豊臣秀吉←日本統一したこいつがなんか微妙な評価に落ち着いた理由
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
晩節に秀次殺したり利休殺したり
天才ではあったけど自分の死後も続く治世を思い描くまでには至らなかった
その点徳川はようやっとる いかりや長介に気に入られた後に天下とった志村けんみたいな人だよな >>17
恐怖政治敷くと後々に悪影響でると見てきてたからやろ >>10
統一後の粛清はどこでもやってないか
徳川だって二代目が結構やったやろ >>17
「殿、糞を漏らして逃げ帰ったのですか!」 >>25
始皇帝は秦国初代ではないからちょっち違う >>31
新政府軍の役人に東照宮の柱に小便かけられたが そもそも織田信長の人気が高すぎて豊臣徳川は霞むんよ >>34
家を継ぐ子孫が残ったかどうか
残ってたら1代で潰してもあまり悪くは言われない 昭和の頃は大人気やったんやけどね
大出世した人とかは大抵太閤となぞらえられてたりしたし 文禄でやめとけばまだなんとかなってたかもしれんのに
秀次死なすわ和平でメンツ立たないからって再侵略するわ
しかも後始末せず死ぬわで完全に老害 まあ朝鮮出兵で大失敗したからやろ
これでもし半島を切り取ってたら間違いなく日本史最強人物として持て囃されてたで >>43
農民の子から天下人になった、内政改革によって中世を終わらせた、朝廷を復興させた、海外進出という前代未聞を行った、とか日本史上空前の人物だからな
今人気ないのがおかしい 平成天皇って豊臣秀吉の件で韓国に謝罪したの?
土下座した方がええやろ あの時代にソウルを1ヶ月も掛からず落として
朝鮮半島全体も3ヶ月で落としたのはクソ強い
そりゃ大国の明と互角に戦うわ いうて自民がやらかして世襲を嫌う風潮が強まってるからそろそろ秀吉再評価路線くるやろな
どうやっても晩節は美談にならんが哀愁はある 昭和は「貧しい身分から出世した秀吉すごい!」なのに
今は「貧しい身分でも有能な秀吉を重用した織田信長すごい!」のがよく聞くわ >>49
女好きで大量の側室抱えてたのに子供出来なかった秀吉が
なんで淀君だけ2回も孕んだんやろなあ… ついでに自分はぬくぬく日本にいたまま
指示してたから戦闘も交渉もタイムラグが酷くなって
事実上小西と加藤が窓口、そして2人は不仲という
舐めとんのかと ホントに一般人からあんなトップまで行けるもんなの?絶対なんかおかしい >>49
巨体デブだな
ちびまる子の藤木みたいな絵とは似ても似つかん
相撲取りみたいな感じだったか >>49
浅井長政が180cm超えてたし淀殿も170cm近い
確実に母親の血が影響してる
大きくなる要素がある遺伝子なのに
子供の頃から栄養のある食事してたらそれくらいになるわ 直属の部下がパッとせんイメージあるな
能力はあるにしても仲が良くないのか >>58
普通はどれだけ行っても織田家の一家臣で終わる
つまりおかしいのは本能寺や 毛利小早川とかに無駄に重要ポスト与えて今日まで続く長州閥の礎を作った戦犯 三英傑で一番好きやわ
なんなら日本史の人物でトップクラスに好き 実際秀吉なんか完全に統治なんか出来てないぞ?調べると出て来る
江戸時代後半になるまで徳川もたいした権力なんかない 野球に例えると
日本統一→リーグ制覇
朝鮮出兵→日本シリーズ33-4
晩年→お家騒動フロントゴタゴタ主力FA移籍のオフ
秀頼→FA組の主力にボコられ最下位独走100敗
こんなイメージ 信長はオシャレ髭イケメン、秀吉はチビ猿顔、家康はデブハゲ >>75
江戸幕府が衰えたのは港の統治に口出し始めたから 統一するより敵がまだ存在する時のほうが強者感あるわ
小田原攻めてるときの戦力なんかはテンション爆上がりやろあれ >>72
知ったかぶりかな?
統治を独裁国家のトップみたいなイメージで考えてそうw 出世幅で言えば秀吉(農民?→関白)と伊藤博文(農民→従一位、公爵)のツートップらしいな >>64
>>66
はい!
たとえばなにか戦いが強くて高成績で武力トップになったとしてもその後に公家たちとレスバで勝てるくらいの勉強とか芸術家を理解するくらいセンスないといけない一般人がありますかあのネットのない時代に 昭和の頃は絶対的スターだった秀吉を
「実はエグい奴なんスよw」って変化球で描くムーブメントが生まれた気がする
一種の逆張り
「花の慶次」が先駆けだった気がするんやが
もっと前にあったっけ? 本能寺はあれだけの事やのにその後の根回しのなって無さ考えるとやっぱ突発説なんかね >>70
羽柴筑前守秀吉
は好きやけど
太閤豊臣秀吉
は嫌い
豊臣が大した抵抗もできず家康に倒されたのは大体晩年耄碌して数々のガイジムーブしまくったせいやからな >>85
農民もピンキリやからなあ
現代で言うなら零細企業平社員と中堅企業社長を一緒にするようなもんやし 種無しのくせにどエロ
いや、種無しだからこそエロを突っ走れるのか
永遠の謎だ 戦前の価値観だと海外に遠征した秀吉はかっこいいって扱いやったらしい 太閤検地と刀狩は日本史上最高の政策だよ
日本が海外の世界史教科書に乗せられるのはこのふたつだけだと思う
秀吉は戦争の人じゃなく政治家だったのさ お家が潰れたから
ただでさえ子供が少ないのに身内を処刑したり 落ちぶれていく様も含めて人間らしくてすこやわ
辞世の句もなんとも言えない儚さがある >>87
単に虐殺しまくったのを言っちゃいかん風潮があっただけ
特に関西方面では今でも関白様の悪口は言っちゃいけないみたいな空気がある >>96
版籍奉還の方がすごいかな
一瞬で封建社会を中央集権制の近代国家へ変えた
武力による強制なしに 最近急に伴天連追放とかキリシタン処刑とかが評価されだしたよな >>98
住み慣れた、我が家に、花の香りを添えて
ってやつやな。泣いたわ クルセイダーキングスだと長子相続一点狙いするから仕方ないよね庶子が不運に見舞われても 橋下が総理大臣になってたら部落出身から
国のトップで並ぶか超えたかってレベルやったんかな 自分が死んだ後のことも徹底的に考えて動いた家康
自分が死んだ後のことを見誤った秀吉
ここの差やね
戦闘勘は功績見るとすごかったんやろうけど
その後の世の中でもトップに立つ器ではなかった >>100
まぁアレも
借金肩代わり
江戸生まれ江戸育ちやから東京に帰れる
ていう特典あったからな
殿様にとっては渡りに船やったからな
中央集権やれたのは幕藩体制の人材やシステムをそのまま引き継げたしのも大きい 今はどんな作品でも猿は英雄的に描かれんからなぁ
センゴクですら出来るだけ株落とさんよう気使いまくって描いてたし チビです
ブサイクです
晩年トチ狂いました
うーん 戦強かったしキリスト教止めて奴隷止めたしな
あの頃の欧州の植民地化の黄金パターンは宗教から奴隷貿易もあったし
生まれの問題で後ろ盾がなかったのと子宝に恵まれなかったからあんな感じになったのかね 花の慶次は秀吉の負の側面も触れたけど天下人の威厳もちゃんと描いてたからトントンやろ
嫌われ者の三成を最初に男前にしたのは慶次だと思う 成り上がったとはいえ結局農民だったコンプレックスに勝てなかったよね NHKがネガキャンしまくってるからな
NHKのコンプライアンス的に対外戦争を美化出来ない
だから秀吉が全部悪い!って責任押し付けてとにかく秀吉を悪く描く >>117
徳川みたいに理由つけて俺は源氏や!って言えるだけの精神力必要やったな >>84
実際藩の統治に江戸幕府が口出しするまで日本全体の統治なんかたかが知れてる
秀吉なんか西日本で調子に乗ってただけだよ。東日本なんか全く影響受けてる痕跡ほぼ無いに等しい
秀吉が日本全体統治出来てたなんて嘘だよ。記録に無いんだし >>116
左近の三成は綺麗な三成やったけど
慶次の三成はクソ野郎やなかったか >>101
まあ宣教師は日本で信者を拉致して海外に売り飛ばしてたからな
あれがバレたから秀吉のバテレン追放令や家康もキリスト教を禁止した >>119
ワイは天皇の落し胤や!って言ってたんやないの >>116
いや普通に司馬やろ
あいつ三成好きすぎるわ 末期に関しては時間が足りなかった、これに尽きる
北条倒して名実ともに天下統一してから死ぬまで10年無いんやぞ >>122
最初に出会った時がクソ野郎だっただけや
へうげものと同じ >>123
社会で歴史習ったワイ「はえー信者は踏み絵だの処刑だのされて可哀想」
何故なのか 去年の大河とか酷かったな
無い話でっち上げて秀吉は醜悪な悪いやつ!ってイメージをとにかく植え付けてた
正義の家康と悪の秀吉って感じでプロパガンダ臭かったけどしゃーないか
家康の子孫も秀吉をクズに描いてくれって要望出してたみたいやし >>128
島原の乱が原因じゃないっすかね……
オウムどころの騒ぎじゃないぞあれ 山崎と賤ヶ岳に勝って以降は物量で押し切って天下統一までいった感あるんかもな
上の2つの合戦は関ヶ原に匹敵する天下分け目の戦いだからもっと評価されていいと思うわ 信長って病死してたらイメージぶち壊しや
あの結末完璧すぎる 信長は彗星の如く現れて型破りしまくって後一歩まで迫ってたけど最後は腹心に裏切られ壮絶な最期で華がある
家康は現代日本まで続く江戸太平の世を作った初代
ってのがあるけど豊臣ってその家康に滅ぼされた狭間ってぐらいのイメージしかないからな 伊達政宗←この何したかようわからん奴が第人気な理由 >>126
家康は豊臣潰してすぐ死んだんだから言い訳するな😠 >>24
粛清はやるけど後継者を粛清してどうすんねんと、どう考えても秀次生きてれば全然違ったがな。 >>137
眼帯設定は大河ドラマ発祥らしいな
サンキュー世界の珍カス 秀吉は子孫残ってないのが痛いわ
大河とか大体子孫にインタビューしたりある程度要望聞いたりするけど秀吉はそれが無いから描かれたい放題
家康の子孫に秀吉のことは醜悪に描いて欲しいって言われてもそのままにしかならんからな 子孫がプロパガンダする時間が無かったから
後世で言われ放題になったのはある、自業自得だが >>126
その残った時間の使い方が頼らないといけない身内の粛清と無謀な外征やし本人のせいやろ >>130
キリスト教禁止
↓
海外から援軍来るから島原で挙兵だ!
↓
援軍来ないじゃん…
↓
終了
この流れ 「花の慶次」の秀吉で一番感心したのは
三成「朝鮮出兵でガチっスか……」
秀吉「日本にはもう恩賞でやれる土地がないんや……」
「褒美も出せないのにワイみたいな奴に誰がついて来てくれる?」
って泣きそうな顔で言ったシーン 三谷幸喜が真田丸で家康は凡人なりに人間味ある、秀吉は天才特有のサイコパスに描いた辺りから扱い逆転した感じ 大河の秀吉も今見るとメチャクチャやなあれ
くっそつまらん 信長関連の方が秀吉なんかより東日本でも影響あり過ぎるし、古くからの末裔も多い
秀吉関連の末裔はむしろ江戸後期の移民ばかりだよ。東日本にだいたいいるの >>140
本人はなるべく隠したがってたそうやしね(像とかも両目で作らせたとか)
目立つ眼帯はするはずもなく 政権の形が不安定やったからなぁ
鎌倉幕府は公卿である将軍の政所、家の識をもとに幕府という組織で一部の国政機能を担ってた
室町幕府は足利義満が公卿として将軍の政所、家の識をもとに幕府組織の正当性固めて
尚且つ公卿として治天の君の院別当やって公武合体を成し遂げたこと、源氏長者になったことで
幕府としての権威を上げることに成功
秀吉政権は関白なり太閤としての政所が政権組織として機能してた面があるからな
だからこそ官位官職ナンバー2だった内大臣家康が政権の主導になるのは当然だった
秀頼は幼く官位官職もない、秀吉の政所は秀吉死後はその正当性はない
そうなると官位官職高い家康がそれを運営して自分の公卿としての政所で運営していくのは当然の流れやからな
家康と朝廷はその点で利害一致してた
だからこそ官位官職さらにあげ征夷大将軍宣下と源氏長者になり
幕府という形として運営することになった
で、家康は幕府存続を確定させるために秀忠に将軍職を秀忠に譲る
ただ関白家の豊臣羽柴氏はどっちつかずの存在やからな
お公卿さんなのか武家なのかちゅーとはんぱ
武家ならば武家の棟梁将軍の下につくのは当然やからな
ただ摂関家でもある
まぁ大阪の陣おきますわ 信長「鉄砲三段撃ちしてません、楽市楽座は六角のパクリです、割と仏教は大事にしてました」
イメージ返して😭 朝鮮軍ボコボコにしたで!町をいくつも占領したで!大勝利や!
…で、どうすんの? >>138
秀次もそうだったし利休も名だたる大名を弟子に抱えて先生と呼ばれていたわけでね
影響力を恐れず生かしておけば秀頼の情勢は違っただろうな >>135
ずんだもちの産みの親みたいなもんやから
ずんだもんの産みの親と言ってもいい >>149
実際子飼武将のほとんどが秀頼に付かずに家康についた時点でそうやったんちゃう? >>135
毎日朝昼晩食事のメニューを考え続けていた料理研究家おじさん 秀次一網打尽にした
恨み持ってる淀を嫁にした
見事に淀に潰された ノッブの方がなんとなくかっこいいからノッブ好き好き勢がノッブのこと過大評価しまくるからしゃーないんや >>130
漂流したスペイン人「スペインは宣教地を世界中に派遣して信者を増やして国を乗っ取るのがうまいんや!」
秀吉「キリスト教徒殺そう」
残当 >>157
秀次殺したのが悪手や
摂関家豊臣羽柴家には秀吉の死後家康より官位官職上の奴おらんかったからな >>156
よっしゃ!鉄鍋と陶工おみやげにしたろ! 家康は豊臣家を乗っ取った簒奪者!裏切り者!
秀吉?信長の後を継いで天下統一を目指した忠臣だよね
一昔前まで残ってたこの明治史観が気持ち悪すぎた
秀吉も同じ簒奪者だろというね 朝鮮出兵とかNHKは絶対背景にある事情に触れようとしないよな
兵士の雇用問題とか明の海禁政策とか貿易都市寧波とか
全部触れずに秀吉が狂った!秀吉の愚行!としか描かない >>161
独眼竜政宗の蒲生氏郷を接待するシーンす氏郷「絶対毒入ってるから食わんで帰るわ😡」
政宗「ビビりすぎやろあいつ俺の料理美味え😋」 徳川につく人間が多かったのは「農民あがりの猿の一族がよお」みたいな一種の差別意識の影響も絶対あったと思う >>131
むしろ秀吉って藤原顔なんだよなアレ
和歌山とかに見る顔 >>169
どんな事情があれあんなもん愚策以外の何物でもない >>159
いや大坂の陣時点で名前のあるやつは豊臣側なんか誰もつけんって 信長:全盛期に死亡。ゲームでかっこよく描写
秀吉:晩年が無様過ぎる。フィクションでもどうあがいても猿キャラ
家康:盤石の長期政権を築く。狸なので美化は限界がある >>173
家康を簒奪者と叩きながら同じ事をしてる秀吉は持ち上げる風潮だった事を言ってるやで >>167
いや秀吉は織田家優遇してるんよな
ちゃんと嫡流に本拠地与えて織田一族も政権で優遇してた
そんでわざわざ織田家の血を引く後継者を用意してたから織田家もそれを容認した
だから関ヶ原と大阪の陣も織田家は豊臣についてる >>168
島津は藤原家と長谷川家に政略結婚してる痕跡があるな
島津顔って特徴あるから、今でもよくわかる >>168
鎌倉幕府の草創期メンバーやし徳川とかは内心見下してそう 勝家がすきだから秀吉は認められねぇんだ
清洲会議以前の羽柴秀吉はすき >>156
半島で米がほとんど取れなくて本土から輸送しないと駐留軍が持たないのほんま草
あと水も悪くて大名クラスでも病気になった地獄 >>168
大正義密貿易ばい
明清からの情報もゲットできもす 秀吉は兵農分離と検地を徹底したのがかなり評価高いやろ
これが無かったら徳川の全国統治もあり得なかった 秀次や千利休とか
具体的な謀反の内容も分からんのに処罰される >>167
うーんその発想自体がまた変やからなぁ
官位官職誰が上かというのが日本では地味に意味と力持つからな
これが幕府という組織があるならその限りではないけども
信長政権も秀吉政権も
信長も秀吉も本人の官位官職は高かったが本人が死んでもその権力が正統性をもって続く構造にはしてなかったからな
そういう意味で信長と秀吉は古い人間というか戦国大名やったね
家康は朝廷から一定、ある程度の権限を持つ組織である幕府という箱に目をつけたのがポイントやね >>179
それに関しては豊臣家が貧弱だったからとしか言いようがない
秀吉でいう反抗してくる信孝だけ倒したら家ごと滅亡してしまいましたて話やし
豊臣家の親戚筋の木下家はちゃんと家康から大名に取り立てられてる >>172
実際は農民じゃないだろ
貴族だろどう観ても秀吉
もろに古い藤原系の顔だぞあれ >>186
そのせいでちょくちょく反乱起きてた
特に東北 >>192
お前は秀吉の写真でも見たことあるんかいw 秀吉は今悪く言われすぎな時期やと思うで
実は悪いことしてる!←戦国武将としては別に普通のことしかしてない
織田家を簒奪した!←普通に織田家を厚遇してて後継者にも織田の血を入れたから公認されてた
朝鮮出兵!←当時としては対外進出自体はやる理由がちゃんとある
秀次事件!←そもそも後継者が無くなりすぎた不運。急に後継に据えた秀次は罪人切り殺したりしてる
結局描き方次第で全然擁護出来る話でしかない >>186
刀狩も検地も以前から行われてた事なのにさも秀吉が始めた画期的な政策ですみたいなプロパガンダが浸透してるのもやばいんだよな >>182
島津家は近衛家の荘官兼御家人の家やからね
そこいらの鎌倉御家人とは分けが違うからね
この関係が幕末に力を持つ >>192
関白としての肖像だからこそそういうテキストで描かれた可能性を考えないと >>197
刀狩り検知はプロパガンダってより教科書レベルやし >>183
あいつも出自ようわからんよな
流石にサルよりはまともなんやろけど 千利休は大名同士を繋ぐから危険視されてたとかあるんかな 朝鮮出兵でイスンシン将軍は日本最強の武将、脇坂安治をやっつけたんやから大したもんやで >>166
朝鮮通信使が迎えに来たけど職人は帰るのを拒否したのは有名な話
日本の方が職人に対する待遇が段違いに高いから良い暮らしができる >>203
組織作りに置いてめんどくさい立ち位置におったからな
肩書きや役職の割に政権内で影響力があったのがね 林←旧臣
佐久間←旧臣
森←旧臣
柴田←どっからか来た
明智←どっかから来た
木下←どっかから来た 織田信長って冷静に考えると日本人がメチャクチャ叩くタイプよな
なぜ人気なのか割と謎 最近は晩年の秀吉って悪く言われ過ぎやろ
ちゃんと検知やら政策推し進めて近代社会を礎を開いたし滅茶苦茶好き勝手してる訳でもない
朝鮮出兵で雇用に溢れた兵を外にやったから国内は安定した
そんで朝鮮出兵自体は野心じゃなく貿易やらの利をしっかり狙った行動やった >>196
晩年の奇行が周知されるようになったから回復は無理や >>208
色んな側面あるからな
誰かのハマる側面を持ってる
だから人気なんやろな
家康がイマイチ三英傑で人気低いのは家康は側面があまりないからやろね 朝鮮出兵はウヨサヨの集中砲火に遭うからみんな触れたくないねん
「花の慶次」も原作はあれ朝鮮出兵して現地妻もらってくる話やからな バテレン追放したからや
ロスチャイルドロックフェラー勢力にわからされてるんや >>209
まあ結果が全てやからな
結果たった2代で滅ぼされた
それ以上でも以下でもない 織田信成って本当に信長の子孫かはかなり怪しいらしいけど顔つきに物凄く説得力があるよな >>199
村上内藤家の系列の顔しとるけどな
和歌山行った時ビックリしたわ >>211
それってNHKが誇張したプロパガンダ的な晩年やろ?
史実で秀吉の晩年ってそんな奇行に走ってたっけ
実はしっかり政務に取り組んでるように見えるんやけど >>217
あの詰めの甘さは間違いなく信長の子孫だとか言われてて草 >>216
武家関白家の豊臣羽柴家は終わったが
家自体は木下家として旗本として存続したからな
あまり知られてないけども 家康は部下からしたら安心感あるやろな
程良く有能でしかも健康と >>208
信長より伊達政宗やないか
ねちっこい面がほぼほぼ知られてないってのが大きいんやろうけど >>208
織田信長は好きでも織田信長に仕えたいなんて奴はおらんのが答えや >>212
信長が佐久間叱った書状の中に勝家はちゃんとわからない事はわからないと伺いたててくるぞ、てのがあるので
あんまトップに立って独断専行でってのは向いてないタイプやったんかもなあ
上司が居てこそ輝ける人 伊達政宗は親父がやってた外交政策ひっくり返して暴れ回るとか当時の奥州では理解不能やったろうなw 信長は「戦国自衛隊」の影響で
タイムスリッパーが集う事象の特異点になったのが大きい >>200
全国はやってないぞ?
検地も刀狩りも自分の直轄地のみ >>219
秀頼出来たからといって秀次殺してもうたから自分の死んだ後の体制ボロボロになるし
朝鮮出兵かて中国制覇が目的とかそら無理やろて
その後の家康が戦乱の世からの切り替えも後継もうまくやったからなおさら無様に見える >>205
故郷に帰れ!って言われて帰ったら帰ったで
朝鮮の港に着くなり即奴隷にされるの笑えないんだよなあ 政宗は見栄っ張りでダサい側面もあるけど見栄を死ぬまで貫いたならそれはもう立派よ 既存の価値観をぶち壊す革命児みたいなのが人気になるのはそらそうやろ
信長や龍馬や義経
実際そうだったかは知らん 織田信長とかいう後世の人間から見てスター性カリスマ性全振りの奴
歴史上一番そういうタイプっぽいのは足利尊氏なんやが 織田信長←かっこいい
伊達政宗←かっこいい
上杉謙信←かっこいい
名前の印象ちゃうか? >>235
見栄っ張りのくせにすぐ土下座するからなんやコイツってなる 確かにはじめて信成を見た時「これは信長の血を引いてますわ」と思った記憶がある 朝鮮出兵はちゃんとやる理由あるからな
当時の明は海禁令出してて貿易出来ない
戦争が無くなって兵士を雇用が溢れるからそもそもある程度戦争起こさざるを得ない
秀吉は当時世界的な貿易都市の寧波(今で言う上海辺り)を拠点にする構想持ってた
この辺は一切触れようとせずに秀吉の愚かな野心!としか描かないのがNHK >>223
インチキ除霊でオンナとやりまくって酒飲みまくって飯食いまくってフェラーリ乗り回してたから天下人みたいなもんや >>242
雇用云々なんて江戸幕府にも同じことが言えるのにそれをうまいことやった家康より無能扱いされるのは仕方ないよね 家康のみじゃ武田を滅ぼせたか疑問レベルだからな
高天神城の書状見る限り戦略は信長>>>家康やし >>237
カリスマだけど性格に難ありとか今いたら死ぬほど叩かれるタイプやな >>240
謙信さんは輝虎って名前が一番カッコよかった >>225
東北の人間がおおらかさや誠実さを持ち合わせてる訳無いのにな >>192
自筆の手紙が残っている以上(字が書ける)
農民階層出身は有り得ない バテレン追放令
↑こいつがイマイチ評価されない理由 >>244
いやだから武士が溢れて大阪の陣起きたやん
乱世が終わっても朝鮮出兵→関ヶ原→大阪の陣と徐々に兵士の数を限定していった
そもそも乱世とか動乱の後は戦略抱えてるからその力を国外にやるってのは世界史であるあるイベント >>250
フロイスかなんかが「日本は農民も読み書きができる」って書いてなかったっけ >>242
兵力を持て余そうが外征なんかしなくても混乱を起こさず統治できる事を江戸幕府が証明してしまったからな >>252
キリシタンは追放したいけど南蛮人との貿易は続けるとかいうダブスタやったから 農民かどうかはわからんにしても後ろ盾があるような階層ではなかったのは間違いないし
自分の才能だけで天下は取れてもそれ以降はどうしようも無かったんやろな ノッブは現代人から見るとカリスマ性あったように見えるだけでそういうのが凄いのは秀吉やろ
人たらしと評される男やで
なんか下から上の人間を丸め込むみたいに思ってるのが多いと思うけど実際にあったら秀吉は子分になりたくなるようなすごい魅力的な男なんやと思うで >>258
朝鮮がひたすらかわいそうやから止めたれ そもそも乱世が終わった直後は国内に何十万単位で身分が微妙な武装勢力で溢れてた
それを刀狩や身分統制で抑えつつ朝鮮出兵で正規な兵士の数をちゃんと限定した
朝鮮出兵って結果的に庶民単位では国内安定したと言えるんよな
あの時点じゃ軍事力を外にやらないと国内で暴発する可能性が高い >>236
信長 ← 室町幕府再興を願う旧体制派、義昭が暴走したからああなったけど
龍馬 ← イギリス傀儡の武器商人説が出てきたため、教科書から削除議論
義経 ← めっちゃ同僚に批判されとるw >>1
文禄・慶長の役で九州民にクッソ重税課してるんだよなぁ
税金払えねえヤツは拷問の末に殺しまくったことが当時の武将の日記に残ってる >>252
イエスズ会の奴隷貿易は世界的に封殺する流れになってるからな
猿のキリシタン追放も向こうじゃ思いついたような宗教弾圧としか見られてない >>255
だからそれも秀吉が朝鮮出兵で兵士の数限定して農民と兵士の区別つかなかったのをちゃんと区別した結果や
外征の結果として国内の戦力はある程度統制が効くようになった 源頼朝の流人からの成り上がり復讐ムーブめっちゃ素敵やのになんで不人気なんや >>260
有象無象から子飼いの有能大量に見出しとるから人を見る目もあったんよな
寿命と種無しが政権崩壊の主因やろうから割とどうしようもない部分な気がする 朝鮮出兵や秀次粛正で政権の死期早めたとはいえ結末は変わらんかったんちゃうか
権力基盤が脆弱すぎる 秀次切腹は最近の調査だと
軽めの処罰で済ますつもりだったのに
メンタル病んでた秀次が勝手に抗議の切腹をして
メンツを潰された秀吉は引き下がれなくなぅて苛烈な粛清に切り替え
という流れなんやっけ >>265
マジかよ秀吉ってほんま悪人やな
徳川様は美濃の治水に駆り出した程度なのに 江戸幕府の安定は秀吉が地ならしして適度に暴君して滅んでくれたのも大きいわな >>231
臣下となった大名連中に検知やらせて提出させた
それで出来たのが天正御前帳
家康は関ヶ原後の論功行賞をスムーズにやれたのも豊臣政権が天正御前帳を作ってたからな
刀狩に関しては刀狩令に基づいて【兵農分離】を諸藩に進めさせた点が重要なの
自衛の武器に関しては農民など平民も武装の権利があるから認められてた
それは後の江戸幕府にも引き継がれて島原の乱があって細川が武器を徹底的に狩れと進言したが
江戸幕府は武装の権利が平民にもあることを理由に進言を採用しなかった
綱吉政権後期になるまで平民であっても江戸は刀一本差して街中歩くのはOKだったしな
(時代劇では浪人が二本差してるけどあれは正しくなく一本差し、犯罪したら町奉行管轄になるのも士分やが平民と同じ扱いなのも納得やね)
苗字帯刀の権利というのは公の場での話であり二本差せるかって話やからな
これは諸藩でも違い長州藩はかなーり緩く士分格でない中間などの身分でも二本差して苗字名乗れたところもある >>237
尊氏って実績が意味不明過ぎて気持ち悪いからなー
スター性やらカリスマ性ってのも常識の範囲内でやってもらわな人気出んって 朝鮮出兵は戦後処理も兼ねてるやろうしな
明まで攻める予定だったけど朝鮮がいくら何でも不毛の大地過ぎて明までは明らかに無理やったから現地の判断で秀吉に内緒で講話を結ぶ羽目に
朝鮮出兵で評価上げたの泗川の戦いの島津と講話した小西行長か? 北条早雲「割といいところの生まれです、北条早雲じゃありません」
これ割とショックだった >>270
頼朝尊氏家康の中では頼朝がいちばんハードモードだよね >>237
あれは日本一のヒールだったのよ仇敵みたいなポジション
ただ吉川英治のおかげで地位はよくなったけど 家康が優秀すぎたわ
そら250年も徳川の天下になるわけだわ >>281
そもそも源氏vs平氏で綺麗に分かれて戦ったことなんかないやろ アホ「〜は大兵力でゴリ押ししてるだけだから将としての器は平凡」
大兵力を整えて
勝てる戦に順当に勝ち続けるのが名将なんだよなぁ そもそも相次いで子供が長生きしなかったのが1番痛いやろな
何故か殆ど触れられないけど秀吉は信長の四男を養子に貰っててそいつが本来の後継者やった
でも病弱で若くして無くなって急遽後継者に据えられたのが秀次
兄弟揃って種無しやら養子が早死にするやらが1番致命的やった 信長「桶狭間!!! 本能寺!!!」
秀吉「い、一夜城! 金ヶ崎の退き口!」
家康「あの、ウンコ噴射で空も飛べます……」
やっぱ手持ちのエピソードの格差がそのまま出てるよね >>269
朝鮮に向ける兵力はほぼ西日本から徴集して東日本は手付かずなのにどんだけ都合が良い設定になってるんだよ
夏の陣の後も国内に数十万の兵力が残ってたしな >>295
家康の一番有名なエピソードが鯛の天ぷらで昇天だからなぁ >>279
その検地は差出(旧制)をそのまま提出しただけだから太閤検地は全国規模ではないとバレとるよ >>295
後世のライター「ありとあらゆる武将を恐れた家康!」
↑ネガキャンが過ぎる >>296
一応東日本の諸大名も名護屋までの参陣は命ぜられてたぞ
すまんが兵力どれだけ連れてとかの知識までは持って無いが >>291
ワリとガチに死んだぞ
あいつ、僅差で夕張市長になりかけててワロス >>292
東京ディズニーランド(千葉)
築地銀だこ(群馬)
丸亀製麺(兵庫)
みたいなもんやね言ったもんがちや 羽柴のままやったらまだ人気あったような気もする
あとノッブが猿言うてたんが悪い >>290
家康クラスの相手だと戦術で上回られて戦力差ひっくり返されて講和するしか無くなってるからなぁ >>295
小牧長久手の家康の用兵はマジで有能やったぞ
戦略戦術ともに完璧
秀吉にその上の政治で負けたけど >>272
親戚や郎党少なかったのがね
親戚も多くは武将としての能力高いタイプばかりやったしな
家格は摂関家になって位人臣をきわめたけども
その政権を維持する為の組織や官位官職がなかったのがね
こらは桓武平氏が清盛死んだあとにも共通するけども 秀吉って検知と兵農分離で溢れまくってた国内の戦力コントロールしてるんよな
そんである程度まとまった戦力を国外に出した結果国内が安定した
その後の安定はこれがかなりデカかったと思うけどなぁ >>308
それも込みで物語の主人公って感じはするわ >>299
歴史好きじゃない一般大衆で一番有名なエピソードやろ
秀吉の懐草履と双璧や >>302
マジでか
ワイ府民やからふと思い出してしまったわ >>290
前田利家が豊臣政権でほいほい出世出来たのって何気にそっち方面の才あったからなんよな
小牧長久手・小田原征伐とか見事なもんやし奥州に対しても地味に仕事しまくってる
大体スルーされて何して出世したんやこいつ扱いされるけど >>298
一部の地域はな
石高制に置き換えて尚且つ丈量検知を大規模に導入したのは確かやからな
あと土地の権利関係を一本化したのも変わらぬ事実な >>309
武家のくせにけ形骸化してる関白を選んだのが失敗だったな
当時の武士の価値観では関白はなんの権限も無い金魚のフンで忠誠を尽くす相手は征夷大将軍だったのに 日本統一ってより属国化じゃないの?
