ブッダ「神はいない!死後の世界はない!私が死んでも個人崇拝するなよ」
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いや神はいないとか言ってないよ
そもそもブッダが解脱後に別に衆生を救済する必要がないのに教えを説きに山を降りたのは梵天(古代インドの最高神)に説得されたからやとされてる 神よりも悟った者を上位に置いただけやね
死後の世界はないも言ってない聞かれたときに沈黙して答えなかっただけや 輪廻転生(有機物/エネルギーの循環)、諸行無常(世界に目的などない)
後世科学的に正しいとされたものに一番近かったというな ブッダ「死後の世界はないけど死んだらまたこの世に戻ってくるぞ」
ブッダ「その流れを断ち切りたかったら解脱するしかないぞ」 キリストさんもユダヤ教徒で独自解釈のユダヤ教を拡めてただけなのに
自身を神格化されてキリスト教なんてもん作られちゃったからね 最後は確かに書いてるみたいやで
「この世で自らを島とし、自らを拠り所として、他人をたよりとせず、法(ブッダの教え)を島とし、法を拠り所として、他を拠り所としてはならない」と『ブッダ最後の旅』のブッダの死に際に説かれてるんやって >>3
あいつは金持ちの跡取りが女遊び激しくて嫁とか妾に詰められて
めんどくさくて若い男の愛人と家出しただけのやつだからな 死後の世界はないやなくて、考えても分かりようがないんだからそんなことに時間使うな無駄、やな 現存する仏舎利と言われるものを全て集めると人間数体分の(以下略 いくら賢人とはいえ紀元前5世紀の人やしね
いくらブッダとはいえ当時の社会的な常識から完全に自由になってたわけじゃないんちゃう?
諸行無常とか縁起とか四苦八苦とかは現代でも通用する素晴らしい思想やけど輪廻転生は当時のインド社会に支配的な考え方でほぼそのまま採用してるみたいやしカースト制は否定したけど 仏陀の輪廻転生はバラモン教とはちょっと違うかもな
ブッダの世界観やと業(自分のした行為とその結果)が輪廻すると考えたんや
Aさんが死んでからBさんに生まれ変わるときにBさんにはAさんの業が引き継がれてるんやそれが永遠に続いていく悟りはこの業による循環を断ち切る行為や
書いて見て思ったけどワイマジで詳しいな BさんはAさんの業を引き継いでるだけやから人格としては別やそもそも仏教では無我(非我)が説かれるし
輪廻転生は生まれ変わりの物語じゃなくただの業の継起を説明しただけらしいニー仏が書いてた
だからこの自我は死んだら終わりみたい 仏教ニヒリズムすぎてなぁ
他のインド哲学のがええわ 死後の世界否定してないやろ
否定するまでもなくそんなん無いのが当時の常識やったんやから なんで論争になるんや?
仏教ってのは無をありがたいと思う事なんだろ?
ほなら真実を追究・定義したいという人間の愚かな欲望から解脱して、論争をやめるべきでは?
仏教徒なら。 結局お釈迦様って何したから偉いんや
ようわからんわ >>27
ただの詐欺師
実際釈迦の教えの通りに行動して悟りを得た者は一人もいない >>28
「悟りを得る方法」には言及してないんやないの? >>27
死んだら別の生物に生まれ変わる
ええ事してればカースト上位に、アカン事してればカースト下位や人間以外に生まれ変わる
ほなら良い事しようや
けど良い事にするも限界があるしカースト下位はそもそもええ事する余裕が無いわ
せや!とにかく苦しい事難しい事すればええねん!こんだけ大変な目にあったんやから来世は明るいで!
って考えが基本としてあった
それやと結局来世も来来世もずっと苦行せなアカンやんアホちゃうって言った >>29
欲望の多い環境から離れろとか自分の内面を見つめろとかは言ってる >>30
でもそれを西成のシャブ中のおっさんがブツブツ喚いててもなんとも思わんやろ
なんでみんなお釈迦様偉い偉いってなったんな 結局宗教が偉いとゆう話も偉くないとゆう話も
その人自身が勝手に思いついてることなんだと気ずいたなあ
伝統とか権威とかとは実は関係がない、ただのその人の思い付きだって
吉田松陰が過去の偉人に学びなさい、大衆についてゆくなとゆったのも
うなづけた >>33
大量におる苦行信者や別解釈のレスバに自信ニキを全部返り討ちにしたから 仏陀の弟子たちって仏陀が生きてる時から好き勝手やってたからな
女を教団に入れたり戒律を必要以上に厳しくしたり >>35
何かソクラテスやキリストみたいやな
レスバに強い奴が崇められるんか ブッダが説いたのは苦を滅する方法や
ブッダが悟る前に快楽を追求したのも苦行を追求したのも苦を滅するため
両方とも苦を滅することはできなかったからその間の中道を見出したわけや
そんでその方法を教えてもらって確かに苦を滅することができたと実感した人がブッダを尊敬したってこと ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています