日本史最大の謎、邪馬台国はどこにあったのか←これ
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>>81
中公新書の「魏志倭人伝の謎を解く」て本がおもろかったで
陳寿の政治的立ち位置とか考慮して「この部分はこうあるべき」って感じで書いとるんちゃうのって突っ込み入れてた >>88
魏志倭人伝には九州の地名を並べた後に「南の方へめっちゃ行く」みたいなことが書いてあるんや
その通りに考えると海の中になってまうから、「南やなくて東の誤りやろ!」って考える一派がおるんや
九州から瀬戸内海を東に進むと大阪・奈良というヤマト王権の勢力圏に辿り着くから、そこが邪馬台国ってことで畿内派が成立や 魏の人「伊都國まで来たけどあとは伝聞でええや」
「方角?たぶんこっちやろ」
本当は奈良やけど適当に書いた結果後の時代の人間が混乱して九州説が生まれただけや >>90
宇佐は後世に八幡宮の一大拠点になったのは事実やが、この時代に邪馬台国といえるほどの大勢力があったかどうかは疑問やな
まあ魏志倭人伝の南進の距離が旅費過大請求のちょろまかしとすれば宇佐というのは絶妙な距離感ではある 素朴な疑問なんやがどうして何一つ出土してないのに日本に邪馬台国があったなんてわかってるんや? 正直邪馬台国より空白の4世紀のほうがロマンあるよな >>98
それテレビで解説してたの見たことあるわ
現実の地理よりも「地政学的にこうあるべき」を優先して書いたってやつやな
史書ではなく政略の道具として記述した >>106
それなりに信ぴょう性のある中国の歴史書をソースに恐らくあったであろうみたいな話だから実在した証拠は何一つ無い 結局自分たちで記録残すほど発展できてない時点でお察しやろ 歴史書か……
マルコポーロが日本を黄金の国と紹介したように
割とデマ混じりの可能性もあるやんな 謎つうかその時代は歴史がねーんだろw
ちうごくの聖帝時代みてえなもんや でも縄文時代は東北のほうが発展してたっていうから面白い >>103
知らん
「南にめっちゃ行く」って記述が経由地点とか何も書いとらんから九州派と畿内派に分かれる原因なんや
瀬戸内海を東に行くなら当時の情勢を想像するに吉備が出て来ないのは明らかにおかしいんやが、書いてないものは書いてないんや 卑弥呼が女だからみんな気にするけど
ただのおっさんだったらこんなに興味持つ人もいなかったろうな 邪馬台国って結局なんなんや?
皇室に繋がるようなものなんか?
ただの地方豪族だったらどこにあろうとどうでもいいやろ 蛇剣が出てきて奈良で確定したやんさすがに倭国の女王が九州じゃ狭すぎるやろ 瀬戸内海通るルートだと絶対淡路島の記述あるはずよな >>105
邪馬台国が大和朝廷になったのはまず間違いない
で、その間に王統(皇統)に連続性が有るのか無いのか
つまり王位(皇位)簒奪があったのかどうかよ 九州にあったのが後に近畿に進出した
って事でええやろ
東遷神話とも辻褄が合うし >>117
それでもええんやで
岡山のあたりはヤマト王権に比肩する大勢力がおったのは間違いないからな
問題はそれを辛抱強く唱える有力な学者がおらんことや この時代の日本に派遣されるヤツなんて下っ端の無能なヤツやろし適当に報告してるんやろ >>100
方角を間違えた説っていかにも現代人の発想だと思う
古代の、それも海を渡る人が方角間違えるわけないやろ?
