日本史最大の謎、邪馬台国はどこにあったのか←これ
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>>41
魏志倭人伝に書いてある卑弥呼の墓に比べたら大き過ぎる
倍はある 九州北部は大陸との交流が盛んやから大和よりも文化的やったかもしれんな
一大勢力がおって当然の環境や 阿波やぞ
畿内はともかく九州とか言ってるのはガイジや >>47
魏志倭人伝の記述通りやと邪馬台国って海の中になるんやろ?
墓が倍くらい大きいとか些末なことよ 中国人ソースを一生探してもでてこないってそういうことでは… 魏志倭人伝の文章そのまま読むと
邪馬台国は沖縄で、卑弥呼は日巫女だって
学研の雑誌に書いてあった >>50
九州ガイジってこういうデマでしか主張を維持でいないよな >その南に狗奴(くな)国あり
狗奴国が熊襲なら鹿児島、クマ国なら熊本
もう答え出てるやん >>56
当時の技術でどうやって一月で沖縄に行くんや 卑弥呼からヤマト政権までだいぶ時間あるしなあ
そんな急に政権できひんて
まあすこしづつ渡来人系が地盤を固めていった段階なんだろう >>61
寧波からちょっとジャンク船に乗りゃすぐだろう >>12
適当に決まっとるやろ
遠方まで朝貢させた魏の功績を書いとるんやから近所じゃ手柄感ない そんなことより弥生人がなにきにきて繁殖したか気になる 当時の超科学での、空中浮遊都市だったので
特定の場所はない
日本中をフワフワと移動していた >>64
学校で日本の海流を習わなかったんか
陸地沿いならともかく離島なんて行けないぞ >>45
わざとクソ漢字にしたんやろうな
邪とか卑しいとか 素人→九州説
玄人→畿内説
バカサヨは特に九州説推し多いよな、チョンモメンとか >>62
仮に邪馬台国=大和やったとしても、卑弥呼も寄合所帯の首長やしヤマト王権の縮小版あるいは黎明期みたいなもんやろ >>54
原典の読み方らしい
中国人学者 邪馬台国でグクればええよ こんなとこであーだこーだ知識の限界だしあうよりそれ系の本やこないだやってたNHKの番組見たほうがいいだろ
狗奴国がどこかもやったで >>65
俺の中では当時の人でもなんでもない陳寿が適当に書いたで結論付けたからもういいぞ 台与(とよ)
邪馬台(やまたい)
昔からこの読み分けが不思議だった >>76
いや、ググるのは億劫やしええわ
気が向いたらスレに書いてくれや 実際どうなんやろなこのころの日本
国というか人間社会を作っていったのは大陸から来た渡来人なんかな? >>77
歩き巫女と間違えてないか?
歩き巫女はエロい 対馬とか糸島とかの地名はあるのに
なんでそこから急に奈良に飛ぶんや? >>86
その辺は言葉の共通点から割り出せる部分はある
地名の付け方等から朝鮮半島との間に少なからず交流はあった事は示唆されている >>86
集落の巨大化はようするに農業の大規模化に由来するから、農業技術を持った渡来人が稲作の適地にクニを形成していったのは想像に難くない >>82
当時の台の中国語の発音が分からんからな
適当やろ >>88
水行で瀬戸内海を通って東に行ったから
その間の土地をスルーした理由は不明 九州が必死やけどこれは奈良やわ
九州のあの遺跡は海を渡る前の宿場町や >>81
中公新書の「魏志倭人伝の謎を解く」て本がおもろかったで
陳寿の政治的立ち位置とか考慮して「この部分はこうあるべき」って感じで書いとるんちゃうのって突っ込み入れてた >>88
魏志倭人伝には九州の地名を並べた後に「南の方へめっちゃ行く」みたいなことが書いてあるんや
その通りに考えると海の中になってまうから、「南やなくて東の誤りやろ!」って考える一派がおるんや
九州から瀬戸内海を東に進むと大阪・奈良というヤマト王権の勢力圏に辿り着くから、そこが邪馬台国ってことで畿内派が成立や 魏の人「伊都國まで来たけどあとは伝聞でええや」
「方角?たぶんこっちやろ」
本当は奈良やけど適当に書いた結果後の時代の人間が混乱して九州説が生まれただけや >>90