当時の国の単位は都道府県レベルやろ 治世💩だったしなよく庶民寄りの気さくなおっさんみたいなイメージ作られたもんだ 最近はなんか晩年過剰に悪く言われすぎ
NHKの影響がデカいんやろうけど
もうちょい先になると秀吉の晩年もある程度再評価されるようになると思うわ
そんなに暴走もしてないし近代社会の礎は形成したってことで 秀吉みたいな有能でもアンチ抱えとるのがおもろいわ
三傑はそれぞれ日本史上でも屈指の傑物やろ 秀吉は晩年の老害感エグいからなぁ
秀頼が産まれなくて小早川秀秋が跡継ぎになってたら豊臣の世は続いたんかなぁ?
家康はなんやかんやで子孫が統治し続けられるシステムの構築に尽力したから評価出来るけど >>319
中国で言えば王莽や煬帝みたいなもんやしな
一瞬天下は取るけど暴政によってすぐに滅亡 >>307
家康は高天神城の降伏を受け入れようとしてたけど
信長に戦略面で待ったをかけられてたの見ると戦術しかないんよな 家康(自分が死んだあとも統治できるようにしました)
これ最強だよな >>316
だから差出をそのまま提出だから導入してないってw まぁ確かに晩年で醜態晒したのは信長も一緒やのに
信長は全く言われんしな >>315
仲良いからかと思ってた
正直何したか名前の割にはよう知らんな利家 日本人は逆張りやから一番凄い奴をクソってことにしたいんや
源頼朝も人気ないやろ 確かに信長や家康がラスボスのゲームはあるけと秀吉がラスボスって聞いたことないな >>317
室町幕府が将軍と源氏長者を兼ねてたのもあるからな
関白もたまたま転がり込んできたもんやしな
秀吉は官位官職を武家に与えるという点でそれ以前の為政者と似た感じやわね
その結果公家の官位官職が圧迫されたから武家官位を家康は作ったわけで
それを将軍の権力権威の源泉の一つとしたのは画期的やったな >>330
信長はちゃんと隠居して後は信忠が万事うまくやっていくはずなんだよなぁ ハリウッドドラマ「将軍」のおかげで海外じゃ今徳川家康が大人気らしいな 明智光秀も有能だけどな
あの頃の厄介ごとだいたい光秀が片付けてる 晩年の秀吉って実はいうほど暴走もしてないし安定した政治してるんやけどな
検知と兵農分離で村単位で情勢収まったし朝鮮出兵で溢れた兵士が暴走するのも防いだ
重商主義的政策で国内は商業的な流れが進んだ
なんか最近のイメージで過剰に暴政してた!って無根拠に言われてないか? >>329
一部の例外をさも全体のようにお前語るよな
そういうとこでも石高制に書き直されて提出されてる点、丈量検知を大々的に採用した点、土地の権利関係を一本化させた点
は太閤検地の成果な 朝鮮出兵
大学教授は中国朝鮮に都合悪い事書くと予算減らされる >>340
言うてその徳川おらんかったらもっと早く瓦解してたやろ
タヌキが猿の下にいるから諸国抑えられてた面もあるやろし 武力が低いイメージ
信長や家康よりヒョロガリのネズミ猿みたいな印象のせいかもしれん >>342
でも関ヶ原で一斉に造反されましたよね?
生前ロクでもない奴だったから恨みを買っていたのでは?
という理論 秀吉って色々とコンプレックスすごそうでなんか嫌だわ
見た目も育ちもコンプまみれそう >>344
刀狩りも太閤検地も秀吉直轄地しかやってないよ
差出をそのまま提出しただけだから測ってすらないw
石高制も信長時代から混在してた制度 >>336
そもそも江戸時代じゃ庶民が戦国語るのは半分タブーやから評判も何もないけどな
戦国時代の出来事を太平記や室町時代に置き換えて語ったりしてた
そもそも人気が出るも糞もない >>349
あれは三成がオラついたからというのもあるけど
そんなやつを上のところにつけてたのはまあ秀吉やしな >>349
恨みよりは単純に損得ちゃうの
後継体制をまともに作れなかったからこれ以上豊臣家に仕えるメリット無いわと >>353
40超えたら政宗にシワ増えてびっくりしたな。そのゲーム >>349
いや関ヶ原は東軍も西軍も豊臣を庇護するため!って理屈やろ?
そんで五大老五奉行は事前に陥れた奴以外ほとんど西軍ついてるけど >>349
そもそも関ケ原は理屈の上では豊臣vs徳川じゃないから武断派が反旗翻したわけじゃないけどね >>360
毛利とかついたはいいけど動かんとかいうムーブしてるの草 >>341
光秀くんは本能寺の前に信長が命懸けで負傷してまで救ってくれた本願寺との戦を思い出さなかったんかな
ここまでしてくれる大将は中々おらんで >>354
というよりあの時点では豊臣政権は官位官職最高位の家康が政権トップやからなぁ(まぁ好き勝手やりだしだけども)
その結果反家康勢力のクーデターやからな
そりゃ秀頼が西軍に担がれて出てくるわけらねーもんな 肥後はじめ秀吉統治下の一揆件数めちゃ多いっす晩年耄碌したみたいなのもイメージだな信長麾下からエグい事はやってるし
清正みたいな当時は恨まれまくって後年その恩恵に預かった人間が業績を評価したって類でもないしな 信長が死んで織田家から権力を簒奪したのが秀吉
なのに秀吉は死後に家康が豊臣家から権力を簒奪することを防げなかった
家康は死後に権力を簒奪されないようにしっかりと基盤を築いた
この1点だけで秀吉は家康より無能と言わざるを得ない 天下の取り方が鮮やかすぎるから
理解できんもんは語れんねん >>349
関ヶ原は建前上どちらも豊臣側定期
不満が溢れ出したと言うよりもその不満を解消出来る権限を持った秀吉がいなくなった影響が大きい 仙石秀久
こいつ信長→秀吉→家康と絡みあるし、大河ドラマにしてほしいんやけどな >>367
別に家を簒奪したり乗っ取ったわけでもないからねぇ秀吉も家康もさ
朝廷から主家より官位官職上げてもらったらもうそりゃ独立してやっていくもんやしね
幕府という形が例外やからな 晩年人前で失禁してたのは
現代で言う認知症だったんだろうな >>367
いや秀吉は簒奪してないやろ
むしろ織田家を厚遇してるのは結果見てれば分かる
なんで織田家が関ヶ原でも大阪の陣でも豊臣についてたと思ってるねん
実質的に織田の血が後継者に選ばれてて織田家は優遇されてたから ワイの霊感なんやけど豊臣秀吉の評価って景気に左右されてる感ない?
不景気のときは立身出世に非現実性が増して評価が下がりがち 後継失敗して滅亡したからに尽きる
むしろ徳川幕府の敵として叩かれてるのになお評価高いから凄さが分かる 朝鮮出兵編の「感動の展開で終わった全国大会の後の蛇足世界大会編」みたいな評価すき >>363
藤堂高虎&松永久秀「俺ら主君すぐ変えると言われてるけど、取り立ててくれた恩のある主君が死ぬまでそんなことしていない」
明智光秀「存命中でも義昭や信長裏切りました」 秀吉は家康を始末できなかった時点で割と詰んでるんよなあ
関東へ放りやるとか生温いことではなく朝鮮に出兵する暇があったら兵力総動員してでもまず家康滅ぼしとかないと
ここは家康はしっかり学んで豊臣本家は根絶やしにした上で関ヶ原で敵対した連中らは外様として徹底的に力削いだよね >>373
織田信雄は秀吉にブチギレられるまでは秀吉に次ぐ官位官職やったしな 朝鮮出兵お疲れ様〜wあ、恩賞はありませんww
秀吉が生きてるならまだしも死んでるし荒れるに決まってるのよな 再来年の大河は秀長やけど、まーた秀吉を薄っぺらく描くんやろな 秀吉は三法師を傀儡に織田家そのものを乗っ取ったが
家康は政権機構も軍事力も人材も政治制度も全部自前で用意してるからむしろ簒奪要素がどこにも無いんだよな >>163
まぁパイオニアのほうがそらイメージいいやろ
秀吉はどうしてもまず信長ありきやしな 少なくとも今の京都、大阪に住んでそれなりの生活レベルにあるやつは豊臣秀吉に足向けて寝たらあかんよな >>379
そもそも家康の官位官職上げまくってたのは家康を征夷大将軍にして関東から東を家康に統治させる気でいたという説もあるからなぁ
鎌倉時代の鎌倉幕府
室町時代の関東公方
と同じように当時は東と西を分けるのが一般的って認識もあったみたいやしな >>1
驚異の二公一民の税率やぞ、五公五民でヒーコラ言ってる現代人ならどうなるか >>385
むしろ織田家を優遇して豊臣と織田を掛け合わせるのが秀吉の方針やろ
そもそも秀吉の後継って養子に貰ってた信長の4男やからな
そいつが早死にしたから急拵えで織田の血を引く秀頼を用意した
秀吉が織田家の扱いに気を遣ってたのが分かる >>385
豊臣家は自滅でしかないわな
家康に逆らわなかったら摂家でいられたやろ
朝廷と幕府という関係でいられた 明治維新の時に首都を大阪にするか東京にするか揉めてた頃に東京をゴリ押ししたのが前島密だったとかで
大阪では前島密が嫌われてるみたいな話聞いたことある >>385
別に織田家乗っ取ったわけではねーよ
あくまで三法師の後見役でありその役割はちゃんとその後もやったしな
織田政権はそもそも信長と信忠死んで終わったからな
豊臣政権も秀吉死んで終わったからな >>378
藤堂高虎は司馬遼太郎のディスり具合がハンパ無い
小説じゃ常に悪役 >>388
源氏の血を持ってなかった秀吉が家康を武家の棟梁にして自分は朝廷に入る選択をしたんよな
淀がそれを理解できずにあくまで武家の娘でいてしまったのがアホやった >>391
どう家の豊臣はそういう描かれ方やったな
家康に従って存続するより戦って滅ぶ道を選んだ的な >>338
???「もはやこれまでそれがしもお供いたしまする」 >>376
キャプ翼やレッツアンドゴーパターンやったら良かったのにな まぁNHKの描く秀吉は薄っぺらさが凄いわな
とにかく朝鮮出兵を良く扱いたくないんやろうけどその皺寄せとして秀吉が過剰に悪く書かれてる
秀吉をとにかく悪人にすればこいつが全部悪いです!日本は巻き込まれただけで悪くない!って理屈に出来るからな
そのために色んな要素スルーして人物像作り上げてる むしろ信長は綺麗に代替わり成功してたんだよなぁ
どこぞのアホが・・・ 秀吉が昭和に人気で現代では不人気なのは割と面白い現象だと思う >>389
秀吉「隠し田畑も親類含めて徹底的に検地しろ!畑を勝手に売ったり耕筰放棄したら死刑な!」 源氏の血が流れてないと征夷大将軍にはなれへんから仕方なく太政大臣で妥協したんやなかったっけ
やから秀吉没後の家康も当初は「武家のトップは徳川、公家のトップは豊臣で仲良くやりましょうや」ってスタンスやった >>393
大阪土地がなかったからね
東京には大名屋敷や旧幕臣の屋敷があったし
尚且つ藩の殿様家族は江戸生まれ江戸育ちが大半やったしね
幕府がなくなり幕臣が静岡に行ったから土地あったからね
土地ある、全国からのアクセスとして道が整備されてるし参勤交代の経験ある奴いるから上方より東京の方が畿内から先の連中には楽
かなり合理的な判断やわね
しかし天皇もお公家さんもよう決心したわな 恵体で無双してる感じの武将ちゃうし
知将だけどズルいタイプやし
ちゃんと朝鮮成敗する前にお亡くなりになるし >>407
征夷大将軍は源氏じゃないとアカンなんて決まりも慣例もないぞ 伴天連の人身売買ガーとか言われるけど秀吉が日本をトリモロスとか考えてたようには思えへんわ
小西行長とかガッツリ切支丹かくまってるのにスルー決め込んでたし >>404
昭和の時代は低学歴からの成り上がりも多かったから
あやかりたいってのあったんやろな >>396
秀吉死後に完全な武家になるか摂関家になるかを選択できなかったのがね
武家摂関家という時代の徒花がよくなかったわね 落書きした奴の住んでた区画ごと皆殺しとか現代人が受け入れられんやろ
むしろ今の政治家が優しすぎるのか >>407
養子でいけたけど足利義昭に拒否られたんや
それで当時誰がなるかで揉めてた関白にちょうどよくおさまった 大阪人や京都人はゴリ押しや不正がなければ東京なんかが首都になるはずがないって先入観持ちがちやからね
家康以前の江戸は寒村だったみたいな説も自身の功績を強調したい家康さんサイドの思惑と関東を低く評価したい関西人サイドの思惑が悪魔合体して生まれた俗説感あるし >>404
別になにかに因果関係が有るわけじゃなく歴史の語り口って常に逆説繰り返すジャンルやから わりとノッブより酷いことする感じがなぁ
当初の謙虚なチビ猿農民キャラと合ってないんよ 歴史って常にイデオロギーが絡むからな
勝った側が前任者を悪く言うのは歴史の常
こいつはこんなに酷かった!それに対して今の自分たちは〜って理屈に出来るから
今の秀吉はそういうバイアスも働いてるやろな
結局勝者の都合が優先されるのが歴史
平等な史観なんて存在しない 朝鮮出兵めっちゃ面白いのにワークニではちゃんと触れとる作品少ないよな
『群雲、関ヶ原へ』とか最近やとセンゴクの作者のやつぐらい 素朴な疑問なんやけど、織田信長が本能寺の変で死なんと生きてたら家康はどうしてたんや? >>426
家康がどうしてたかというより信長が家康をどうしてたかのほうが気になる
正直もう邪魔になってきとるやろ >>425
へうげものでもやってたぞ
あの漫画戦は本筋じゃ無いから戦闘や戦況はほぼすっ飛ばされたが >>427
確かに
信長が変な事しそうなら徳川四天王が黙ってないやろうけど >>416
秀吉「ワシは信長のように甘くはないぞ」
ガチで書いてたけど信長も失敗にはスゲー厳しいんだよな >>418
ていうか江戸って前から貿易港として発展してたやろ
それを家康厚遇してた秀吉が本拠地は経済考慮して江戸がいいんちゃう?ってアドバイスした
何故か後世で何もない僻地に策略で送り込んだことにされたけど >>430
秀次の謀反はガチで企んでた説もあるしな >>428
へうげがあったか
清正が痔やったのは覚えてる 秀吉に関しては功罪色々あるけどバテレン追放令したのは英断やと思うわ
日本の若い女がキリシタンにガチで売られてたみたいやし まあいうて朝鮮出兵が否定的に評価されるってに限らず、従来無邪気に英雄視されていた人物の負の面が気になることが増えていったこと自体も大きいと思う 本能寺無かったら信長が天下統一した後に
粛清祭りだったかもね 信長はあのままやったら太政大臣やったろうな
実際一番有力やしな
信長は権威主義者で基本は旧来のしきたりを尊重する人物やしなら >>432
他の候補地としては小田原もあったけど小田原だと南すぎるってりゆうもあったみたいやね >>429
信長相手に徳川家臣ごときが何すんねん草 千利休が切腹したのも諸説あるって聞いたけどどうなん? 家康って実はかなりの武闘派だよな
弓術も馬術も鉄砲も得意で武芸に秀でてるし
それでいて体動かすの趣味で飯にこだわって体づくりにも余念がない健康オタクだし 中国の皇帝だかも統一後とか乱の平定後とか北方民族と戦ったりしてるし、やっぱ荒くれ者たちは戦わすしか無いんやろな
そういう歴史知ると国内統一後に対外戦争するのはちゃんと歴史を勉強してるんだなって感じる
秀吉意外とインテリタイプ説 >>432
江戸というか品川やな
あのへんは北条が押さえるまでは大規模勢力の下になかったし規模としてはそこまででも無かった
まあ秀吉が本拠移すまでの大坂も似たようなもんかもしれんけど 結局出自が低かったって説は今のところ正しい可能性の方が高いみたいやな
一時期逆張りで実は……みたいな可能性も検討されてたみたいやけど
出自がそれなりだったにしては秀吉を支える親戚があまり出てこないのが一番の証拠になりそう 徳川政権でも豊臣政権と同じくキリスト教布教は禁止したけど
オランダだけ貿易許可されてたのはなんでや 結局他のボンボン出身と比べて先祖代々の家臣団がおらんかったのがな >>437
結局、家康(幕府)がやった泰平の世は有力大名を削って100万石以下に転落させて
改易転封しまくって、自分の息子らに主要地がある土地を与えて固めるだからな
間違ってはいない 家康は運ゲー勝者でもあるわな
まあ運も才能のうちや事実250年の太平の世を作ったんやから >>445
乱世を収めた後は兵力の行き場に困るってのがあるあるの流れやからな
そんで対外戦争が必然的に始まる
そういう見方すると朝鮮出兵って実は割と理に適ってたりする
結局どう見るかで歴史の評価なんていくらでも変わる >>448
他のキリスト教国への対抗上、うちは布教しないですよ貿易させてくださいみたいな姿勢を取ったからみたいやな >>435
底辺出身やから「まかり間違ったらワイも売られとったかもわからんなあ」って気持ちやったってのはサルを善人視しすぎてるけどすき
生まれたときから上流階級やったら「ワイは嫌な思いしてないから」で流すやろし アメとムチを巧みに使い分けて政権持たせててんけど、権力がデカくなりすぎたのと本人の癇癪とで皆がムチを本気にするようになっちゃった人って感じやな >>432
言うてその代わりそれまでの徳川の所領明け渡すことになるし
関東を貿易港として発展させる目論見もあったやろけど同時に徳川に関東の治世に押し付けて動きを抑えつけようって腹もあったんやないかなと 夜な夜な橋で尻出して人脅かしてたやつが捕まって名誉のために匿名で切腹とかもあるし
対して理由書かれずに切腹したやつはこういう類説 いつも思う
信忠が生き残る
秀次が切腹しない
この世界線 秀吉の朝鮮出兵の理由は
・シンプルに秀吉がイカれた説
・朝鮮というより大陸の明の領土が欲しくなった説
・国内で戦が無くなったから武士の不満を抑えるガス抜きの為説
のどれかなんか たまに「戦国武将に学ぶ○○」みたいな本出たりするけど武将に学んだら総じて「イケイケの家の後継者に生まれるのが大事」って結論にしかならんのではと思う
ごくまれな例外はともかく >>453
>>456
はぇ~オランダは賢いんやな
スペインやポルトガルはそこまで知恵回らんかったんか 戦の勝率かなり高かったよな
あと出来高制の城普請とか田んぼの規格を全国統一した太閤検地とか今でも通じるようなことやってるんだよ
三英傑は今の時代でもリーダーシップ張れると思うが一番通用するのは秀吉やろ
柔軟さがすごい >>451
若いときはベリーハードやったからしゃーない キリシタン弾圧はどう考えても正解よな
あいつら宗教を道具に侵略するいうのを世界中でやった連中やし >>460
秀吉「人の夢は!終わらねえ!」説もあるぞ
あと勘合貿易復活させたい 家康「江戸も形になってきたな……」
家康「じゃ、ワイは駿府に帰るから」 日本は島国ってのが恵まれてるよな
地続きの外国とか侵略戦争多すぎだわ >>462
ポルトガルは平戸藩と戦争になって共倒れや
平戸の島より長崎のほうが港としてええやんってバレた >>448
貿易制限が無茶苦茶厳しくなって赤字だからやってられるかと撤退していったの方が近い
オランダはインドネシア地域押さえてたからまだ維持する理由があった >>445
去年の大河の大坂の陣の描き方なんかそんなんやったなぁ
家康が天下取った後も戦い場所を求めた奴らが豊臣方に集って「ワイらを戦わせろー!」みたいなことやってたし豊臣のプライドと同時にそいつらに戦い場所(=死に場所)を与えてやるためにやってるようにも見えた >>462
当時のオランダのキリスト教は天国へいける人はもともと決まってるみたいな考え >>454
良くも悪くも底辺経験した成り上がり者な特徴がよく出てるな 老害アンド老害アンド老害
秀頼君が実子だったとして権力固めきれずに滅亡だしな >>460
目的としては明が欲しくなった、だろうけど秀吉が衰えて現実が見えなくなっていたって部分もあるっちゃあるって感じやろな
ガス抜きも政治工作としてやってたってわけではないだろうが結果としては含まれてたんちゃうか
日本が天下統一されて喜んでた人ばかりじゃなくて、まだおいしい部分を十分に手に入れてない武将は新しい戦場がほしかったりもしただろうし >>460
ガス抜きと貿易やろな
明は倭寇やらの影響で海禁政策取ってたから普通に貿易できなかった
だから武力で条件引き出すのが1番方法としては早い
んで秀吉は今で言う上海辺りの貿易都市に本拠地置く構想してたから
秀吉が貿易を重視してたのは間違いない 結局早死にした秀長が重要だったんかねとワイは勝手に思っとる 日本にキリスト教が伝播じゃなくてイスラム教が伝播してたらどうなってたんだろうか
踏み絵とかやばくなりそう >>407
別にそれは朝廷からすれば任命して受諾すれば解決する問題ではある
ただ太政大臣になった足利義満が源氏長者になって以降は
源氏長者たる資格ある人間が将軍であるという認識もあったのは事実やし
足利将軍家の家職であるという認識もあった
だから反対する奴も出てきたと思われる
将軍なる際に足利義昭の猶子になり源氏に変わるという手もあるからね
関白も猶子になり天皇から姓を賜り家格を摂関家に上げるという方法がある
ただまだ敵が多かった信長的には一番魅力あって一番敵を作らないのは太政大臣やわね
譲位したい正親町天皇が上皇(治天の君になった後に院別当ないし院執権を兼ねたならかなりの権力やからな
基本的に院別当は関白はなれんしな >>462
元々布教とセットみたいな事やってたから簡単に方針転換出来なかったのが1つと
この頃から国力傾きだして遠い遠いアジアにまで手を伸ばす余裕が無かったのもある レコンキスタ完遂後のスペイン軍の南米での暴れ方を思えば
秀吉の朝鮮出兵なんて可愛いもんや >>480
勝てない
日本の鉄砲の保有量とか武器とかを甘くみちゃいかんぞ
だからどこも日本に手を出せなかった 秀吉が人身売買を警戒して伴天連追放←これは分かるけど
秀吉がスペインの侵略を警戒して伴天連追放←これは流石に無いと思うわ
当時のスペインそんな金も余裕も無いしイエズス会ってスペイン王室の指示で動いてへんし >>467
ノッブに心から憧れててノッブの夢引き継いだ説もあるよな
ワイはないと思うけどロマンあって好きやから信じたい >>482
再来年の秀長大河どうするんやろなぁ
若い内は兄弟タッグの立身出世物語として描けてもラストはどうあがいたって「ワイもうすぐ死ぬやん…でもワイが死んだら兄貴いよいよ暴走してまう…どないしよ…ウッ(臨終)」以外ないやんけ >>427
最近では所領与えられてることわかってるから信長政権末期では家臣(別格)扱いやったから
普通に方面軍の一つみたいな扱いになっていったやろね >>5
わりとこれのせいで教科書とかあまりよく描かれないと聞いた 当時は自由人の成人男性なら農民でも武装してたりとか農村も下人を抱えてたりとか水利権とかで農村同士でも争ってたりとかなかなかイメージが違うみたいやね
時代と共に禁止されていく傾向があったけど自力救済社会だったってのも大きい 秀頼の脅威にならず秀頼の困ったときに助けられる秀次の領地って何万石ぐらいやろか? 豊臣家への感謝や忠誠の言葉の入った文書が幕府に奪われれば、藩はお取り潰しになる
なので遅くとも由比正雪の乱の直後には各藩でそういう文書が焼却処分されたからな
なので秀吉やその後の豊臣家の治世が良かったという印象が消え失せた >>480
防衛戦ならなんとでもなるやろ敵の兵站もキツイし
なお勝った後の恩賞で困る模様 秀長って言うほど秀吉止められてへんやろ
闇金ウシジマくん並の財テクやってたのも唐入りのためちゃうか 秀次生きてても藤原道隆死後の道長vs伊周みたいな争いになっただけちゃうかな
んで実績と年齢の点で秀次が勝ちそう
秀吉が秀頼に天下継がせるつもりならどうあっても秀次は邪魔 >>495
室町時代よりも戦国末期の方がお行儀いいからな日本社会
大規模な戦やるには統治や決まり事守らんとあかんからギャングがヤクザくらいにお行儀よくなった 将軍や天皇とか知らんわ!ワイが日本のトップや!って武将おらんかったんか? >>500
自分の弟と息子どっちに継がせるかって応仁の乱と被るな >>502
独立は言い出せてもさすがに日本のトップは周りを切り従えないと名乗れんやろ 秀次生存ifあったとしても結局徳川と衝突するんでないの? >>502
それに近いことを大陸でやろうとしたのが秀吉 >>502
武士は基本土地と不可分なものやからな
その土地支配の正統性与えてくれるのが幕府でありさらにらに上位の朝廷やからな
正当性正統性ないと応仁の乱後のようにずーと何かしら争わんとあかんしな >>497
幕府に目をつけられる可能性を知りつつ
自分の館の開かずの間に秀吉の木像をずーっと隠し持ってた津軽為信くんすき >>502
何をもって日本のトップなんや?の一番の答えが天皇から認められたとか将軍になったとかやからな
説得力持たせるの相当難しいで
どう見ても白人や黒人が俺等こそ日本やとか言い出したら鼻で笑うやろ >1
反日カスが張り付いて常時ネガキャンしてるからだよ 秀吉が1番痛かったのは兄弟揃って種無しで養子も早死にしたところやろ
特に信長四男の秀勝が病で早死にしなければ全然変わってた
コイツが本来通り後継者なら全員が納得出来る跡継ぎと言えた
あんまり扱われないけどこの秀勝が死んでから後継者問題も生まれて色々とズレ始めた この前久しぶりに大阪城行ったけど殆ど外国人しかおらんかった スペインが壮大な日本征服計画を立てていたっていうのはさすがに違うだろうけど
でもバテレンたちも追放されたから東南アジアから兵集めて襲撃しようぜみたいな話はしてたりキリシタン大名やら領民やらに仏教寺院を襲うように教唆したりもしてたし別に平和的な布教だけが目的ってわけではないやろな >>509
三成の子孫も匿うどころか結婚させてるからな
義理堅い >>506
いや秀吉の構想じゃ天皇は北京に、自分は貿易の出来る寧波にって構想やから天皇がバリバリトップやぞ
秀吉は唐入りじゃその手の権威よりも貿易の実入りを重視してたっぽい >>515
当時は情報はわからんからな
どれくらい強大かなんてな
まぁ普通に人口的には日本の方が多かったしロジのこと考えれば
乗っ取りなんて不可能やけども当時の肌感覚では違ったろうからな >>514
秀吉像の前でニコニコしながら記念写真撮ってる韓国人とかあれ誰だかわかっとるんやろか ただ天皇が形式上のトップでしたといっても将軍が天皇の下であることを認めて忠誠を誓っていたっていうのもちょっと単純化しすぎなんだよな
現代の保守層が理想視するような天皇への忠義が基本だったら信長も「余が王であり内裏である」みたいなこと言わんだろうし >>506
なお秀吉は万暦帝から日本国王に封じたるわwと言われて大喜びだったもよう >>515
まあそれはそうやな
フロイスとかコエリョとかカブラルとか過激な宣教師おったし
行長とか黒田如水からしたらたまったもんじゃない 朝鮮よりもマカオ襲ったほうが貿易の利益もあるしよかったのかな >>525
フィクション的なわかりやすい壮大なスケールの対立構図ではなかったけどそれはそれとして武力を使って事がスムーズに進むなら歓迎みたいな微妙な温度感だったんやろなとは思う >>527
どうやって大軍送ってそれを維持するんや
台湾征服の方がまだ現実味がある >>529
どさくさに紛れて清正消そうとするの面白すぎる
失敗するし >>529
加藤清正の進軍路でも笑う
もしかしてまさか道に迷ってたとかそんな事は…… 日本のフィクション界の未来のためには信長の他にも未来人を受け入れてくれそう感のある便利偉人をもっと発掘しとかなアカンやろな
多分今信長のとこが未来人で溢れて渋滞してる >>532
サルにメリットなくね
金柑ハゲと組むより主君の仇討ちして後継者のカンバン取るほうがええやろ >>529
>>536
もしかしなくても統制が行き届いてなくてバラバラに動いてた感 >>532
戦国無双の世界線ならありえそう
でも、信長殺した時点で無理か >>534
つっても江戸時代の安定の元になってるのは秀吉の政策やからなぁ
兵農分離や検知で国内を統制して安定の礎を形成した
この辺の内政の評価はまだまだ低いなと感じるわ >>515
そらそうやろ
島原の乱でどれだけ殺したと思っとるねん
それだけ当時キリスト教が根付いてたって事 加藤清正と福島正則は関ヶ原あたりからビジョンを持った行動ができてない感はある
あれで家康の天下で生き残れるわけないやろ >>538
大内義隆とかどう?
