ゲームAI開発者の三宅陽一郎氏(スクウェア・エニックス所属)のインタビュー

広大なワールドを作ったらそこにAIを放り込んであとはよろしく、みたいなゲーム作りをイメージしていたんですね。
それが90年代後半から2000年代初頭に、アメリカで起きていたことです。
https://bunshun.jp/articles/-/62697?page=2

――うーん。多くのクソゲーを作ってしまったりもしながら、洋ゲーの方向性は一つの正解へとつながっていたわけですね。
そして、AI研究、ロボット研究など最先端のアカデミックフィールドとも結びついて着実に成果を出していったということには、アメリカのソフトウェア産業のダイナミズムを思い知らされます。

その頃、日本の多くのメーカーは、大量にCGクリエーターを雇用して彼らの職人的な技量を鍛え上げることばかりに腐心していました。
もしかしたらそれは間違っていたのかもと考えるとつらいですね。
日本のゲームには、職人芸がある。心がある。それが強さの秘密なんだ、と、1980年代から世界を制覇していた日本のゲーム業界には、そういう自負があったと思います。
今振り返ると、それが1990年代には必要な進歩を阻む足かせとなったのでは、と。
ゲーム制作のシステム化、ゲームの挙動のオートマチック化に、手をつけなかった。