幸三が東京拘置所に収監されてから数日後、妻の下には夫から手紙が届いていた。
「あまりに悲惨な状況に、母は泣き崩れてしまって……」
 長男も、手紙の内容に衝撃を受けていた。
 車椅子がなければ歩けない状態になった幸三は、拘置所内でトイレに行こうとした際、転倒してしまい頭に怪我をしてしまったのだ。トイレは血だらけになり、拘置所内の規則として「始末書」を書かなければならなかったのだという。
 拘置所側も先例がなく、対応に窮したようだった。壁に緩衝材として発泡スチロールを張り、転倒で怪我をしないよう応急措置を施した。
 刑事施設にはてすりがない。杖も武器になるので使えないため、歩くことが困難な幸三にとっては、トイレに行くことが過酷な試練となっていた。終いには、おむつで対応しなければならなかった。
 房の中には椅子がなく、壁に寄りかかっていなければならない。就寝時間以外に横になってはならず、まるで拷問である。
 90歳(取材当時)の足の不自由な老人にはあまりに過酷な状況に、家族は打ちのめされていた。
 収監から1週間後、私は東京拘置所での長男の面会に同行することになった。
「まさか、人生でこのような場所に来るとは想像もできませんでした」