そんな知識ないマヌケは旅の途中で死ぬわ 畿内の稲荷山古墳の鉄剣みたいに九州の影響が広範囲に及んでいた物証ってあるんか? >>120
そこがわからんのも邪馬台国の魅力のひとつや
仮に邪馬台国の位置が特定されたとしても皇室とのつながりはわからんから、それを題材にまた論争を楽しめるんや 太陽があるのに方角なんて間違えるわけ無いだろ
普通に九州だよ >>131
知らない島やしそうなってもおかしくはないわ >>130
自力で文字を発明できるほうが異常なんよ
大多数の地域では発明できなかった事実があるからな 水行とか陸行何日みたいなのがどうとでも取れるって聞いたが
距離の具体的な数字は書かれてなかったんか >>131
実際に海渡る奴が方角間違えるわけ無いやろ
君はアホか? >>131
日本に来るだけならそこまで方角分かってなくてもなんとかなるやろ 方角の南と東間違えたのはありあるやろ
北と南を間違えたのは無理かもしれんが >>137
そういうもんなんやなあ
話し言葉でまあええやろって感じでずっと暮らせたんやな >>136
知らない土地だからこそ太陽や星を見て方角を知るのが大事なんやで
昔の人はそういう知識を常識として持ってた
現代人はそんな知識不要だし知らん人のほうが多い、だから「方角間違えた」は現代人の発想なんよ >>100
それは投馬国への行程で邪馬台国と直接関係ないぞ
不彌国から投馬国に行くなら南に水行20日、邪馬台国に行くなら南に水行10日、陸行1月
って意味や ゴッドハンドが埋めた石器等がまだ埋まってるかも知れないせいで正しいことはもう分からんやろな >>139
書いてはいないが、仮に書いてたとしても古代の中国人は一線越えたら人数でも距離でも盛りまくるからなぁ >>145
方角を間違えた(もしくは適当に書いた)のは陳寿であって航海人じゃないぞ >>149
上司は確認しようもないし、めっちゃ遠くまで行ってきましたって報告書だもんな >>146
うん、邪馬台国に行くために南にめっちゃ行ってるよね そもそもこの頃は九州と畿内は別の政権が存在してたろうしな 福岡でええやん
博多美人は卑弥呼の血筋にしようや
卑弥呼も美人になってええことだらけや 九州まで来たは来たけどそれ以上は行きたくなかったから聞いた話で書いた説
これなら岡山でも奈良でもありえる 卑弥呼=日巫女説は中国語発音をなんも考えてない中学生的発想でしかない >>146
たった水行10日やで
行程に従えば中津あたりから当時の技術で水行10日で行けるのは国東半島の南のあたりや 邪馬台国がしょっぱい九州の村落で近畿にでっけぇヤマト政権があったと考えるのが妥当やない? 日本の起源が中国の公文書でしか確認できないってぶっちゃけ最大の恥やろ
記録残せや その当時日本には文字すら無いバカ猿が争い合ってる島国だから卑弥呼っていう悪口あだ名みたいな名前つけられてんだよね
これ学校で例えると、隣のクラスのカースト最上位グループの女をヤリマンビッチって読んでるようなもんなんだよ 案外中国地方ぐらいの中途半端な所だったらおもろいんやけどな >>164
口伝派が文字なんてものを認めなかったんやろうなぁ
いつの時代も新しいものは否定されるんよな >>157
考古学的に確定しないとロマンのまま
中国だって二里頭遺跡が紀元前2000年の夏王朝かどうか確定してないから存在自体がロマンのまま >>164
日本文明の起源が中華文明にあることを恥と思うやつなんてかなり重度のネトウヨだけやろ >>157
史料を100%信じたら邪馬台国は海の中だぞ >>173
史料批判は他の根拠があって初めて成り立つものやろ
なんかよくわからんけど方角間違ってそう、とか言い出したらきりないやん 大和政権のときには国軍がいて、のちに武士が反乱するまではそれで西日本は治まってんだよな
卑弥呼のときはまだ国を治める段階じゃなかったんじゃねえのかなあ 九州の地名はいっぱい書かれてるのにいきなり奈良になるのが謎すぎる >>176
きりがないから確定してないんやん
今の歴史学のアプローチを変えろってこと? 自称邪馬台国が複数あったって感じじゃないの?
あんな大昔なら名乗ったもん勝ちみたいなところあるやろ >>166
>>152で君が出してきたサイトよく読んでみなよ
>>146と全く相違してるから 学者がご飯食べるためにここ数年はずっと同じような水掛け論繰り広げてるだけだからな
それこそ金印でも見つからない限り確定はしない >>174
そもそも魏志倭人伝と太平御覧で違うことが書かれてるからな
>>184
は?どこが違うんや?? アニミズム的に
祭礼で雨乞いをする一部族があったよ
って記述やろ
その国の支配地域なんて書いてないはずやで >>186
金印が見つかった場所が邪馬台国とは言えないやろ
少なくとも志賀島が邪馬台国なんてことはない >>186
金印が見つかったところで、移動させたとか隠したとか言われるだけじゃね?
志賀島に金印あったけど、そこが王権の中心地だったとはならないように 九州にもあったのはあったろうが奈良説やろな
知り合いの学者さんもそう思っているようだ >>187
自分で貼ったソースだろ
自分で読んでこい 魏志倭人伝の記者は日本に来てないから「よくわからんけどそれっぽいこと書いてるからわからん説」が有力らしいな 邪馬台国は文字がなかったとかそんなわけがない
文字がなかったら中国とも交易できんし金印なんてもらえるはず
それなのに記録が何一つ残ってねえのはほんまクソ >>192
全然違うよ(どこが違うかは指摘できないよ)
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