豊臣秀吉←日本統一したこいつがなんか微妙な評価に落ち着いた理由
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>>726
秀吉以上の統治能力とか日本史上他に居ないわ 最後ボケ老人として死ぬまでが酷かったからね
ついでに脱糞ニキが自分の世になってからネガキャンした 孝謙天皇は敵に蔑称をつけるセンスがなんG民そのものやからきっと気が合うぞ
和気清麻呂(わけのきよまろ)→別部穢麻呂(わけべのきたなまろ) >>723
源朝臣家康、平朝臣信長と言えよ
羽柴秀吉じゃなく豊臣秀吉言うのおかしいわ >>729
広虫→狭虫が理不尽すぎる
ずっと支えてくれてたのに
あと台所真人台所女な >>725
足利義昭くんは足利将軍とか言ってたけど、
その実官位は従三位で止まってたというなw
(↑任官奏請する金が無かった)
だから関白になった秀吉と義昭が対面した時は
豊臣朝臣秀吉(従1位)vs足利幕府将軍(従3位)とかいう
完全に足利幕府の権威を超えてたと言う
多分、この辺りはノッブもキンカン頭も考えても無かったと思う。
そもそも秀吉の関白就任が運良かったみたいなモンだしな。 秀吉って晩年でもちゃんと経済的な政治してるのはスルーされてるよな
検知とか兵農分離とかこれまでの中世社会を終わらせる一大事業やったのに殆ど触れられない
秀吉の内政はもっと評価されるべき 明が日本国王与えようとしたんは秀吉が天皇を越える権威でないと交渉できんって割と実用的かつ日本の事が何も分かっとらん理由なんやで あと5年長生きしてたら家康に豊臣の政権を簒奪されることなかっただろうに >>733
刀狩と太閤検地は小学生でも習うことだから十分評価されてるけどね
逆に家康は再び戦乱を起こして政権を簒奪したことくらいしかない >>730
それも確か何かあったんだっけかな
徳川や織田というのはそもそも朝臣というか
源氏や平氏由来の姓名なんだとか。
だから源や平を飛ばしても
(元から源/平から出た氏だから)OKとかいう理論
羽柴はあくまで秀吉が勝手に名乗っただけの性だから
豊臣を飛ばす事がまかりならんとかそんな理屈
どこの論文だったかのソースは忘れたw 草鞋を胸で温めた話好きや
江戸時代頃の人の人間性を感じられる話聞くと安心する >>735
それより秀長の寿命と秀吉の寿命が逆やったらやな
再来年の大河の主人公か 足利義栄さんとかいう一応将軍なのにとにかく扱いが残念な人 そもそも家康も松平→徳川 に姓名変更しとるだろ?
コレ確か国人色よりも源氏の末裔と言うブランド付けの為に
あの手この手で請求権の捏z(パラド脳×)して変更したとか何とか >>732
その二つ前の義輝の時代とか管領家の陪臣の長慶(従4位)と義輝(従4位)、他大名家も従4位止まりで上なの大内家という滅茶苦茶なコトになってて笑う >>736
Gじゃなくて鬼女民なのでは…?
あ、子供部屋未使用おばさんだっけか。 豊臣・源が氏で朝臣が姓
羽柴とか徳川は苗字でよかったっけ? >>741
あの人病で死んでなかったら歴史変わってたと思うわ
朝廷認可の将軍だから抱えてた三好家が正当性で優位になるから織田の躍進とまりそう >>743
『腐っても官位の安売りはしまへん!』という
京都人のいけずさが功を奏したというか。
逆にそのいけずの隙付いて関白就任した猿はやっぱやべーわ >>566
源氏じゃないから将軍になれない
だから皇族だったことにして太閤を名乗りだした >>745
徳川も姓とかそんなんだっけかなぁ
藤原の傍流で過去(室町より前)に有ったとか何だとか
だから『松平』という国人感丸出しの芋臭い苗字から
ちゃんとした源氏の姓をウンコ漏らしが望んでたとか何とか
この辺りは資料も少なくてまだ良く解ってないね 三好が基礎を作っていたからだぞ
村単位を整備して水争いは武士に仲裁させた >>646
それは教科書が正しいぞ
耕作放棄したら死刑やしw
農村は隠し田畑とか荘園名目で隠し持ってたのを税として絞り取るために検地したんや
それを嫌がったから一揆が起きた そもそも
本能寺→1582年
関ヶ原→1600年
この18年濃すぎるやろ 秀吉は金山銀山開発しまくった
その時は輸出品といえば銀くらいしかなかったけど
徳川になって銀が枯渇してきたから陶磁器とか作って輸出するようになった >>750
徳川は得川から来てるから少なくとも姓ではなくね? >>747
中国攻めあたりから秀吉の立ち回りヤバすぎるんよ
落ち目の三好家取り込んで畿内の人脈確保に光秀担当の四国方面への介入の切り口作った上で仙石を三好領の淡路にぶちこんでるし
そこから信長に四国利権を勢いあるけど田舎大名の長宗我部家か落ち目だけど畿内四国両方に伝手のある三好家かの選択肢作って結果的に競争相手の光秀蹴落としたようなもんだし >>714
ここから身分差別の話に繋げるの無理でしょ
外見と性格批判で現代的ですらあるぞ 何気に九州征伐ってすげーよな
20万も動員して兵站を維持したんだから >>749
信長の死後では信雄が一番織田家の領地持ってたんだけどね
秀吉が実力で柴田を倒して信雄を屈服させた 本当にあるべき形
中央
足利将軍
管領(細川/斯波/畠山)
守護(六角/山名/大内etc..)
関東
鎌倉公方(足利公方)
関東管領(上杉)
↑この本当にあるべき権威帯が軒並み内紛して
自分達でぶっ壊して回ったのがThe室町 中国大返しも沿道の農民に動員かけてたいまつと食料を用意させたからできたしな
金は払ったが 認知症になって朝鮮攻めしか言わなくなった
配下の武将は良い迷惑 >>762
将軍家の家督争いが飛び火して細川、畠山の家督争いまで発展したのほんま草 >>49
身長189cmの阿部寛の父親は156cmくらいだしセーフ >>757
んだよねぇ。でもじゃあなんであの糞漏らしが
わざわざ名前変えたのかも良く解らんというか
織田(斯波氏守護代)今川(正式守護)とか
その辺りと肩並べる為に恐らく変えたかったんだろうけど
姓でも何でもない徳川に変えたの何で何だろうとか
まぁ、もっと研究進んだら何か出てくるのかもね 晩年の残虐行為のせいで今では秀長がやたら持ち上げられるようになった
天下取れたのも低身分からの出世も彼がいたからこそみたいな感じで 戦国時代の始まりって鎌倉府関連みたいだけど鎌倉府ってあんま知名度高くないよな
結構面白そうだけど
しかし結局鎌倉に幕府置けなかったのがケチのつき初めだったのかもしれんね 黒官「太閤も死んだしそろそろワイの運も開けたかな」 >>765
なお、更に下にも飛び火していくもよう()
でもまぁ、そうやって飛び火して争うぐらいなんだから、
恐らくワイ達が思ってる以上に当時の人ってそれなりに
『あるべき姿』ってのは重要視されてたんじゃねーのかなと
ノッブだってよくよく見たら本当によしあき君の手伝いを
滅茶苦茶してるからな
二条城破却した時(←よしあき君が帰って来ないと判断して破却した)とか
ノッブは心の中でめっちゃ泣いてそう。 >>768
来年の大河もそんな感じやろな
アホな兄貴に天下取らせた優秀な弟で弟が死ぬととち狂って暴君化というオチ 徳川発祥の地は
群馬県太田市だな
新田義季が徳川いう地名を作って徳川義季と名乗った >>771
義満/満氏の時代で既に軋轢産まれてるから…
鎌倉に幕府置いたら置いたで、恐らく畠山と山名が
室町しぐさで京都周辺で馬鹿騒動やりまくって
結局同じだったのではないかと思ふ 鎌倉幕府最後の将軍という語られない奴
室町はまあまあ有名なのに 改名の理由しっかり出てるけど謎あったっけ?徳川藤原氏で将軍のハクつけただけやん >>774その前の長慶とか将軍と管領家の家督争いに決着つけて畿内復興経済活性化させながら幕府立て直ししようとしてたのようやっとる
なお義輝() >>767
姓と苗字ごっちゃになってないか?