ザビエルも受け入れて眼鏡もらったりしてるし 鄭成功が日本に援軍頼んだ時って戦国時代の生き残りおった?
鄭成功と日本対清が実現してたらどうなったやろ >>545
伊達政宗だとちょっと天下取りに遅刻した感出やすいのがネックなのかもな
>>547
一般知名度は限られるけど大内氏はかなりポテンシャルありそうやね
宗家滅亡の経緯が残念やけど
あとはイメージが微妙だが天下ってことで三好さんサイドとか 当時の日本の軍事力じゃ秀吉が鎖国を貫かなかったらヤバっかた >>548
いるにはいたがジジイやし大阪の陣出たことある奴もおっさん >>534
泰平の世って発展と拡張路線捨てて、自分の国の権力者を次々と潰して自国の監視と粛清の世の事かな? まぁ秀吉はまた来年の大河か数年後に再評価されてると思うわ
史観って常に逆張りの連続やからな
その時の評価が絶対的に正しいんじゃなく常に変動していくもの
歴史上の人物の評価には常に浮き沈みがある >>531
平等院とかも建てられた当初は極彩色やったらしいし、権力者が建てた日本の建築って基本ギンギラギンなんじゃね
今は古くなってそう見えるだけで 歴史小説家が織田信長が好きで豊臣秀吉をあまり好きじゃなかったんだろ 統一してからガイジムーブしすぎ
家康は東北に飛ばしとけば豊臣政権も助かったのに 小西行長・沈惟敬(明の使者)「もう戦はやだ!一芝居打つぞ!」
行長「秀吉様!明が降伏したいと言ってます!」
惟敬「皇帝!日本が降伏したいと言ってます!」
何でバレないと思ったんや… >>556
一番地味なのは家康やろ
くっそつまらんもん
三国志で言う呉ぐらいつまらん >>548
島原の乱の時点ですら幸村と同年生まれの宗茂が老将で、他にも戦国時代の陣地の作り方どうしてたっけ?と早くも失伝しかけてたって話も残ってるし
なかなか厳しいかと、関ヶ原で16歳の少年だった武蔵ですら50代のロートルや 鎌倉殿の13人で注目度がアップしたが
有名な戦国武将の祖先が平安~鎌倉時代に何してたかっていうのも知ってみると面白いで
鎌倉殿よりさらにちょっと昔やけど武田氏や佐竹氏や小笠原氏の祖先の源義光さんの同族殺しと裏切りの名手っぷりはホンマすごい >>562
妄想だけど両者に友情めいた信義が結ばれてたと思うんだよね
沈惟敬は命かけてるし >>557
秀吉が評価されるのは経済成長して誰もが上を目指す時代になってからやな
今の世襲だの縁故だので社会的身分が固定化された時代じゃ評価されない >>562
時間稼いでる間に秀吉が死ぬはずって計画やったんやろ
惜しかったな >>502
日本人は昔から名目上のトップを隠れ蓑にする文化やからな
鎌倉時代とか天皇を隠れ蓑に将軍、将軍を隠れ蓑に執権、執権を隠れ蓑に…とかマトリョーシカみたいなことなってたし >>562
いうて現代の会社員もバレバレなミス隠して問題になってニュースになったりするし命かかってたらバレバレの芝居くらいしたくなるんちゃうか
どうせあまり現地の詳しい状況伝わらんやろの精神で >>565
極楽征夷大将軍と逃げ若で南北朝時代を齧ったけど
戦国時代に名門と言われる一族の駆け出し時代がチラホラあるのええな >>568
幼い我が子に世襲させようとして滅亡した奴を持ち上げる言葉とは思えんなw 天皇の存在よりも「名目上は引退して家督を譲ったやつが制約のない立場で実権を握り続ける」っていうのが日本の権力構造で一番大きな独自性なんちゃうかと思う
まあ他国にも例がないわけではないだろうが 鄭成功が日本に亡命してたら絶対徳川は重用しとったと思う >>571
親父が商人
ちなみに黒田官兵衛も祖父が商人だった話が残ってる 歴史上の人物の評価は後世のインフルエンサーによる扱い方で決まる
それはそう 信長を殺した男読んでる奴おる?
今の朝鮮出兵クソ面白いわ 秀吉凄いのは宿老家の蜂須賀と黒田を要衝の徳島と豊前中津に配したことやな
関ヶ原後比較的スムーズに終わったのは蜂須賀黒田が東軍ついて要衝にいたからやしな 朝鮮出兵ってドラマだと「朦朧ジジイがアホみたいな野望でやらかした無謀な計画」と描かれがちやけど
本当に無意味な出兵だったんか? 秀吉の晩年も見方によってはそんなガイジムーブしてないと言えるからなぁ
対外戦争自体は当時じゃ妥当やし後継者問題は色々と不運が重なってる
政治自体はちゃんとやってて近世的な時代に繋がった
結局現代のイデオロギーから見て都合が良い風に解釈されるのが歴史
割と言い方次第でなんとでも言える >>582
キリストだのそういうこと言い出したらめんどくさくなるので理由つけるならそれしかない >>581
子作り
学問
和歌
儀式
承認
今と変わらんで >>582
結果論として得たものが無く奉行方と武断派の軋轢生んだだけなので
やらなかった場合いい方向に進んでたとは言えないけど >>584
わりと心理やろうなこれ
100年後安倍さんだってめちゃくちゃ有能で語られるかもしれんし
戦犯扱いかもしれんしでわからんからな civシリーズの日本代表の君主は
5が信長、
6が家康、北条時宗やけど
秀吉が出た作品ってないんか 倫理的にはさておきいうほど耄碌して計画したわけではないかもしれんが展開の壊滅的なグダグダ加減を見てるとやっぱり誰か止めるやつおらんかったんかって感想になってくるのも事実 >>565
宇多源氏佐々木氏とかいう
親類縁者が日本各地いろんなところにおって本拠地は畿内に近くて
鎌倉幕府でも室町幕府でも戦国時代でもワリとええポジにおるのに
なんとなく天下人にはイマイチ遠いところにおるやつら >>586
行きたい奴おらんかったからな
国人層や地侍層がイキって貧乏な土地やったから >>589
逆に今ボロカスに言われてる政治家も
後世からみたら将来に向けて布石を打ってた人と評価されるかもしれんわな >>582
そら実際は色んな理由があったし当時の世界情勢じゃ対外進出は時流に乗ってるとすら言える
ただ現代のコンプライアンス的に大概戦争を良く描けないし耄碌ジジイが暴走しただけ!って済ました方がNHKとかからすれば色々と好都合やろうな
だから背景にある理由はドラマとかじゃ一切語ろうとしない >>592
鎌倉殿だと佐々木の爺さんの四兄弟の末裔やね
結構発展したこともあるし長く存続してたけど本拠地が京都に近いと逆に自立性がなくてダメなのかもしれない 明智光秀と秀吉ってどっちのほうが信長から寵愛されてたん? トップがおかしくなって隣国に攻め込んだのが最近でもあったな、本人はナチスがどうこう言ってる模様 この時代の話でよく現代人の興味を引くテーマといえば名前の呼び方やけど
明智光秀に従っていた武士の手紙では「のぶながさま」「いへやすさま/いゑやすさま」って表記が普通に出てきたりするんだよな
直接呼びかけてもよかったかはともかくイメージよりは実名も身近だったのかもしれん
書くときのほうがタブーが弱いってのは世界的な傾向らしい >>597
能力を信用されてアホみたいな量の仕事を任されてたのは光秀
寵愛的な意味があるかは知らん >>573
極楽読んだけど室町面白すぎるわ
何で東国の武士が九州で再起するんかいみがわからんもん >>579
調べたら結構詳細に描かれてそうやな
歴史漫画やと唐入りってスルーされがちやから読んでみるわ 豊臣作りました←これガチですごいのに凄さがいまいち伝わらないよな >>565
小笠原分家の三好家と武田家が先祖リスペクトして身内殺しと裏切りのノルマ達成してるのえらい >>600
いつだかの大河で過労で精神おかしくなって「信長を討てばこの激務から解放される…!」の一心で本能寺の変起こした光秀もおったな >>603
天皇から姓を賜り家格を摂関家にまで押し上げたのはホンマ異常や
家格あげるのにどこも必死やったのにこれが出来たわけでな >>603
氏の概念って授業じゃあんまりやらないしな 光秀の本能寺も秀吉の朝鮮出兵と同じようなノリやったんちゃう
同じくらいの年齢の時やし耄碌して気持ちが大きくなってたんや 日本の歴史上で一番すげー奴ってなったら秀吉やと思ってる
好きかどうかは別として >>611
現代人の偉い人でもとち狂って変なムーブすることぐらい普通にあるしほんまにあれ?俺いけるんじゃね?やったんやろな
深い理由なんかなく >>605
割とそうやと思うで
還暦間近のジジイにあんなに激務やらせてたんやから
あとやっぱりチャンスやもんね 秀吉は子孫残ってないのも痛いわな
現代じゃ創作モノに子孫が介入するからその影響力もバカにならん
光秀の子孫は漫画で秀吉露悪的に描いてるし家康の子孫は大河で秀吉を悪く描いて欲しいみたいにインタビューで答えてる
こういう子孫による印象操作戦が秀吉には存在しない 清和源氏の子孫が作ってるという清和源氏多田満仲同族会って団体のフェイスブックをふと見てみたことあるんやけど
「○○は反日だから追放した」みたいな文章ばかり踊っていて同族殺しの伝統はちゃんと子孫にも受け継がれてたんやなと思った 秀吉は豊臣姓ホイホイあげてるっぽいのに清正にはあげてへんの面白いな
商人あがりの怪しい奴には許してるのに… >>615
同じ光秀の子孫やったからわからんけど「麒麟の光秀は美化され過ぎて気持ち悪かった、どう家の光秀は小物やけど筋は通ってる」みたいな評価してておもろかったわ TVドラマに刷り込まれて
海外派兵を老害扱いしてるのが既に捏造洗脳されてる証拠
自覚が全く無いのが哀れ >>582
朝鮮半島に進出したいってだけだったならまだしも中国が目標じゃ勝てるわけないやろと >>615
あまり歴史上の偉人の末裔を重んじる風潮があるのも危険やろなとは思う >>612
平民から家格を摂関家にまで高めた人物は後にも先にも秀吉だけやからな
源平藤橘などの姓としての豊臣を賜り豊臣朝臣羽柴家起こしたわけやからな
とんでもないことやで >>623
本人の功績がどんだけ凄くても
源平藤橘のようにその後に子孫つなげなかったから評価もされにくいんやね >>615
前に何かの番組で、
勝者は勝者に都合のいいように改ざんし、敗者は悪印象を取り払おうと更に改ざんするが、滅亡者は改ざんする口を持ってない、
って言ってたの思い出したわ。小早川秀秋についての話だったけど 鎌倉とか室町は戦国時代の武将のご先祖さまがちらほら出てくるから面白いよな >>624
どういう奴?
