安倍晋三も可愛く見えてくる。最悪総理殿堂入り「近衛文麿」さんの功績。
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1(一)支那事変不拡大方針(実際には即拡大)
2(左)トラウトマン工作の打ち切り
3(遊)日独伊三国軍事同盟の締結
4(捕)南部仏印進駐
5(中)帝国国策遂行要領決定(事実上の対米開戦)
6(右)日米諒解案に合意せず条件を吊り上げ
7(二)北部仏印進駐の際の武力行使容認
8(三)興亜院設立→長崎会談の中止
9(投)大政翼賛会の結成
控え
松岡洋右の外相登用
国家総動員法の制定 1(一)支那事変不拡大方針
7月7日に発生した盧溝橋事件に対してすぐさま不拡大の方針を閣議で確認。
しかしそのわずか8日後には何故か1,000万円の予備費支出を決定。
さらに7月26日には陸軍が要求すらしていないのに新たに9,700万円のシナ事変予算を閣議決定、おまけに7月31日には追加で4億円、
不拡大方針とは裏腹にどんどん予算をつぎ込んでシナ事変を拡大させていった。 2(左)トラウトマン工作の打ち切り
駐日独大使ディルクセンと、駐支独大使トラウトマンの仲介による日支間の和平工作。
支那事変を早急に解決したい近衛文麿はもとより陸海軍もドイツ提案の仲介案に異論はなく、国民党政府側にも異論は無し。
何事も無ければ昭和12年12月の段階でシナ事変は無事終結する予定であった。
ところが内相の末次信正たった一人が強硬に反対、何としても賠償金を取らねば講和は認めないと強硬に主張。
近衛自身は事変の早急な終息を望んでいたが、末次たったひとりの強硬な反対に流されるかたちでトラウトマン工作は中止に至る。 3(遊)日独伊三国軍事同盟の締結
近衛自身はドイツとの同盟に慎重(対米関係悪化の恐れあり)だったが、松岡洋右の強硬な主張に流されて同盟を結ぶ。 4(捕)南部仏印進駐
陸軍が強硬に主張、海軍も大賛成。
近衛も「陸軍がそんなにやりたいならいいんじゃない?」とあっさり賛成。
南部仏印進駐に反対したのは松岡洋右ただ一人。 5(中)帝国国策遂行要領決定
「10月上旬までに日本の要求が貫徹される目途の無い場合には対米開戦を決意する」との内容で、事実上の対米開戦を御前会議にて決定。
近衛自身はあくまで戦争反対派であり英米協調路線が望ましいと考えていたが、東條陸相および陸軍の強硬な主張に流されるかたちで対米開戦を決定。
(但しこの決定はのちに白紙に戻されて、正式に対米開戦が決定したのは11月5日の御前会議) 6(右)日米諒解案に合意せず条件を吊り上げ
この提案を見た全員がこの案に大賛成だったが、外相の松岡洋右が外遊中で不在であったため、松岡が帰って来てから正式にアメリカに返事をすることに決定。
ところが松岡はその案が自分の手柄ではなく、民間人(外交の素人)によるものだと分かった途端に激怒。
2週間以上も返事を送らせたばかりか日本側から新たな条件を突き付けて交渉を難航させた。
(さらに正式な外交ルートを通じてコーデル・ハル国務長官に嫌味を言う始末、ワザと破談に追い込もうとしたとしか思えない)
近衛自身はここで日米交渉を成立させたかったが、松岡ひとりの強硬な反対に流されるかたちで交渉が拗れた。 7(二)北部仏印進駐の際の武力行使容認
シナ事変の徹底遂行と南方進出(仏印)に際する武力行使を容認する決定。
第二次近衛内閣組閣後わずか4日目にしてこれを採決、以降これを根拠に北部仏印の際の武力行使が正当化されていく。 8(三)興亜院設立→長崎会談の中止
今度こそ支那事変を終息させるため切々と宇垣一成に外相になってもらうように懇請。
「宇垣さんに外相をやってもらえないのなら自分は内閣を投げ出す!」とまで言い切る。
宇垣は国民政府との早急な和平を目指す事を条件に外相を引き受けて孔祥熙との和平交渉を進め、
あと一歩で交渉が成立するというところまで追い込んだ。
しかし近衛は長崎会談の直前になって宇垣から外交権を取り上げる(興亜院への対支外交の一元化)。
近衛自身は和平推進派であったが、宇垣に出世されると困る石原莞爾一派の強硬な反対に流されて和平のチャンスを逃した。 9(投)大政翼賛会の結成
近衛としてはこの新体制でもって軍部の暴走を抑えるという目論見があったが、実際は軍部の方針を支える役目を果たした。 国際社会から徹底孤立させといたぞ!もはや開戦不可避だ!
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でも僕は戦争に自信ないから退陣するよ(笑)東條がおやりなさい(笑)
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東條ヤメロ!!戦争ヤメロ!!平和が一番!!
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ほら見ろ!やっぱジャップ負けたやんけ!GHQはん!ワイが新日本の憲法作りまっせ!!
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GHQに実は戦犯なのバレたから自殺するわ… >>14
それいっとけば馬鹿な支持者を騙せるからな
現代でやってるのが維新と自民 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています