徳川16代目がまんまジャニー喜多川みたいなの草
徳川家達
同性愛の指向があり、華族会館の給仕を鶏姦し[134]、そのことが度重なり、給仕に事を荒立てられ、1917年(大正6年)頃、この醜聞の口止め料として1万円(当時は大卒の初任給が50円程)を支払った。このため、実弟の徳川頼倫は牧野伸顕に「兄が恥を知らず、今なお公職を執り、引退の考えがないのは困ったものだ」と嘆いたことがあった。倉富勇三郎が牧野から聞いたところによると、家達の同性愛指向は華族間では知る者も多く、貴族院議員・松浦厚はこれに基づき家達の学習院総裁就任の話を潰したことがあるという[135]。