江戸の町人「毎日米7合食べます毎日風呂入ります風俗充実してます喫煙率96%です」
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そうなんか
鬼平に出てくる軍鶏鍋とか鯉の洗い羨ましと思ってたわ >>83
雨季になると毎年洪水で誰か死ぬの普通だった時代がすげーわ
古い一族は山に住んでる意味がそう言う事だったんかと実感したわ
平地なんか人が住みだしたの江戸時代とか結構最近の場所多いしな >>82
そりゃ内陸地域の話でしょ
日本橋の魚河岸なんて一日に千両の金が動くと言われるほどの活況だった >>82
だからなんでお前の地域の話を一般化したんだよ
遠洋漁業をしてないというだけであって普通に沿岸漁業はしてた
だからこそニシンの金肥なんかが生まれたわけでね >>80
それより「東北」っていう雑なくくりが嫌やわ 雨が降らなくて上流の農民が水をせきとめて下流のやつらがブチギレることがまぁまぁあったらしいな >>85
うちの婆さんの実家の地域今でも鯉料理屋あるからな
鯉の煮付けとか食っててちょっとびびったわ 風呂に1日何回も入って肌をパッサパサにするのが粋なんや >>91
凶作が起きる時は東北全般に一気に広がるのが当たり前だから飢饉に関してはひとまとめでも何の問題もない 海の向こうではステーキもシュークリームもあったんやろ?
哀れな民族 >>95
長野県のお宿で食べた鯉の煮付け
身もいっぱいついてて凄く美味しかったよ
また食べたいなあ >>74
やりすぎると沼田藩のように直訴からの改易コンボで追放やぞ
庶民に直訴という両刃の剣を持たせたの有能やわ
直訴=死罪やから大して困っていない無駄な訴えを減らしつつ本当にヤバい政策しとる場所だけが浮かび上がる仕組みになっててうまい
死んでも言いたい事ならどんな立場の人間でも交渉や正規の手段をすっ飛ばして言える
画期的やわ 寄生虫・梅毒罹患率クッソ高いです
魚は大体腐ってます
丁稚とかいうタダ働き児童奴隷制度あります >>90
それは塩漬けに出来るからだな。普通の庶民は海の魚なんか高くてめったに食えんよ
港町と限られた地域だけだよ >>105
しかもルックスの良い丁稚はしばしば先輩の奉公人に掘られちゃうという闇深 丁稚は白米食べ放題だったんじゃないの?
田舎の農家の次男三男でいるよりは恵まれてたんじゃないの? >>102
なんか食った事ないけど、旨いとかは親戚もみんな言ってる
死んだ婆さんが鯉料理屋で働いてたらしいけど
昔は結構稼げたらしいとは聞く >>107
その限られた地域が江戸大坂といった大都市
そもそも日本で栄えてた都市はどこもかしこも沿岸ばかりで、例外は京都くらい
それを「(例外的な)一部の地域」というのは無理がある
そもそもお前は「海に出て漁業をしてなかった」と自分で言ったのを忘れてるぞ >>89
いや親父港町に住んでたけど、他の魚なんて高くて簡単に食べれないからアンコウばかり食ってた話を散々聞かされてたからな
漁師とかはそりゃ簡単に食えたけど >>111
それでも、「漁で食えてた、年貢として魚を納めるほどの漁獲量があった」のは一部地域だけちゃうかな?
