部下も含めて静岡県警の警察官に影響を与えることになり、紅林自身は直接捜査に関与しなかったが
袴田事件(死刑判決の後、再審が決定)などの冤罪事件を生む温床ともなった。

あらゆる手段を用いて被疑者を拷問し、自白を強要させるなどしたことから「拷問王」と称されている。

紅林はさまざまな拷問の手法を考案したが、実行には直接関与せず部下に指示を出していた。
また、二俣事件における山崎兵八の書籍においては真犯人と思われる人物からの収賄の疑惑も暴露されている。