イギリスは第一次世界で敵対していたオスマン帝国からの独立を狙っていたアラブ民族と、パレスチナの祖国を追われ世界中に散らばっていたユダヤ人の協力を得ようとした


1915年に「フセイン=マクマホン協定」を密かに結び、アラブの独立を認め、旧オスマン帝国領内にアラブ人国家の建設を約束する代わりに、オスマン帝国への反乱をうながした

1917年に「バルフォア宣言」を出して、第一次世界大戦の資金援助と引き換えにパレスチナにユダヤ人国家の建設を認めた

さらに、1916年にはオスマン帝国を大戦後に、イギリス、フランス、ロシアの三国で分割するという「サイクス・ピコ協定」を結んだ

これが俗に言うイギリスの3枚舌外交であり、現在のパレスチナ問題の引き金である