韓国の反日カルト統一教会とズブズブに癒着してる安倍晋三みたいな反日の国賊でもいたんか? 秀吉にとって朝鮮半島はあくまで通過したいポイントで最終目標ではなかったようだが
「通してもらうだけでええんやで」ならまだしも「明と戦争したいから道案内手伝ってくれやw」で協力してもらえると思うのがおかしい
もっと政治工作すべきやったな >>625
せや
摂関家豊臣羽柴家の弱点はやっぱり一族親族が少なかったことや
まぁだからこそ秀吉の偉業がより煌びやかになる側面もあるけどもね >>620
実際当時でも鄭成功が日本に明復興のための救援要請をして幕府内でも徳川頼宣は乗り気だったがあたおか老害扱いされて出兵案は却下された 頼朝「弟がたまたま天才戦術家でした」
秀吉「弟がワイより有能な実務家でした」
なおどちらも弟が死んでからぱっとせん模様
うーんこの兄 >>627
戦国時代とはまた友好関係や規模の大小が違っていたりとかそういうのを見るのも興味深い
あとは戦国武将には実は源平藤の末裔じゃない人も多いといわれるがそういう人たちの先祖候補の古代氏族の名前を見てみたりするのも面白い >>633
アケティは信長父娘が揃った一瞬を突いてるしご乱心ではなくあくまで冷静に考えた上での決断だと思うわ 秀吉の功績ででかいのは太閤検地やな
納税を農民から領主に一本化して中間搾取者を一掃した 明智くんは衝動的にやったから誰にも察知されずに信長を殺せたけど
衝動的にやったからこそ根回しが足りずに政権樹立まで持っていけなかった
あれが限界や 戦国武将の子孫って現代じゃ割と創作物に介入してるからな
自分のご先祖は良い風に描いてくれ!敵対者は悪く描いてくれ!って結構堂々と言い張ってる
そういうせめぎ合いが現代でも残ってるからなかなか平等な描かれ方なんかされない訳や 松平家もめちゃくちゃ名門ってわけでもないけど
昔からの譜代の武将がしっかりおってそいつらの忠誠は高かったのはめちゃくちゃでかいわな
統一後はそいつらで周り固めて反乱分子は蹴り飛ばせたのもその基盤があったからやし
豊臣にはそれが無くて秀吉の威光のみで従わせてたから豊臣家に忠誠を誓おうとはなりにくかった 家康ってあんま地元が好きじゃなかった印象もある気がする
天下取って自由に住む場所選べる立場になったのに隠居地も地元じゃなかったし
そもそも地元の武将に祖父殺されてたりとか若い頃離反されて苦労したりとかもしてたし 秀吉は晩年あれやけど基本的にクソ優秀だったらしいからな
安国寺恵瓊が若い時の秀吉に会って「信長はあんまりやけど秀吉は出来る男や」べた褒めしてるし >>639
教科書では何故か「農民を土地に縛り付けた」とか言ってるけど実際には
土地は農民のものにした画期的政策なんだよね それまでは
荘園小作人でしかなかった多くを農民を自分の土地を持つ「自作農」化した功績は大きいの
大名・領主は土地を持たず徴税権を持たせるだけだから国替えも簡単に出来る様になった 晩年がアレだったり暗黒面あったりする英雄は中華でたくさん見たからそんなに・・・毛さんとかもその部類だし 信長「有能なら出自を問わずに出世させる!実力主義や!」
現代人「流石ノッブは分かってるな!」
信長「実力主義で出世させた外様に殺されて
実力主義で出世させた外様に家を乗っ取られたンゴ…」
家康「うーんこの」 >>626
岡山城は宇喜多も小早川も池田もフラットに紹介してて良かったぞ >>645
そりゃ織田と毛利の同盟で義昭の扱いに糞困りしてる時だしな
恵瓊と秀吉が始めて有ったのって足利義昭の帰郷問題の時だよな? 最近は秀吉が信長暗殺計画を前もって知って利用したって風潮だからな
これから信長の治世は最悪だったって流れになれば秀吉への印象もまた変わるだろ 歴史は現実の生の人間の記録やから、
普通に間違えることもあるし、衝動的な行動をとることもある
何か深い意味があったとか、陰謀があったとか
創作物のストーリーで尾ひれがつきすぎる >>643
だから秀吉は織田家を重視してた訳やな
自分だけじゃ権威が足りないから織田の力を借りる必要があった
だから元々は信長の養子が後継者やったし死んだ後でも無理矢理織田の血統を後継者に残そうとした >>647
中華に例えたら2代で滅亡した秀吉はそれこそ凡百の群雄の1人でしかないけどな >>651
ありえないらしいが
やっぱ、得した人間が秀吉と考えると疑っちまうわ 明の海禁政策で貿易の利益を南蛮商人に独占されてたから
それを打破したいという意味なら理解は出来る
実際冊封を得た時は普通に喜んでたから、それに怒って侵攻したとかは嘘なんだよ
まあ陸軍にこだわりすぎたのは後世と同じだが >>647
毛沢東は建国と同時に引退してれば
中国史上最強の英雄やったのに出しゃばるからなあ…… 中世日本の民度が「生まれの卑しいチビ」に天下とらせるやろかという違和感があんねん
血統か暴力もしくは呪術とかで支配しやな無理ちゃうんていう
例えば朱元璋は乞食上がりやけど相当イカつい奴だったみたいやし >>654
1代で底辺から皇帝まで成り上がったやつ、流石の中華5000年でも一人か二人しかいねえよ 朝鮮じゃなく
沖縄からの東南アジアオーストラリアルードだったらなあ
まあ豊臣は海軍に明るくないからね…… 毛沢東のすごいポイントは農村から出発して天下取ったことやね
だいたいの革命家は都市部で勢力を広げるようだが
やっぱいいタイミングで引退できなかったのが悪い >>623
摂関家として生きて完全に武家大名としては一切の戦力放棄
ってやってたら公家としての豊臣家は存続できたかもわからんね
本人も淀も秀頼も含め武家に拘ったからあかんかったね >>644
そもそも駿府は家康の育った地やからな
岡崎は生まれた土地と職場やったからな >>654
いや権威が何回も崩壊して下の人間が出てきやすい中国と天皇を基盤にした身分社会が根強い日本じゃ比較できないやろ
そんな違った舞台で単純な比較するのはどうかと思うわ >>654
ニ代で滅亡した隋の楊堅は名君の誉れ高いで >>660
秀吉は皇帝ではなくあくまで天皇の威光をきた権力者だから宦官の成り上がり権力者にも近い
魏忠賢なんかそう対して変わらんやろ >>642
フリー素材と化している信長を見守る織田家はあったけえなぁ 淀から見た秀吉
・実父を殺害
・実兄を殺害
・養父を殺害
・実母を殺害
そら豊臣殺すムーブしますわ >>660
中華統一を条件にしなけりゃもう何人かはおるね
底辺の解釈次第にもよるけど 歴史上の偉人の子孫の会合って家格マウンティングとかヤバそう >>661
あの当時、日本から東南アジアまで行ける大型軍船あったんやろか
知識ありゃ作ったやろけど >>667
前線で指揮官やってるのに何と比べるんだよ >>669
淀殿って後世でやたら悪女にされたけど一次資料じゃ普通に家を守りつつも翻弄されて苦労してる感じやけどな
そもそも織田家の血筋を豊臣に組み込むって点で利害が一致してたから淀殿も織田家も協力的やった >>667
言うて日本の武家はみんな天皇の威光を来た権力者やぞ
というか今でもそうやろ。総理大臣は天皇の親任受けてやってる。
昔も同じように将軍や関白は天皇の親任受けて代行しとるだけ 統一後の対外戦争は治安や団結を確立するのが一番の目的だからな >>667
そもそも身分の固定概念も権力構造も全然違う中華と日本で意味不明な比較してる時点で話にならんわ >>24
家康も息子はけっこう処分してるんだよね。殺すまではしてないが
幕藩体制を支えた御三家は秀忠の息子ぐらい年下の家康が爺さんになってから作った子供ばっかり >>671
島津がトップやないの
皇族との結びつき強いやろ 日本でいうと室町時代あたりに明の鄭和の大航海事業が行われてるから大規模な船なら知識が伝来すれば作れたかな
ただ重量物満載で金食い虫の軍を送るとなると話は変わってきそうやね >>58
織田の前に天下を牛耳ってた三好もどこの馬の骨かよくわかっていない松永にやられたしそんなもん まあ日本の武将の自称「○○の子孫」って戦国時代どころか鎌倉時代あたりから怪しいケースがかなり多いしな
これは見栄や箔づけの捏造ってだけじゃなくて家系図が今でいう履歴書みたいな役割だったからって面も大きいようだが >>601
極楽は大河でやれそうやんな
今時の大河が好きな「戦は嫌じゃ」系の主人公やし
嫌じゃしてたせいで周りが死ぬほど苦労する話やけどな 戦国時代の覇者の割に明を攻めるどころか朝鮮半島すら抜けずという無様な負け戦で人生終えるのがね 中共ですら幹部は上流ばっかやからな
ガチもんの底辺から成り上がったのは彭徳懐ぐらいしかおらん
なお末路 >>652
本能寺は光秀がキチゲ解放して突発的にやった、というロマンゼロの説が通説やもんな 戦国武将の末裔が歴史家名乗って創作物の監修してる時代やからなぁ
現代の大河やら漫画やらは思いっきりその子孫のバイアスかかってる史観が取り込まれてる
現代には平等で正確な史観が存在してると思ったら大間違い >>674
日野富子や北条政子もそうやけど女の為政者は
「女の癖に政治の世界にでしゃばってきた」というだけで悪い面が盛られがちやからな
ただし孝謙天皇は擁護不可 >>688
言うて1人のキチゲ発散で歴史が変わったってのもロマン感じるで >>688
普通に
『ノッブを排除して毛利と足利将軍を利用したら天下取れるやんけ!』
とか考えただけな気がするな
我々は後世の猿とタヌキの事知ってるからアレだけど
細川京兆院家の糞身内争い→三好の糞身内争い→六角松永他近畿糞大名争い
↑こんな流れの中でノッブが勝ってたけど別に続くなんて保証何も無かったし 明智光秀が本能寺の変から10日後に土橋重治へ宛てた手紙によると
当時備後国にいた足利義昭を京に迎えたいと書いてあった。
つまり室町幕府再興説が有力 優秀な武将で戦闘に熟練していたが、気品に欠けていた。
身長が低く、醜悪な容貌の持ち主だった。片手には六本の指があった。
眼がとび出ており、支那人のように鬚が少なかった。
極度に淫蕩で、悪徳に汚れ、獣欲に耽溺していた。
抜け目なき策略家であった。
彼は本心を明かさず、偽ることが巧みで、悪知恵に長け、人を欺くことに長じているのを自慢としていた。
ほとんど全ての者を汝(うぬ)、彼奴(きゃつ)呼ばわりした。 >>688
下剋上らしくてロマンあるやん
ワンチャンに賭けた感があってええやんけ 秀吉は九州全然行ってないのに筑前守を名乗ってたし
当時の官位とか名字って箔付くらいの役割やったんやろうな 羽柴秀吉さんから豊臣秀吉に変わった時中身も変わったんやろ >>692
シンプルに「なんかいけそうだったからやってみた」ってだけなんやろな >>688
プリゴジンの乱見てたらミステリーと言われる反乱ってああ言うもんなんちゃうかなって思ってもうたわ >>692
今の目線だと織田信長が追放した時点で室町幕府が滅亡したことになってるけど
当時の人からしたらまーた、将軍が京から追放されてらってぐらいの感覚なんやろな
そのまたがついに戻って来れなくなったのがあの日ってなだけで >>694
再興というか、当時の大名というか武士は皆利用してた
義晴(細川高国)義輝(晴国/六角定頼)義昭(信長)みたいに
言うたらノッブだって最初からずっと義昭を奉じてやってたからな。
『地方有力者の織田が、足利将軍家をお助けしてます』と。
なお、助けながら利用してたら逃げられたもよう。 >>697
ルッキズムで満点やろ
信長やとイケメン用意せなあかんで >>677
共通の祖先持つってだけやな
伊達の先祖は政宗以前からある支流やから >>695
関白秀吉が、卑しく下賤な血筋であり、乱脈きわまる生活を過しながら、己が(神として)礼拝されようとして我らのデウスの教会を迫害していることは、国王フェリーペ陛下が、彼に対して戦争を行ない、彼を蹂躙してあまりあり、かつ効果十分な理由を有せられることにほかなりません。 >>699
羽柴秀吉 天才
豊臣秀吉 老害
こういうイメージは確かにある >>699
正確にいえば羽柴から豊臣に変わったんやないで 明智も畿内一円に武力と勢力を持ってたから、
『逃げた義昭奉じてノッブの真似したら取れるやん』と
考えても左程無理は無い感じ。
何より毛利と織田が険悪になって義昭の扱いが変わったし >>706
せやで
サンド伊達の先祖は戊辰戦争での仙台藩の講和を任された家老やからな
家名を残せたお礼に伊達の殿様から明治に伊達姓に復すの許されたくらいにええ仕事したわけやからな 足利義満と同じく朝貢で日本国国王の座を認めてもらった宗主国認定日本王やぞ >>707
イエズス会も秀吉の身分の低さ貶してる辺り当時の日本も普通に身分差別的なところあった臭いんよな
それまでは源氏だの何だのとゴリゴリの血統主義やし島津や北条にも身分で舐められてる >>694
順序が逆やろ
ノープランで叛逆して後ろ盾がないからこそ
室町幕府再興という旗印を慌てて用意したんや >>690
築山殿の悪女イメージが盛られたのもそれやしな
どう家はいくらなんでもやりすぎやったけどそれでも昭和に言われてたほどの悪女でもないと思う あと豊臣秀吉言うの違和感あるわ
源家康
平信長
言うようなもんやからな 因みに上で少し出てた恵瓊坊主と秀吉が始めて合った時というのが、
足利義昭を御所に戻らせようと説得した時だと思われる
義昭は毛利を頼ろうとしてたけど、当時織田と同盟してた毛利は
恵瓊坊主を堺だかに送って『ちょっと困ります(お前みたいな爆弾来るな)』とやってた
逆にその時に、義昭を連れ戻したいノッブが派遣したのが秀吉
ノッブは結構最後の最後まで足利将軍家の下で
権力握ろうとかそんな風に考えたフシがある >>715
京都と将軍家抱えたら天下人や!
(歴代山名・細川/三好)
当時的に言うても足利将軍家の命令と権威ってのは
それなりに残ってたらしい >>713
そこで普通に貿易権取って終われば唐入りも割と成功と言えたんよな
海禁で貿易出来ない現状を打破出来れば当時の足利義満みたいに国際貿易でボロ儲け出来てた >>720
貿易ルートあったのに全部めちゃくちゃにした陶くんが悪いよ >>574
秀吉は立身出世と晩年痴呆化の象徴だからな >>717
従1位なんだし豊臣朝臣秀吉が正式名称や
というかこの辺りが通ったのって、結局足利家がというか
よしあき君が各地流浪しまくって自ら権威を落とし続けた結果
『京都(畿内)で力があるんならまぁ現状追認で認めてやればエエやん…』という
一種投げ槍になった世相で可能になった感 >>665
戦国時代は三好家が幕府、朝廷相手に上手く立ち回ってしまった結果家格秩序を形骸化させたのでかいと思うわ
弟の一存は摂関家の九条から嫁もらってるし松永とか帝の相婿やし >>726
秀吉以上の統治能力とか日本史上他に居ないわ 最後ボケ老人として死ぬまでが酷かったからね
ついでに脱糞ニキが自分の世になってからネガキャンした 孝謙天皇は敵に蔑称をつけるセンスがなんG民そのものやからきっと気が合うぞ
和気清麻呂(わけのきよまろ)→別部穢麻呂(わけべのきたなまろ) >>723
源朝臣家康、平朝臣信長と言えよ
羽柴秀吉じゃなく豊臣秀吉言うのおかしいわ >>729
広虫→狭虫が理不尽すぎる
ずっと支えてくれてたのに
あと台所真人台所女な >>725
足利義昭くんは足利将軍とか言ってたけど、
その実官位は従三位で止まってたというなw
(↑任官奏請する金が無かった)
だから関白になった秀吉と義昭が対面した時は
豊臣朝臣秀吉(従1位)vs足利幕府将軍(従3位)とかいう
完全に足利幕府の権威を超えてたと言う
多分、この辺りはノッブもキンカン頭も考えても無かったと思う。
そもそも秀吉の関白就任が運良かったみたいなモンだしな。 秀吉って晩年でもちゃんと経済的な政治してるのはスルーされてるよな
検知とか兵農分離とかこれまでの中世社会を終わらせる一大事業やったのに殆ど触れられない
秀吉の内政はもっと評価されるべき 明が日本国王与えようとしたんは秀吉が天皇を越える権威でないと交渉できんって割と実用的かつ日本の事が何も分かっとらん理由なんやで あと5年長生きしてたら家康に豊臣の政権を簒奪されることなかっただろうに >>733
刀狩と太閤検地は小学生でも習うことだから十分評価されてるけどね
逆に家康は再び戦乱を起こして政権を簒奪したことくらいしかない >>730
それも確か何かあったんだっけかな
徳川や織田というのはそもそも朝臣というか
源氏や平氏由来の姓名なんだとか。
だから源や平を飛ばしても
(元から源/平から出た氏だから)OKとかいう理論
羽柴はあくまで秀吉が勝手に名乗っただけの性だから
豊臣を飛ばす事がまかりならんとかそんな理屈
どこの論文だったかのソースは忘れたw 草鞋を胸で温めた話好きや
江戸時代頃の人の人間性を感じられる話聞くと安心する >>735
それより秀長の寿命と秀吉の寿命が逆やったらやな
再来年の大河の主人公か 足利義栄さんとかいう一応将軍なのにとにかく扱いが残念な人 そもそも家康も松平→徳川 に姓名変更しとるだろ?
コレ確か国人色よりも源氏の末裔と言うブランド付けの為に
あの手この手で請求権の捏z(パラド脳×)して変更したとか何とか >>732
その二つ前の義輝の時代とか管領家の陪臣の長慶(従4位)と義輝(従4位)、他大名家も従4位止まりで上なの大内家という滅茶苦茶なコトになってて笑う >>736
Gじゃなくて鬼女民なのでは…?
あ、子供部屋未使用おばさんだっけか。 豊臣・源が氏で朝臣が姓
羽柴とか徳川は苗字でよかったっけ? >>741
あの人病で死んでなかったら歴史変わってたと思うわ
朝廷認可の将軍だから抱えてた三好家が正当性で優位になるから織田の躍進とまりそう >>743
『腐っても官位の安売りはしまへん!』という
京都人のいけずさが功を奏したというか。
逆にそのいけずの隙付いて関白就任した猿はやっぱやべーわ >>566
源氏じゃないから将軍になれない
だから皇族だったことにして太閤を名乗りだした >>745
徳川も姓とかそんなんだっけかなぁ
藤原の傍流で過去(室町より前)に有ったとか何だとか
だから『松平』という国人感丸出しの芋臭い苗字から
ちゃんとした源氏の姓をウンコ漏らしが望んでたとか何とか
この辺りは資料も少なくてまだ良く解ってないね 三好が基礎を作っていたからだぞ
村単位を整備して水争いは武士に仲裁させた >>646
それは教科書が正しいぞ
耕作放棄したら死刑やしw
農村は隠し田畑とか荘園名目で隠し持ってたのを税として絞り取るために検地したんや
それを嫌がったから一揆が起きた そもそも
本能寺→1582年
関ヶ原→1600年
この18年濃すぎるやろ 秀吉は金山銀山開発しまくった
その時は輸出品といえば銀くらいしかなかったけど
徳川になって銀が枯渇してきたから陶磁器とか作って輸出するようになった >>750
徳川は得川から来てるから少なくとも姓ではなくね? >>747
中国攻めあたりから秀吉の立ち回りヤバすぎるんよ
落ち目の三好家取り込んで畿内の人脈確保に光秀担当の四国方面への介入の切り口作った上で仙石を三好領の淡路にぶちこんでるし
そこから信長に四国利権を勢いあるけど田舎大名の長宗我部家か落ち目だけど畿内四国両方に伝手のある三好家かの選択肢作って結果的に競争相手の光秀蹴落としたようなもんだし >>714
ここから身分差別の話に繋げるの無理でしょ
外見と性格批判で現代的ですらあるぞ 何気に九州征伐ってすげーよな
20万も動員して兵站を維持したんだから >>749
信長の死後では信雄が一番織田家の領地持ってたんだけどね
秀吉が実力で柴田を倒して信雄を屈服させた 本当にあるべき形
中央
足利将軍
管領(細川/斯波/畠山)
守護(六角/山名/大内etc..)
関東
鎌倉公方(足利公方)
関東管領(上杉)
↑この本当にあるべき権威帯が軒並み内紛して
自分達でぶっ壊して回ったのがThe室町 中国大返しも沿道の農民に動員かけてたいまつと食料を用意させたからできたしな
金は払ったが 認知症になって朝鮮攻めしか言わなくなった
配下の武将は良い迷惑 >>762
将軍家の家督争いが飛び火して細川、畠山の家督争いまで発展したのほんま草 >>49
身長189cmの阿部寛の父親は156cmくらいだしセーフ >>757
んだよねぇ。でもじゃあなんであの糞漏らしが
わざわざ名前変えたのかも良く解らんというか
織田(斯波氏守護代)今川(正式守護)とか
その辺りと肩並べる為に恐らく変えたかったんだろうけど
姓でも何でもない徳川に変えたの何で何だろうとか
まぁ、もっと研究進んだら何か出てくるのかもね 晩年の残虐行為のせいで今では秀長がやたら持ち上げられるようになった
天下取れたのも低身分からの出世も彼がいたからこそみたいな感じで 戦国時代の始まりって鎌倉府関連みたいだけど鎌倉府ってあんま知名度高くないよな
結構面白そうだけど
しかし結局鎌倉に幕府置けなかったのがケチのつき初めだったのかもしれんね 黒官「太閤も死んだしそろそろワイの運も開けたかな」 >>765
なお、更に下にも飛び火していくもよう()
でもまぁ、そうやって飛び火して争うぐらいなんだから、
恐らくワイ達が思ってる以上に当時の人ってそれなりに
『あるべき姿』ってのは重要視されてたんじゃねーのかなと
ノッブだってよくよく見たら本当によしあき君の手伝いを
滅茶苦茶してるからな
二条城破却した時(←よしあき君が帰って来ないと判断して破却した)とか
ノッブは心の中でめっちゃ泣いてそう。 >>768
来年の大河もそんな感じやろな
アホな兄貴に天下取らせた優秀な弟で弟が死ぬととち狂って暴君化というオチ 徳川発祥の地は
群馬県太田市だな
新田義季が徳川いう地名を作って徳川義季と名乗った >>771
義満/満氏の時代で既に軋轢産まれてるから…
鎌倉に幕府置いたら置いたで、恐らく畠山と山名が
室町しぐさで京都周辺で馬鹿騒動やりまくって
結局同じだったのではないかと思ふ 鎌倉幕府最後の将軍という語られない奴
室町はまあまあ有名なのに 改名の理由しっかり出てるけど謎あったっけ?徳川藤原氏で将軍のハクつけただけやん >>774その前の長慶とか将軍と管領家の家督争いに決着つけて畿内復興経済活性化させながら幕府立て直ししようとしてたのようやっとる
なお義輝() >>767
姓と苗字ごっちゃになってないか?
姓は天皇にもらうもんやろ(八色の姓とか)
源氏の血筋アピールで三河国守になるために徳川の苗字を名乗ったんじゃないの >>773
長政は脳筋だけどね
秀吉子飼いの脳筋達が秀吉の死後に家康についたせいで豊臣が滅んだようなもん 家康が穴があくほど家系図をみて繋がりを探したら発見したから将軍になれたんだぞ >>784
長政滅茶苦茶豊臣家臣に根回ししてた気がしたが違うんだっけ >>782
徳川ではなく、〇得川の方は何か古代に
藤原傍流の姓としてあったとか何だとか
ぶっちゃけ『研究してもまだ良く解らん』ってのが今の現状かと >>783
???「なんてこと言ってましたよアイツ」 1日3食が普及したのは江戸時代の途中あたりからのようで古くは1日2食が普通だったっぽいが、
合戦のときとかは1日5食とかも結構あったらしいな >>784
長政よりも毛利の動きの方がアレだったんじゃねぇかなと
ロリコン毛利の殿様は幼女は奪えても天下は奪えなかった しかし鎌倉放棄して鎌倉公方ってのもおかしな話しというか
何か『現状追認でなぁなぁで誤魔化す』って日本の伝統なんだなぁ 織田信長って戦国時代基準だとそこまで残虐じゃないってマジ? 大陸まで勢力を伸ばすってのは理解できるけど情報収集が甘すぎるやろ
敵のことも戦地のことも何も分かってないで戦争するってアホちゃう? イキって朝鮮にまけたからなあ。。。
伊藤博文のが上。 松平なんて澄ました名家してるけどルーツただの地方の豪族なんでしょ?何もないんだから掘っても出てこんやん もしも秀吉が上杉謙信と戦った場合はどうなってただろうか?
A.秀吉が勝家ポジションだった場合
B.秀吉が信長ポジションだった場合
C.謙信が1590年まで生きていた場合
それぞれのケースで。
独断で撤退せず勝家の元で戦った場合は史実通りになると思うので除外 >>787
そうなんか…
源氏の血筋アピールのためだから当然姓は朝臣だと思い込んでたわ >>775
極楽征夷大将軍は足利兄弟の話だけど
アホな兄の尻を叩いて弟が天下人に押し上げたけど
弟が甲斐甲斐しく介護するからアホになっちゃっただけで
弟と決裂して独り立ちするとメチャクチャ優秀
という真逆の展開やったな 漫画のセンゴクでも朝鮮半島の戦いで「まさか大勝利だと思って浮かれてるわけじゃないだろうな?」って危機感持って会議するシーンあったよな
朝鮮の王や王子が行方知れずで停戦できないとかで >>792
万人恐怖様とかも居たからアレだけど
まぁそこまで残虐でもなかったけど甘くも無かった
言うて武士なんて反社の集団みたいなモンだし >>767
三河で足利系の吉良などに対抗するために新田源氏を称した
三河に本物の新田源氏がいなかったので文句言われることもなかった
祖父の松平清康も同じ理由で新田源氏の世良田と名乗ってる >>792
マジ
寺焼きとか細川政元のが派手にやっとるし一揆への対応とか一向一揆に法華一揆をぶつけて宗教戦争かました細川晴元とかおるし >>790
その毛利と通じてたのが黒田家やろ
元々黒田家と毛利一族は取次の間柄で仲良かった
毛利の関ヶ原の動向は吉川と黒田、安国寺と三成っていう新旧取次の対立も関係してる >>801
ほへーそんな話しもあるのか
吉良家への対抗が動機ってのは解り易いかな
言うて戦国大名だとか言っても目先の事しか考えてない多いからなw 北条早雲は平民からの成り上がり→いい所の生まれ
信長は革新的な破壊者→むしろ保守的
小早川秀秋は情けないヘタレ→ギリギリまでどっち有利か見極めていた有能
本能寺の壮大な陰謀→光秀の突発的犯行
いろいろ変わるもんやね 都鄙和睦のあとって古河公方は関東の守護任命してたんか?幕府に申請して
そこらへんがよくわからないんやが >>793
そもそも乱世でその辺に跋扈してる兵力はどっかにやらないアカンからなぁ
単に国内で溢れてるエネルギーを外にやる必要があるって問題でもある 武士の残酷さって強調されがちやけど別に貴族が平和的で優雅ってわけでもないってことには注意が必要やと思う >>803
毛利がもう少し主導権発揮して
糞漏らしと本気で対抗してればとか考える歴史IF
何か毛利って肝心な所でケツ引くよな。
義昭抱えて反織田とかも言ってた割には
上洛目指した訳でもないし。 >>796
上杉もけして家臣一枚岩じゃないし得意の調略で直接対決避けながら真綿で首を絞めるようにするんやろ、秀吉からしたら吉川元春と同じようなもんやろ >>807
乱世の梟雄だった松永も今では主君大好き忠臣有能おじさんだしな
むしろ主君の長慶のが梟雄ていう >>809
そう考えると天下統一の後にエネルギーを外征に出さなかった家康って凄いんやな
関ヶ原とか大阪の陣とか内戦でチビチビ放出できたからなんか >>8
百姓から関白になった時点で凡夫ではない。
晩年が酷かった。
寧々が良すぎた。 >>811
じんかんの善人久秀は良いキャラしてたわ >>811
ギリワン様も最近じゃ
『ちゃんと主家の三好の事考えて働いてただけの人』とか
そんな見方も出て来てるらしいからなw >>811
義昭を朝倉に引き抜かれるポカが三好、松永家の致命傷になってるのほんまひどい この前読んだプレジデントのコラムには
関ヶ原の合戦は通説と異なり
開戦直後に小早川勢は大谷勢に襲いかかりあっという間に決着がついた
とか書いてあった
何が真実かわからんね、ほんまに >>814
長慶だって細川家中心に考えてただけな気もするけどなぁ
皆が皆、主家の事をちゃんと考えて主家が滅びる。
なんでやw? >>818
主君の三好家には徹底的に忠実
三好滅亡後は織田に忠義を示す道理がないので程々で離反
ってことやね >>806
結果江戸時代になって由緒正しい源氏の石橋さんや今川さんや吉良さんを厚遇せなアカンなった >>821
関ヶ原自体がほぼ消化試合みたいなもんやったやろ?
岐阜城を東軍が落とした時点でほぼ西軍の負けが決まってた 人口が1億人くらいいる&十分に工業化が進んでいる現代の先進国でも、職業軍人(常備軍)なんて20万人くらいが精一杯なのに
(戦時でも人口の2%程度が限界)
複数か国にまたがる大大名でも領内の人口は精々100万人単位って時代に(しかも1日の大半を農作業などに費やさないと生きていけない時代)
織田や豊臣には数万人の常備軍がいたなんていう兵農分離(笑)とかいうアホ説をよく信じる気になるよな >>815
だから江戸時代の安定は秀吉のそういう所が基盤になってるってことやろ
朝鮮出兵と兵農分離で国内の兵士の数を統制したのと検知で大名が全国を直接管轄出来るようにした
日本中に溢れてた半農の非正規兵力をある程度のスケールに落とし込んだのが秀吉 >>823
いっちゃんチャンスあった金ヶ崎でちゃんと従ってるんだよなぁ >>815
この前の英雄の選択でやってた明の派兵依頼の話おもろかったわ
もう家光の代には外征するほどの戦力がなかったって話 >>818
当時の日記や資料なんかの研究進んだ結果、長慶はもとより弟の之虎とは同じ茶道趣味、冬康は大和攻めに援軍回してくれるぐらい仲よかったみたいね
なお一存とは悪かった模様というか一存は長慶や篠原とか相手にもやらかしてるの笑う ちゃんと歴史書書いていくおかしな国が近くにあるのだけで戦争に脚色はつきもんだ >>823
というか基本的にそこら辺って我々が思ってる以上に
普段は真面目に考えてたみたいだしなぁ
でも何故か最終的には主家との利害が不一致になったりして
主家が滅びてしまうという() 家康はまあ一度秀吉がやらかした後だったのと武士を官僚に転換させていくのが上手くいったって感じかな >>812
義昭を伴っての上洛は計画してたけど叔父たちが猛反対したみたいだな
まあ織田と違って当主の意思で思い通りにできる体制じゃないしな >>830
跡目やらで反目したりばっかだけど
身内で仲良い時も多いというか
何かあの時代でも私人/公人(家/役目)ってのを
ちゃんと使い分けしてるのが日本的なのやもしれない。 >>827
家康の農民政策は秀吉と全然違うし
大坂の陣の後も国内には100万近い兵力残ってたんだから秀吉はほぼ関係ない >>812
毛利輝元は爆速で大坂城に入ったりしててわりとノリノリで首を突っ込んでる
でも彼の目的は家康と正面から激突して天下を取ることじゃなくて
のらりくらりとやりながら火事場泥棒で毛利の領地を広げること
なので四国や九州のあちこちに兵を送り込んだ
それを危ぶんだ吉川や福原といった宿老は家康と結び
関ヶ原の直前に家康自身が出馬してることを確認して手を出さないことに決めた >>835
その辺りの話とか細川-三好-松永とかの話しやら考えたらさ
やっぱり結局は足利将軍家があっちにフラフラこっちにフラフラして
自壊したってのが正しいような気がする。
そして『あるべき権威』が右往左往する度に
周囲や地方が振り回されてシェイクダウン!ウェルカム戦国!
とぐっちゃぐちゃになったと。
当時の人達マジで大変だったんだろうなコレ。 東国だと今川と武田、小笠原はちゃんと守護だけど
その他の国は守護任命されてないんか? >>838
結局、毛利の目というか思考の中に『天下』という
大きな戦略目標が無かったという事なんだろうかねぇ
そう考えたらその戦略目標をきっちり立てた
秀吉の大きさというか偉人具合だな
糞漏らしは秀吉がクリエイティブしたモノに後乗りしただけ。 あと信長もやけど秀吉は領地変えして武士を先祖代々の土地から引き離したのもデカかったな
これがあったから武家がより近世的な組織になって官僚化が進んだ
徳川なんかも三河から引き離された結果組織が旧来の形から抜けだして内政の能力が高まってるからな >>840
守護というかその守護の多数占めてた管領家が
斯波→内紛ばっかで守護代とかに盗られる
畠山→上洛and上洛and上洛の無限上洛編で疲弊して消える
細川→烏帽子付けないマンがやらかした後に大混乱に陥り終わる
どいつもこいつも守護の勤め果たして無ぇw! 要は戦争屋だからな
大義名分でジェノサイドしまくりで名は残るも血脈は絶えた >>843
阿波守護細川家はわりと安定してたから
まあ家臣にぶちころされたんですが 愛嬌とかカリスマ性がないのがキツいわ、ノッブは厳しいけど愛嬌がある、ヤッスはいうまでもない、秀吉はなんか猿のイメージ強すぎてカリスマ性感じないし愛嬌もないしな >>837
家康(江戸幕府)の農民政策は秀吉よりガチガチに締め付ける政策だしな
家康が農民は生かさずころさずと言ったという創作逸話が生まれるくらいに
関所をガチガチに作ってお伊勢参り理由でないと他国にも行けない
信長→秀吉→家康と農民の自由を奪っていったという… >>846
若い頃とか下っぱの時は会ったのにねー上に立った時が・・・ あ、関東の話しだったか
信州武田や駿河今川は地理的にちょっと特殊だから
多分守護にされてたんだろうけど
関東は基本的に関東管領上杉家が各地の守護を勤めてた筈
なお、何故か最終的に家老の長尾家が
上杉名乗って関東管領になったもよう() 今でも中国や朝鮮と仲が悪い理由の1つだからな
現代人にまで迷惑かけるとんだ国賊だよ >>847
細川、三好の時代に農民商人とかの地下衆の立場かなり上がってたからなあ
細川の頃に出た地下銭(税金)が三好のときになくなったけど信長のときに復活してるし >>841
まあ元就以来の家訓だしね
それに当時家康と積極的に敵対しようなんて普通は思わないんじゃないかね
動員兵力の巨大さ、経験の豊かさ、小牧長久手のこともあって戦上手、勇猛というイメージあったろうし
家康が日本中から嫌われてるならともかく
むしろ「律儀者」として心を寄せる武将(味方)が多かったし >>851
言うて下層民出身やからな
そういう意味でも日本史全体、世界史全体見ても本当に特殊
同じLvからのってマムルークの奴隷から皇帝にまでなった
バイバルスぐらいじゃねぇかと良く言われてる >>854
中国の朱元璋とかもそうじゃない?
国内で大名までハードルさげても松永ぐらいじゃかいかな ゆうて暴君なんかどこでもいるわな
今から見るとおかしく見えるだけで >>853
日本の半分ぐらいからは嫌われてたから
そこまでアレでもなかったんじゃないかぁと
そもそも堀も周囲も埋められた大阪城であれだけ籠城出来たんだから、
中国地方抑えてる毛利が大阪城利用して出来るムーブとか
もっと色々あったんじゃねぇかなと >>857
全然違うし
東海近畿を抑えてただけの織田家崩壊後のイチ地方軍団長の1人に過ぎないし >>858
洪武帝が居たか
まぁ中華史は天命思想だかでちょっと特殊な気もするけど >>854
>>858
秀吉は天下人に運良く仕えて棚ぼたで転がり込んできた天下だから自分の力で天下を切り開いた英傑と一緒にしたらあかん >>863
言うてバイバルスもマムルークに仕えて出世したし
洪武帝だって郭子興に仕えて天下に出た
秀吉がノッブに仕えてたからってそんなに下げる事も無いような
大返しから他重臣撃破→お家乗っ取り→京都中央政界掌握は
見事な手腕だと思ふ >>863
棚ぼたで中国大返しと美濃大返しができるもんかね?
他にやれそうな武将って誰かいる? 晩年の秀吉やべえと思ったら、明の初代皇帝のほうがもっとやばかったわ >>863
元は他家にいたのが織田家を選んだのは秀吉の先見の明やしなぁ
あと信長の統一事業に秀吉は滅茶苦茶貢献してる
包囲網破るのにも方面軍でも突出した戦果出してた
棚ぼたってのはなんか違うと思うな >>867
秀吉があと10年長生きしてたら、劉邦か朱元璋のように粛清モードになってたと思うぞ 秀吉がもし、天下を取って無ければ
歴史的にも、織田信長だって三好家()レベルの扱いだよw
秀吉のおかげで順調なら天下を取ってた扱いの過剰評価されてるの >>870
そもそも織田信長ってノブヤボで高まったらしいからな
伊達政宗は大河ドラマ
そんなもんよ 朝鮮出兵って進行ルートおかしいでしょ?
無闇に奥へ奥へ進行して、土地征服する気あんの?
初陣の小早川が舞い上がっちゃって
盲滅法に進軍して略奪しまくっただけやないの 信長はたしかに英傑だけど、秀吉が配下になったこと、光秀が転がり込んできたことが幸運
この二人を上回る功績やったやつが織田譜代にいますか?って その点、秀吉の方が織田信長より前から評価されてる
大坂では江戸時代も徳川に対抗して太閤さんと言われて人気あったらしいしな >>867
そもそも秀吉は政治を最後まできちんとやってる辺りキチ度は大分低いんよ
普通に資料見ると晩年も真面目に働いてるからな 病床に家康呼んで「秀頼の事、どうかよろしく頼むンゴ…」
って懇願してた時
絶対(どうせ裏切るんやろなぁ…)って思ってたよな >>872
攻略地が漢字地名の中でオランカイとか変な単語出てくる加藤清正の頭おかしいルートほんますこ >>870
良いトコ六角氏ぐらいの扱いだよな
特徴的な名前なのに今一つどころか殆ど人気無い六角さん
ノッブよりも前に足利将軍から『父のよう』と言われ
加冠役までやった事あるのに… >>870
信長や秀吉が三英傑なのも平和な江戸時代が長く続いたおかげなんだよな
家康が居なくて戦国に逆戻りしてたら信長や秀吉も一瞬だけ強かった細川や三好程度の扱いだっただろう 武田信玄よりよっぽど風林火山で動いているよ秀吉は
黒田官兵衛がいたのも大きいとは思うけどさ >>876
まあ、大阪はその頃から東京コンプはあったんやろな >>878
歴戦893の集団を軍監無しの
フリーハンドで解き放った結果なだけ
兄さん達には本当にすまない事をしたと思う >>875
洪武帝も粛清はコップの中の嵐に過ぎず政治家として優秀で国内情勢は安定していたな
外征も秀吉と違ってモンゴルを牽制する程度の攻撃しか行わず民衆への負担も軽減してる こいつがもっと有能ならいまも大阪が首都だっただろう 若い頃の武将を寝返らせるエピソードとか聞くと秀吉って割とサイコだよな
子や兄弟の仲を割くのが上手かった感じなんやろ? >>880
家康いないと戦国時代に逆戻りするかね? >>887
秀吉いなきゃ美濃の調略にはまだ時間かかって信長の美濃攻略も数年遅れたろうな >>887
兄弟の仲を裂こうとしたり信頼してるナンバー2を引き抜きしたり単純に性格が悪いよな
そりゃ死んだ後は大名は誰も豊臣に味方してくれませんわ >>885
有能無能の話よりも寿命の問題だな
秀吉がもうちょっとだけ長生きしてたら
家康がもうちょっとだけ短命だったら
歴史は変わってた >>886
まぁ実際は清正にも理由があったんだと思うよ
文禄慶長みたら頑張ってるのって大体織豊政権の中でも
若手の層が無茶やってんだよね
当時恐らく『もう国内で戦は無い』という事で
武功を上げてない若手が古参を抑える為の実績作りという
世代間競争の面とかも見える
で、世代間で見たら政宗とかも若手に入るんだろうけど、
恐らくコイツは「奥州平定した」という実績持ってたからか無理してないw
人間って面白ぇよなw >>888
頼れる身内、譜代がいないからだよ
自分も子供が秀頼だけだし 日本史学の中やと秀吉の刀狩からの惣無事令はクソほど評価高いで
無ければ奪う、守るために殺すが当たり前だった中世で「戦うのやめようや殺し合いは良くないで」っていう
社会全体のコンセンサスをとったのは日本史の中で最も大きな出来事の一つ、っていうぐらいの高評価や >>895
一夜城は創作だけど、美濃の国人衆の調略は秀吉がやってるよ >>896
昔の教育やと刀狩は人民が政治に不満ある場合に武装闘争できなくなる弾圧政策とか教育テレビでやってたで 秀吉よりすごい中華いちのなりあがりで闇も深い洪武帝も人気ないからな
とにかく人気ないから風評も伝説化しないね >>896
検地も刀狩も惣無事も以前から行われてる事なのに秀吉が先駆者みたいな風潮作られてるのはまずいと思うわ >>898
赤ヘルゲバ棒文化今も残ってたら爆発してたやろな >>898
不満あると僧ですら刃物持って騒いでた時代と
現代とではまぁ見方変わるのはしゃーない まぁ、僧兵つっても中身みたら武家とか地侍の
次男三男とかそんなのも多かったみたいだけどね 刀狩や兵農分離って何故か悪いイメージで語られるけど乱世を終わらせるに当たって戦力統制して以前からの社会構造から抜け出す画期になる政策なんよな
そもそも全員武器持ち半分兵士なアウトレイジ状態が続き過ぎた >>898
戦国時代が混沌としたのは、ひとえに地侍と国人の存在やからね
戦乱終わらせるために、ここを武装解除させるのは仕方ない
なんとか就職活動やって、その土地の統治者になった大名の被官になる道もあれば、自分から帰農した武士もいる
荒くれの水野勝成ですら一度は帰農してるし >>904
だって本来村-村間の水利権とかの問題を差配するお上が当てにならんこと多すぎたし
ならもう自助努力として穏便に暴力しかない 家康は妻子殺し、寺社騙して埋め立て、民衆虐殺、今川裏切りと色々やってるけど結局勝者だから肯定される
結局のところ歴史は勝者に合わせて作られて勝者に合わせて語られる
勝った側の理屈が適用されるに過ぎない >>908
いやーどうだろ、確かにそうだけどぶっちゃけ信長と秀吉と家康が三人合体したみたいな洪武帝がいるけど結局秀吉扱いなのよね
家康はいいとこ持っていったと思うけど、仕事量多いと思うよ 木下てどこからきた名字かわからんのやけど
遠江の国人に木下秀まで一緒のやつがけっこうおるんやって
木下秀吉は遠江の松下加兵衛の家臣やったから実は遠江の国人なのかもな >>910
秀吉を朱元璋に重ねたがるのは同じ底辺出身だからだがそれ以外に共通点ほぼ無いからな
天下へのルートも政権のその後も全然違う >>913
天下取った後の貢献度が秀吉超えて家康すら超えてるしな、やっぱ上なのよ >>913
武器持ってる富農くらいのレベルだから別に底辺ではないんやろ 上杉謙信って当時でも強いやばいって思われてたんか? レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。