姓は天皇にもらうもんやろ(八色の姓とか)
源氏の血筋アピールで三河国守になるために徳川の苗字を名乗ったんじゃないの >>773
長政は脳筋だけどね
秀吉子飼いの脳筋達が秀吉の死後に家康についたせいで豊臣が滅んだようなもん 家康が穴があくほど家系図をみて繋がりを探したら発見したから将軍になれたんだぞ >>784
長政滅茶苦茶豊臣家臣に根回ししてた気がしたが違うんだっけ >>782
徳川ではなく、〇得川の方は何か古代に
藤原傍流の姓としてあったとか何だとか
ぶっちゃけ『研究してもまだ良く解らん』ってのが今の現状かと >>783
???「なんてこと言ってましたよアイツ」 1日3食が普及したのは江戸時代の途中あたりからのようで古くは1日2食が普通だったっぽいが、
合戦のときとかは1日5食とかも結構あったらしいな >>784
長政よりも毛利の動きの方がアレだったんじゃねぇかなと
ロリコン毛利の殿様は幼女は奪えても天下は奪えなかった しかし鎌倉放棄して鎌倉公方ってのもおかしな話しというか
何か『現状追認でなぁなぁで誤魔化す』って日本の伝統なんだなぁ 織田信長って戦国時代基準だとそこまで残虐じゃないってマジ? 大陸まで勢力を伸ばすってのは理解できるけど情報収集が甘すぎるやろ
敵のことも戦地のことも何も分かってないで戦争するってアホちゃう? イキって朝鮮にまけたからなあ。。。
伊藤博文のが上。 松平なんて澄ました名家してるけどルーツただの地方の豪族なんでしょ?何もないんだから掘っても出てこんやん もしも秀吉が上杉謙信と戦った場合はどうなってただろうか?
A.秀吉が勝家ポジションだった場合
B.秀吉が信長ポジションだった場合
C.謙信が1590年まで生きていた場合
それぞれのケースで。
独断で撤退せず勝家の元で戦った場合は史実通りになると思うので除外 >>787
そうなんか…
源氏の血筋アピールのためだから当然姓は朝臣だと思い込んでたわ >>775
極楽征夷大将軍は足利兄弟の話だけど
アホな兄の尻を叩いて弟が天下人に押し上げたけど
弟が甲斐甲斐しく介護するからアホになっちゃっただけで
弟と決裂して独り立ちするとメチャクチャ優秀
という真逆の展開やったな 漫画のセンゴクでも朝鮮半島の戦いで「まさか大勝利だと思って浮かれてるわけじゃないだろうな?」って危機感持って会議するシーンあったよな
朝鮮の王や王子が行方知れずで停戦できないとかで >>792
万人恐怖様とかも居たからアレだけど
まぁそこまで残虐でもなかったけど甘くも無かった
言うて武士なんて反社の集団みたいなモンだし >>767
三河で足利系の吉良などに対抗するために新田源氏を称した
三河に本物の新田源氏がいなかったので文句言われることもなかった
祖父の松平清康も同じ理由で新田源氏の世良田と名乗ってる >>792
マジ
寺焼きとか細川政元のが派手にやっとるし一揆への対応とか一向一揆に法華一揆をぶつけて宗教戦争かました細川晴元とかおるし >>790
その毛利と通じてたのが黒田家やろ
元々黒田家と毛利一族は取次の間柄で仲良かった
毛利の関ヶ原の動向は吉川と黒田、安国寺と三成っていう新旧取次の対立も関係してる >>801
ほへーそんな話しもあるのか
吉良家への対抗が動機ってのは解り易いかな
言うて戦国大名だとか言っても目先の事しか考えてない多いからなw 北条早雲は平民からの成り上がり→いい所の生まれ