内陸部とかの米の収穫量の方が遥かに多かったと思うんやけど、どうやろう
他とレスバしてる最中でスマンが冷静に考えると漁師専業と米農家当時の人口比を考えるとやな >>112
君の親父の話なら、そりゃ精々が昭和時代の話だろ
なんで江戸時代の話に昭和のエピソード持ち出して反論してるの? 鯉料理は美味いよ
あと鮒ずしも好き嫌いはあるけど高級割烹とか置いてるところある
オーナーが好きで置いてるところ多いけど日本酒と合わせたら最高
それで話盛りあがって一杯サービスとかしてくれたりもあるよ >>111
だから江戸と大阪はそう言う技術が発展してただけだろ
川の権利で藩同士が殺し合いしてたから、うちの先祖が仲介役やらされてたんだし
海の物なんかだいたい素潜りで女の仕事だよ >>113
いや、「漁業だけで食ってる専業の漁師」の話なんて誰もしてないじゃんw >>114
江戸時代の時も輸送や保存なんか簡単に出来ないよ
そもそも大量に魚取っても売れる場所や、量がわからなかったらすぐに痛むんだし
だから山にサメ食う文化もあるだろ? >>113
漁と魚食文化の有無を問うてるのに漁獲高と米の生産高を比較するのは的外れすぎやろ >>118
輸送の保存も出来ないから、獲ってすぐに売ってたのよ
それでも東京湾や大阪湾みたいな良港では、多くの人々が口にできるほど沢山の魚が獲れてた 酒屋が惣菜提供するようになって日雇い労働者が買って帰るあたりの時代見てみたいわ >>122
君がそういう方向に話をズラしてるからでしょ >>124
病気は寺社仏閣にお参りして治すのが庶民の基本だからな >>106
はえー、川下りって数キロくらい流れるイメージやけどな。
要は一発で上流まで引き上げるじゃなくて何度も水車で刻みながら遡上するってかんじか。料金想像つかんけどセレブの遊びやろな >>121
なにをレスバしてるか知らんけど江戸時代の漁は主に沿岸を漁場とし、陸(おか)に寄ってくる魚をとる方法が主流でした。その中で漁具や漁法が発達し、漁業が大きく進歩していきます。
ここでは、当時実際に行われた様々な漁法の一部をご紹介します。らしいで >>120
漁と魚食文化の有無があったのは沿岸部程度で米作っとる内陸部には殆ど回ってなかったんじゃ?
面積と人口比や生産高で言うと一部の地域という指摘は妥当では、と言う意図になるわけやが >>125
いやズラしたと感じるならどうズレたかしてきてくれんとただの印象操作やん あの時代は年越すってのが一大イベントなんやろな
寒い冬と食うものなくて餓死とか凍死とか普通にありそう こうゆう江戸時代スレではどうしても19世紀前半~幕末までの江戸市内の話になってしまうから意見の相違は出ちゃうよな
ワイがおもろい思った話はマグロが江戸で食べられるようなったのは
江戸時代前期~中期に海流が変わってそれまで房総半島沖でしか取れないかったマグロが
三浦半島沖で取れるようなってからって話で小田原の鮪焼きみたいのが昔は名物やったとか >>132
子供がマジで速攻死ぬから、婆さんの実家の墓子供の墓だらけでビビったわ
兄弟が幼い時に死んだり親が30歳持たなくて片方さっさと逝くとか普通だったらしいからな >>132
年越しにはタイを食べるために近所の人で金を出し合って分けて食べてたとかおもろいわ >>135
エッチしようや!みたいなノリで誘うなや
打ち首やぞ >>140
一揆は個人やなくて組織やからオウムみたいなもんやないか >>130
だから沿岸・内陸問わず漁と魚食文化の有無の話やろ?
内陸部の海魚・生魚の食文化の話なら魚尻線の話にもなるぞ 乾物も保管や輸送中に虫に食われるとかネズミに食われるとか普通にありそうだからな
しかも昔は道路が整備されてないしな
平成なんかも初めはそこら中砂利道だらけで、奇麗な石探し近所の子としてたし
まあ昔の人が塩漬けやサメや熟れ寿司にこだわってた理由もこの辺なんだな >>134
マグロも下魚だったし鰯なんて肥料やもんな >>143
海の魚がどれだけ食われてたかって話やと思ってるけど>>63起点な
漁と生魚となると川魚も入るけど起点とズレてくるな 一揆とかもぶっちゃけ餓死してしまうなら、略奪殺ししようって事だと思うけどな
北方遊牧民が病気で家畜が大量に死んだから、どうせ餓死するぐらいなら中国で略奪しまくろって論調と同じだろ 「玄米とか言う貧乏人の食い物wwwワイらは白米食うでーwww」 >>131
>>63が「昔は海で漁なんか殆どやってなかった」と言い出したので、「いや、漁やってただろ」と反論してるのがここまでの流れ
漁をやってた人間が、それだけで食ってたのか兼業だったのかなんて話は誰もしてない >>147
>>63起点やと「昔」の定義が曖昧やから「海での漁がほとんどなかった」がいつの時代なんかはっきりせんことには話にならなさそうやね >>3
未来人「65歳まで働いて83歳には癌で死亡、令和のなにが楽しいんや?」 >>150
「漁で食えてた、年貢として魚を納めるほどの漁獲量があった」地域が少なかったのでは
という疑問を呈したわけやが、なぜ「漁をやってた人間が、それだけで食ってたのか兼業だったのかなんて話は誰もしてない」という指摘になるのがわからない 健康寿命が80とかなら楽しいかもだけどそんな人は稀で寝たきりとか含めての寿命だからね >>151
そやな、ニキも博学やし不毛やからやめとこっか、ワイの負けでええんで >>155
交わしたいレスの前提がワイらでズレてしまっているのが不幸やったな
きみの言いたいことはよくわかるし掘り下げたいんやけど今はそんな話してないってのがこれまでのレスのすべてなんや >>153
単に、君が話の流れを無視して見当ハズレな疑問を呈してるというだけ >>3
今は30とヤって性病移される
江戸時代は10〜15が当たり前18で行き遅れのBBA30で引退
それで梅毒になって不幸か? >>157
いやお前に関しては人にズレてるとか言っときながら自分がズレててワイのせいに責任転嫁しとるだけや なお庶民の飯w
tps://imgur.com/aashbJJ.jpg >>160
農民は白米なんて食えんやろ
これでも恵まれてる方 >>151
輸送するには塩が必要だから、木材が必要になる
木材が必要なら山から持って来ないと行けないから、必然的に川から木材を運んで来なきゃ行けなくなる
そもそも魚がメインと言うより塩と木材の交換が始まりで、塩を持って来るついでに魚を塩漬けに持って行くのが始まりだろう >>159
>>111は漁で食えてたかどうかの話なんかしてないのに、唐突に>>113で漁で食えてたとか年貢を魚で収めてたとか関係無い話題をねじ込んできてるんだから、ズレてるのが君なのは明白でしょ >>162
見世物みたいのにジュゴンだったか江戸まで運んでた記録があったような? >>164
干し魚にしたらコストも安く持つと思うんやが塩に臭みが移るし肝心の塩が湿気る塩漬けという手法はどうなんや
あぁ、でも塩輸送の副次効果としてならアリなんかぁ、うーん? >>164
すまんけどその始まりってのはいつの頃の話なんや? >>126
地域に民間療法とか薬草なんかは昔からあったけどね >>165
あっ、もういいわ君ミスリードして勝ちたいだけの小物と判断したわ
絡んでるもう一人と比べて知性を感じないんよ、またどこかで会おうや 江戸時代で一番安寧に暮らせそうな時期っていつ頃やろ それっぽい動画みてきたけどこのスレのほとんど嘘やん
おまえらなんで平気で自分のイメージを事実だと思ってしまうんや???
たびたび飢饉があったからそのときの逸話のイメージで固定されてるだけやで >>168
日本の塩作りの起源まで探らんとダメ出しな
そもそも塩は人間も動物にも必要だからな
ただ日本は大昔は界面がもっと高くて、昔はここが海だったとか親戚から聞くからな
うちは賀茂ともゆかりあるからなぁ >>171
江戸暮らしでいうなら飢饉もあるからちょっとアレかもやけど1820年代後半~1830年代前半とかやったら文化も成熟しつつ幕末期みたいな物騒な争いもないからええんちゃう >>3
もしかして平均寿命で40歳で死ぬとか言ってる? 戦後の闇市で煙草1本単位で売ってたらしいな
そんな何も無い時代も面白く過ごせたのかもしれんな >>173
食えないから次男や三男は土地や家を継がせられないから、船乗りになって貿易船行きか
跡継ぎいない家に嫁ぐか >>177
死んだ爺さんの妹みんなキャバレーで働いてたらしいわ。馬鹿が散弾銃家に打ってる奴が、しょっちゅういたらしいが >>163
それ茶漬とか5杯以上食うからな
江戸には茶漬け屋がたくさんあって一人7杯8杯食ってた >>163
この朝昼がメインで夕飯はさっとすませるというのが正解だったという事実 一日の初めに米いっぱい炊きます→朝は炊き立て、昼は冷めてる、夕飯のときはこちこちなので茶漬け
すべて利にかなってる無駄のない生活やったわ >>21
切り捨てた奴がそれ自体では無罪になったけど別の理由つけられて結局なんらかの処罰せれるから、無礼打ちなんてほぼなかったんよな
それ知っとるガラの悪い町人なんかはワザと武士に絡みに行ってたらしい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています