自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身をまもるために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ。
自分に能力がないなんて決めて、引っ込んでしまっては駄目だ。
なければなおいい、今まで世の中で能力とか、才能なんて思われていたものを越えた、決意の凄みを見せてやる、というつもりでやればいいんだよ。
挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などはない。
人間にとって成功とはいったいなんだろう。
結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか。
自分の価値観を持って生きるってことは嫌われても当たり前なんだ。
同じことを繰り返すくらいなら、死んでしまえ。
自分が何をやりたいか、何を伝えたいかが分かっていたら、技術は後からついてくる。
自分の中にどうしても譲れないものがある。
それを守ろうとするから弱くなる。
そんなもの、ぶち壊してしまえ!
友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる。
でたらめをやってごらん。
口先では簡単にでたらめなら、と言うけれども、いざでたらめをやろうとすると、それができない。
気まぐれでも、何でもかまわない。
ふと惹かれるものがあったら、計画性を考えないで、パッと、何でもいいから、そのときやりたいことに手を出してみるといい。
不思議なもので、自分が求めているときには、それにこたえてくれるものが自然にわかるものだ。
不動のものが価値だというのは自分を守りたい本能からくる錯覚に過ぎないんだよ。
破壊こそ創造の母だ。