宇佐は後世に八幡宮の一大拠点になったのは事実やが、この時代に邪馬台国といえるほどの大勢力があったかどうかは疑問やな
まあ魏志倭人伝の南進の距離が旅費過大請求のちょろまかしとすれば宇佐というのは絶妙な距離感ではある 素朴な疑問なんやがどうして何一つ出土してないのに日本に邪馬台国があったなんてわかってるんや? 正直邪馬台国より空白の4世紀のほうがロマンあるよな >>98
それテレビで解説してたの見たことあるわ
現実の地理よりも「地政学的にこうあるべき」を優先して書いたってやつやな
史書ではなく政略の道具として記述した >>106
それなりに信ぴょう性のある中国の歴史書をソースに恐らくあったであろうみたいな話だから実在した証拠は何一つ無い 結局自分たちで記録残すほど発展できてない時点でお察しやろ 歴史書か……
マルコポーロが日本を黄金の国と紹介したように
割とデマ混じりの可能性もあるやんな 謎つうかその時代は歴史がねーんだろw
ちうごくの聖帝時代みてえなもんや でも縄文時代は東北のほうが発展してたっていうから面白い >>103
知らん
「南にめっちゃ行く」って記述が経由地点とか何も書いとらんから九州派と畿内派に分かれる原因なんや
瀬戸内海を東に行くなら当時の情勢を想像するに吉備が出て来ないのは明らかにおかしいんやが、書いてないものは書いてないんや 卑弥呼が女だからみんな気にするけど
ただのおっさんだったらこんなに興味持つ人もいなかったろうな 邪馬台国って結局なんなんや?
皇室に繋がるようなものなんか?
ただの地方豪族だったらどこにあろうとどうでもいいやろ 蛇剣が出てきて奈良で確定したやんさすがに倭国の女王が九州じゃ狭すぎるやろ 瀬戸内海通るルートだと絶対淡路島の記述あるはずよな >>105
邪馬台国が大和朝廷になったのはまず間違いない
で、その間に王統(皇統)に連続性が有るのか無いのか
つまり王位(皇位)簒奪があったのかどうかよ 九州にあったのが後に近畿に進出した
って事でええやろ
東遷神話とも辻褄が合うし >>117
それでもええんやで
岡山のあたりはヤマト王権に比肩する大勢力がおったのは間違いないからな
問題はそれを辛抱強く唱える有力な学者がおらんことや この時代の日本に派遣されるヤツなんて下っ端の無能なヤツやろし適当に報告してるんやろ >>100
方角を間違えた説っていかにも現代人の発想だと思う
古代の、それも海を渡る人が方角間違えるわけないやろ?
そんな知識ないマヌケは旅の途中で死ぬわ 畿内の稲荷山古墳の鉄剣みたいに九州の影響が広範囲に及んでいた物証ってあるんか? >>120
そこがわからんのも邪馬台国の魅力のひとつや
仮に邪馬台国の位置が特定されたとしても皇室とのつながりはわからんから、それを題材にまた論争を楽しめるんや 太陽があるのに方角なんて間違えるわけ無いだろ
普通に九州だよ >>131
知らない島やしそうなってもおかしくはないわ >>130
自力で文字を発明できるほうが異常なんよ
大多数の地域では発明できなかった事実があるからな 水行とか陸行何日みたいなのがどうとでも取れるって聞いたが
距離の具体的な数字は書かれてなかったんか >>131
実際に海渡る奴が方角間違えるわけ無いやろ
君はアホか? >>131
日本に来るだけならそこまで方角分かってなくてもなんとかなるやろ 方角の南と東間違えたのはありあるやろ
北と南を間違えたのは無理かもしれんが >>137
そういうもんなんやなあ
話し言葉でまあええやろって感じでずっと暮らせたんやな >>136
知らない土地だからこそ太陽や星を見て方角を知るのが大事なんやで
昔の人はそういう知識を常識として持ってた
現代人はそんな知識不要だし知らん人のほうが多い、だから「方角間違えた」は現代人の発想なんよ >>100
それは投馬国への行程で邪馬台国と直接関係ないぞ
不彌国から投馬国に行くなら南に水行20日、邪馬台国に行くなら南に水行10日、陸行1月
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