信長は革新的な破壊者→むしろ保守的
小早川秀秋は情けないヘタレ→ギリギリまでどっち有利か見極めていた有能
本能寺の壮大な陰謀→光秀の突発的犯行
いろいろ変わるもんやね 都鄙和睦のあとって古河公方は関東の守護任命してたんか?幕府に申請して
そこらへんがよくわからないんやが >>793
そもそも乱世でその辺に跋扈してる兵力はどっかにやらないアカンからなぁ
単に国内で溢れてるエネルギーを外にやる必要があるって問題でもある 武士の残酷さって強調されがちやけど別に貴族が平和的で優雅ってわけでもないってことには注意が必要やと思う >>803
毛利がもう少し主導権発揮して
糞漏らしと本気で対抗してればとか考える歴史IF
何か毛利って肝心な所でケツ引くよな。
義昭抱えて反織田とかも言ってた割には
上洛目指した訳でもないし。 >>796
上杉もけして家臣一枚岩じゃないし得意の調略で直接対決避けながら真綿で首を絞めるようにするんやろ、秀吉からしたら吉川元春と同じようなもんやろ >>807
乱世の梟雄だった松永も今では主君大好き忠臣有能おじさんだしな
むしろ主君の長慶のが梟雄ていう >>809
そう考えると天下統一の後にエネルギーを外征に出さなかった家康って凄いんやな
関ヶ原とか大阪の陣とか内戦でチビチビ放出できたからなんか >>8
百姓から関白になった時点で凡夫ではない。
晩年が酷かった。
寧々が良すぎた。 >>811
じんかんの善人久秀は良いキャラしてたわ >>811
ギリワン様も最近じゃ
『ちゃんと主家の三好の事考えて働いてただけの人』とか
そんな見方も出て来てるらしいからなw >>811
義昭を朝倉に引き抜かれるポカが三好、松永家の致命傷になってるのほんまひどい この前読んだプレジデントのコラムには
関ヶ原の合戦は通説と異なり
開戦直後に小早川勢は大谷勢に襲いかかりあっという間に決着がついた
とか書いてあった
何が真実かわからんね、ほんまに >>814
長慶だって細川家中心に考えてただけな気もするけどなぁ
皆が皆、主家の事をちゃんと考えて主家が滅びる。
なんでやw? >>818
主君の三好家には徹底的に忠実
三好滅亡後は織田に忠義を示す道理がないので程々で離反
ってことやね >>806
結果江戸時代になって由緒正しい源氏の石橋さんや今川さんや吉良さんを厚遇せなアカンなった >>821
関ヶ原自体がほぼ消化試合みたいなもんやったやろ?
岐阜城を東軍が落とした時点でほぼ西軍の負けが決まってた 人口が1億人くらいいる&十分に工業化が進んでいる現代の先進国でも、職業軍人(常備軍)なんて20万人くらいが精一杯なのに
(戦時でも人口の2%程度が限界)
複数か国にまたがる大大名でも領内の人口は精々100万人単位って時代に(しかも1日の大半を農作業などに費やさないと生きていけない時代)
織田や豊臣には数万人の常備軍がいたなんていう兵農分離(笑)とかいうアホ説をよく信じる気になるよな >>815
だから江戸時代の安定は秀吉のそういう所が基盤になってるってことやろ
朝鮮出兵と兵農分離で国内の兵士の数を統制したのと検知で大名が全国を直接管轄出来るようにした
日本中に溢れてた半農の非正規兵力をある程度のスケールに落とし込んだのが秀吉 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています