【悲報】日本人の87%、「応仁の乱」を説明できないと判明
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>5
大まかにはわかるやろ
足利家と管領の跡目争いが複雑に入り交じった 当時でも混乱に乗じて普段からムカついてたやつに襲い掛かってただけやぞ
今川とかそれで同じ勢力のはずのやつに討たれて死んでるし >>8
足利家の跡目争いは大して関係ないで
あくまで発端は畠山・斯波の家督争いであって、細川・山名も別に上に担ぐのは誰でも良かったんや
そして応仁の乱が終結しても家督争いは終わらなかった 応仁の乱て第二次世界大戦みたいなもんやろ
きっかけは一応あるけど 山名氏と細川氏の権力争いやろ
古代の蘇我氏と藤原氏の大化の改新から安倍氏と山上氏の令和の改新まで日本人はずっと同じ事やっとる 途中から足利と全然関係ないとこまで戦い始めちゃって意味分かんねえ
もうそれぞれ別の戦乱としてカウントしたほうがまだ整理しやすいんじゃないか なんとなくしか覚えてへんけど、応仁の乱と大化の改新てそんなに特筆して大事な理由はまったく分からん ただの政治的な争いだから誰も詳しくは知りたがらない
三国志の漢王朝末期の十常侍や外戚の争い、地方軍閥群雄のような魑魅魍魎としながらも華があるかんじではないからね >>21
山名と細川自体はそれまで別に仲悪くなかったぞ >>27
政治的な背景を超えたガイガイバトルや
各地訳わからんとこで無駄な戦しとるから 平家源氏足利どれもサムライたちの総大将としては器小さすぎだし権力も弱過ぎたからな 成立から終焉まで一生どこかでなんかしらで殺し合い続けとった幕府やったな
平和な期間の方が少ない 歴史に興味ない人にとって厩戸王~信長までの間は空白の900年やから… >>7
自分自身が複雑怪奇な乱を起こして応仁の乱を現代に再現する歴史家の鑑 史実として残ってることを事柄として言うのと説明するは違うからなあ
10年もの争いを全て説明するとか誰にもできんやろ 日本史の授業って日本史のクソつまんないとこだけやたら詳しくやるよな 大内とかいう
この時期に最大大名なのに
戦国時代には影も形もない家
中国地方が動乱すぎる >>25
大化の改新は地方豪族の力弱めて中央集権目指す政策やな
中大兄皇子が死んで豪族の不満爆発したのが壬申の乱の一因や >>36
一応結末としては東軍側の勝利
当時足利義政は東軍側に担がれていて、西軍の主力の大内氏が足利義政に謝罪して山口に帰ったことで収束したから >>43
共産主義史観は支配制度と枠組みが基本やからその名残や 細川勝元・足利義視・畠山政長・斯波義敏VS山名宗全・足利義尚・畠山義就・斯波義廉
が当初の対立構造やったよな
なぜか途中で義視義尚が入れ替わってたような記憶がある 大王が死んで子供がいなかったから、
6代前の遠い親戚で、新潟に住んでる57歳のおじいさんが次期大王になった!!
これええんか? 応仁の乱が無ければ朝倉・織田が斯波から独立しなかった可能性を考えると歴史において割と大きなポイントだと思う
斯波が力を持ち続けていたら姉川の戦いも信長包囲網も無かった 知れば知るほどに頭がおかしくなってくるから調べるのをやめた >>51
昨日まで味方だった将軍が
明日には敵になっている謎の状態 鉄砲や火砲が無いから戦争が膠着状態に陥るんや
弓兵だけでは戦争は終わらんのやね この頃の大名の武で意見押し通したるぞ感すごいからな
将軍なんてマジで雑魚 >>52
細川まで分裂して争うわ
畿内の大名が担ぐせいで将軍入れ替わるわ
ハチャメチャやしな >>45
それが他の歴史的事件よりもよく取り上げられる理由なん?
つまり統治機構の根幹を変えたってこと? 応仁の乱を舞台に大河やるとしたらやっぱ日野富子は瀬戸内寂聴とかになるんやろか >>55
京都の実力者も
大内→六角→三好と
信長ストーリーの脇役扱いよな
それぞれ上杉武田辺りより
よっぽど上だったんだが
三好は最近再評価だが >>51
畠山政長あたりが足利義視を毛嫌いしていて身の危険を感じた義視が伊勢とかに逃げた後西軍に囲われたとかだったはず 応仁の乱と日中戦争はちゃんと理解しようとするとこっちの気が狂う >>56
大名が京都いって留守にしてる間に
地元の支配やってる守護代が力付けたケースよな もっと三国志(史実)みたいに面白かったらみんなも楽しむとは思うけどそんな大げさで壮大な内戦にならないのが日本の良いところかもわからんね >>56
大体がそうやな
越後長尾氏も応仁の乱があってラッキーやった 庶民の立場からすると10年ずっと戦争ってどんな感じなんやろな そして複雑奇っ怪さで言えば五胡十六国時代に劣るという 応仁の乱に呼ばれるから守護が地元の求心力失って
守護代以下の地力が上がっていったのが戦国時代への足がかりになったということか 細川以外がほぼほぼ戦国時代に「グエー(ry」となったのはこれが原因やろ 上杉も武田も偽物やし
後に残ったのは伊達と島津くらいかなあ結局 なんかずーっとクチャクチャやってる割に
インパクトのある結末になんないからな >>68
同じ派閥におってもその中で個人の人間関係いろいろあって
拗れてややこしくなってのは現代でもあるしな この頃の大名の領土ってどうやって確定してたんや?
土民が納税に応じる土地の範囲を領土としてたんか? 歴史はどうしても当事者だけが出がちなんで当時の庶民がどう思ってたかは興味のあるところ >>81
細川藤孝も実は足利支流の細川一族じゃなく別の細川一族説が出てるっていう やっぱ徳川家康秀忠親子くらい厳しく苛烈に取り締まらなきゃだめなんやね
足利なんてほぼ傀儡政権みたいなものだからな 日本史って上流の内輪もめばっかのイメージやわ
中国史は政治腐敗からの農民反乱(か異民族侵攻)みたいなダイナミックなのに >>87
中世は基本豪族の連合体だからふわふわしてるぞ、国境なんて無いようなもん 三国志スレといい君らホンマに歴史モノとなると知識豊富やしイキイキしとるな
受験の時日本史やったけどほとんど忘れてるわ 室町幕府が崩壊してたんやろな
とはいえこいつらは一応幕府の下ってとこが
話をこじらせてるっておもう
戦国になると関係ない力勝負やが >>95
荘園とかも小競り合い絶えないしな
それで武士の価値がでてきたわけやし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています