豊臣秀吉←日本統一したこいつがなんか微妙な評価に落ち着いた理由
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>773
長政は脳筋だけどね
秀吉子飼いの脳筋達が秀吉の死後に家康についたせいで豊臣が滅んだようなもん 家康が穴があくほど家系図をみて繋がりを探したら発見したから将軍になれたんだぞ >>784
長政滅茶苦茶豊臣家臣に根回ししてた気がしたが違うんだっけ >>782
徳川ではなく、〇得川の方は何か古代に
藤原傍流の姓としてあったとか何だとか
ぶっちゃけ『研究してもまだ良く解らん』ってのが今の現状かと >>783
???「なんてこと言ってましたよアイツ」 1日3食が普及したのは江戸時代の途中あたりからのようで古くは1日2食が普通だったっぽいが、
合戦のときとかは1日5食とかも結構あったらしいな >>784
長政よりも毛利の動きの方がアレだったんじゃねぇかなと
ロリコン毛利の殿様は幼女は奪えても天下は奪えなかった しかし鎌倉放棄して鎌倉公方ってのもおかしな話しというか
何か『現状追認でなぁなぁで誤魔化す』って日本の伝統なんだなぁ 織田信長って戦国時代基準だとそこまで残虐じゃないってマジ? 大陸まで勢力を伸ばすってのは理解できるけど情報収集が甘すぎるやろ
敵のことも戦地のことも何も分かってないで戦争するってアホちゃう? イキって朝鮮にまけたからなあ。。。
伊藤博文のが上。 松平なんて澄ました名家してるけどルーツただの地方の豪族なんでしょ?何もないんだから掘っても出てこんやん もしも秀吉が上杉謙信と戦った場合はどうなってただろうか?
A.秀吉が勝家ポジションだった場合
B.秀吉が信長ポジションだった場合
C.謙信が1590年まで生きていた場合
それぞれのケースで。
独断で撤退せず勝家の元で戦った場合は史実通りになると思うので除外 >>787
そうなんか…
源氏の血筋アピールのためだから当然姓は朝臣だと思い込んでたわ >>775
極楽征夷大将軍は足利兄弟の話だけど
アホな兄の尻を叩いて弟が天下人に押し上げたけど
弟が甲斐甲斐しく介護するからアホになっちゃっただけで
弟と決裂して独り立ちするとメチャクチャ優秀
という真逆の展開やったな 漫画のセンゴクでも朝鮮半島の戦いで「まさか大勝利だと思って浮かれてるわけじゃないだろうな?」って危機感持って会議するシーンあったよな
朝鮮の王や王子が行方知れずで停戦できないとかで >>792
万人恐怖様とかも居たからアレだけど
まぁそこまで残虐でもなかったけど甘くも無かった
言うて武士なんて反社の集団みたいなモンだし >>767
三河で足利系の吉良などに対抗するために新田源氏を称した
三河に本物の新田源氏がいなかったので文句言われることもなかった
祖父の松平清康も同じ理由で新田源氏の世良田と名乗ってる >>792
マジ
寺焼きとか細川政元のが派手にやっとるし一揆への対応とか一向一揆に法華一揆をぶつけて宗教戦争かました細川晴元とかおるし >>790
その毛利と通じてたのが黒田家やろ
元々黒田家と毛利一族は取次の間柄で仲良かった
毛利の関ヶ原の動向は吉川と黒田、安国寺と三成っていう新旧取次の対立も関係してる >>801
ほへーそんな話しもあるのか
吉良家への対抗が動機ってのは解り易いかな
言うて戦国大名だとか言っても目先の事しか考えてない多いからなw 北条早雲は平民からの成り上がり→いい所の生まれ
信長は革新的な破壊者→むしろ保守的
小早川秀秋は情けないヘタレ→ギリギリまでどっち有利か見極めていた有能
本能寺の壮大な陰謀→光秀の突発的犯行
いろいろ変わるもんやね 都鄙和睦のあとって古河公方は関東の守護任命してたんか?幕府に申請して
そこらへんがよくわからないんやが >>793
そもそも乱世でその辺に跋扈してる兵力はどっかにやらないアカンからなぁ
単に国内で溢れてるエネルギーを外にやる必要があるって問題でもある 武士の残酷さって強調されがちやけど別に貴族が平和的で優雅ってわけでもないってことには注意が必要やと思う >>803
毛利がもう少し主導権発揮して
糞漏らしと本気で対抗してればとか考える歴史IF
何か毛利って肝心な所でケツ引くよな。
義昭抱えて反織田とかも言ってた割には
上洛目指した訳でもないし。 >>796
上杉もけして家臣一枚岩じゃないし得意の調略で直接対決避けながら真綿で首を絞めるようにするんやろ、秀吉からしたら吉川元春と同じようなもんやろ >>807
乱世の梟雄だった松永も今では主君大好き忠臣有能おじさんだしな
むしろ主君の長慶のが梟雄ていう >>809
そう考えると天下統一の後にエネルギーを外征に出さなかった家康って凄いんやな
関ヶ原とか大阪の陣とか内戦でチビチビ放出できたからなんか >>8
百姓から関白になった時点で凡夫ではない。
晩年が酷かった。
寧々が良すぎた。 >>811
じんかんの善人久秀は良いキャラしてたわ >>811
ギリワン様も最近じゃ
『ちゃんと主家の三好の事考えて働いてただけの人』とか
そんな見方も出て来てるらしいからなw >>811
義昭を朝倉に引き抜かれるポカが三好、松永家の致命傷になってるのほんまひどい この前読んだプレジデントのコラムには
関ヶ原の合戦は通説と異なり
開戦直後に小早川勢は大谷勢に襲いかかりあっという間に決着がついた
とか書いてあった
何が真実かわからんね、ほんまに >>814
長慶だって細川家中心に考えてただけな気もするけどなぁ
皆が皆、主家の事をちゃんと考えて主家が滅びる。
なんでやw? >>818
主君の三好家には徹底的に忠実
三好滅亡後は織田に忠義を示す道理がないので程々で離反
ってことやね >>806
結果江戸時代になって由緒正しい源氏の石橋さんや今川さんや吉良さんを厚遇せなアカンなった >>821
関ヶ原自体がほぼ消化試合みたいなもんやったやろ?
岐阜城を東軍が落とした時点でほぼ西軍の負けが決まってた 人口が1億人くらいいる&十分に工業化が進んでいる現代の先進国でも、職業軍人(常備軍)なんて20万人くらいが精一杯なのに
(戦時でも人口の2%程度が限界)
複数か国にまたがる大大名でも領内の人口は精々100万人単位って時代に(しかも1日の大半を農作業などに費やさないと生きていけない時代)
織田や豊臣には数万人の常備軍がいたなんていう兵農分離(笑)とかいうアホ説をよく信じる気になるよな >>815
だから江戸時代の安定は秀吉のそういう所が基盤になってるってことやろ
朝鮮出兵と兵農分離で国内の兵士の数を統制したのと検知で大名が全国を直接管轄出来るようにした
日本中に溢れてた半農の非正規兵力をある程度のスケールに落とし込んだのが秀吉 >>823
いっちゃんチャンスあった金ヶ崎でちゃんと従ってるんだよなぁ >>815
この前の英雄の選択でやってた明の派兵依頼の話おもろかったわ
もう家光の代には外征するほどの戦力がなかったって話 >>818
当時の日記や資料なんかの研究進んだ結果、長慶はもとより弟の之虎とは同じ茶道趣味、冬康は大和攻めに援軍回してくれるぐらい仲よかったみたいね
なお一存とは悪かった模様というか一存は長慶や篠原とか相手にもやらかしてるの笑う ちゃんと歴史書書いていくおかしな国が近くにあるのだけで戦争に脚色はつきもんだ >>823
というか基本的にそこら辺って我々が思ってる以上に
普段は真面目に考えてたみたいだしなぁ
でも何故か最終的には主家との利害が不一致になったりして
主家が滅びてしまうという() 家康はまあ一度秀吉がやらかした後だったのと武士を官僚に転換させていくのが上手くいったって感じかな >>812
義昭を伴っての上洛は計画してたけど叔父たちが猛反対したみたいだな
まあ織田と違って当主の意思で思い通りにできる体制じゃないしな >>830
跡目やらで反目したりばっかだけど
身内で仲良い時も多いというか
何かあの時代でも私人/公人(家/役目)ってのを
ちゃんと使い分けしてるのが日本的なのやもしれない。 >>827
家康の農民政策は秀吉と全然違うし
大坂の陣の後も国内には100万近い兵力残ってたんだから秀吉はほぼ関係ない >>812
毛利輝元は爆速で大坂城に入ったりしててわりとノリノリで首を突っ込んでる
でも彼の目的は家康と正面から激突して天下を取ることじゃなくて
のらりくらりとやりながら火事場泥棒で毛利の領地を広げること
なので四国や九州のあちこちに兵を送り込んだ
それを危ぶんだ吉川や福原といった宿老は家康と結び
関ヶ原の直前に家康自身が出馬してることを確認して手を出さないことに決めた >>835
その辺りの話とか細川-三好-松永とかの話しやら考えたらさ
やっぱり結局は足利将軍家があっちにフラフラこっちにフラフラして
自壊したってのが正しいような気がする。
そして『あるべき権威』が右往左往する度に
周囲や地方が振り回されてシェイクダウン!ウェルカム戦国!
とぐっちゃぐちゃになったと。
当時の人達マジで大変だったんだろうなコレ。 東国だと今川と武田、小笠原はちゃんと守護だけど
その他の国は守護任命されてないんか? >>838
結局、毛利の目というか思考の中に『天下』という
大きな戦略目標が無かったという事なんだろうかねぇ
そう考えたらその戦略目標をきっちり立てた
秀吉の大きさというか偉人具合だな
糞漏らしは秀吉がクリエイティブしたモノに後乗りしただけ。 あと信長もやけど秀吉は領地変えして武士を先祖代々の土地から引き離したのもデカかったな
これがあったから武家がより近世的な組織になって官僚化が進んだ
徳川なんかも三河から引き離された結果組織が旧来の形から抜けだして内政の能力が高まってるからな >>840
守護というかその守護の多数占めてた管領家が
斯波→内紛ばっかで守護代とかに盗られる
畠山→上洛and上洛and上洛の無限上洛編で疲弊して消える
細川→烏帽子付けないマンがやらかした後に大混乱に陥り終わる
どいつもこいつも守護の勤め果たして無ぇw! 要は戦争屋だからな
大義名分でジェノサイドしまくりで名は残るも血脈は絶えた >>843
阿波守護細川家はわりと安定してたから
まあ家臣にぶちころされたんですが 愛嬌とかカリスマ性がないのがキツいわ、ノッブは厳しいけど愛嬌がある、ヤッスはいうまでもない、秀吉はなんか猿のイメージ強すぎてカリスマ性感じないし愛嬌もないしな >>837
家康(江戸幕府)の農民政策は秀吉よりガチガチに締め付ける政策だしな
家康が農民は生かさずころさずと言ったという創作逸話が生まれるくらいに
関所をガチガチに作ってお伊勢参り理由でないと他国にも行けない
信長→秀吉→家康と農民の自由を奪っていったという… >>846
若い頃とか下っぱの時は会ったのにねー上に立った時が・・・ あ、関東の話しだったか
信州武田や駿河今川は地理的にちょっと特殊だから
多分守護にされてたんだろうけど
関東は基本的に関東管領上杉家が各地の守護を勤めてた筈
なお、何故か最終的に家老の長尾家が
上杉名乗って関東管領になったもよう() 今でも中国や朝鮮と仲が悪い理由の1つだからな
現代人にまで迷惑かけるとんだ国賊だよ >>847
細川、三好の時代に農民商人とかの地下衆の立場かなり上がってたからなあ
細川の頃に出た地下銭(税金)が三好のときになくなったけど信長のときに復活してるし >>841
まあ元就以来の家訓だしね
それに当時家康と積極的に敵対しようなんて普通は思わないんじゃないかね
動員兵力の巨大さ、経験の豊かさ、小牧長久手のこともあって戦上手、勇猛というイメージあったろうし
家康が日本中から嫌われてるならともかく
むしろ「律儀者」として心を寄せる武将(味方)が多かったし >>851
言うて下層民出身やからな
そういう意味でも日本史全体、世界史全体見ても本当に特殊
同じLvからのってマムルークの奴隷から皇帝にまでなった
バイバルスぐらいじゃねぇかと良く言われてる >>854
中国の朱元璋とかもそうじゃない?
国内で大名までハードルさげても松永ぐらいじゃかいかな ゆうて暴君なんかどこでもいるわな
今から見るとおかしく見えるだけで >>853
日本の半分ぐらいからは嫌われてたから
そこまでアレでもなかったんじゃないかぁと
そもそも堀も周囲も埋められた大阪城であれだけ籠城出来たんだから、
中国地方抑えてる毛利が大阪城利用して出来るムーブとか
もっと色々あったんじゃねぇかなと >>857
全然違うし
東海近畿を抑えてただけの織田家崩壊後のイチ地方軍団長の1人に過ぎないし >>858
洪武帝が居たか
まぁ中華史は天命思想だかでちょっと特殊な気もするけど >>854
>>858
秀吉は天下人に運良く仕えて棚ぼたで転がり込んできた天下だから自分の力で天下を切り開いた英傑と一緒にしたらあかん >>863
言うてバイバルスもマムルークに仕えて出世したし
洪武帝だって郭子興に仕えて天下に出た
秀吉がノッブに仕えてたからってそんなに下げる事も無いような
大返しから他重臣撃破→お家乗っ取り→京都中央政界掌握は
見事な手腕だと思ふ >>863
棚ぼたで中国大返しと美濃大返しができるもんかね?
他にやれそうな武将って誰かいる? 晩年の秀吉やべえと思ったら、明の初代皇帝のほうがもっとやばかったわ >>863
元は他家にいたのが織田家を選んだのは秀吉の先見の明やしなぁ
あと信長の統一事業に秀吉は滅茶苦茶貢献してる
包囲網破るのにも方面軍でも突出した戦果出してた
棚ぼたってのはなんか違うと思うな >>867
秀吉があと10年長生きしてたら、劉邦か朱元璋のように粛清モードになってたと思うぞ 秀吉がもし、天下を取って無ければ
歴史的にも、織田信長だって三好家()レベルの扱いだよw
秀吉のおかげで順調なら天下を取ってた扱いの過剰評価されてるの >>870
そもそも織田信長ってノブヤボで高まったらしいからな
伊達政宗は大河ドラマ
そんなもんよ 朝鮮出兵って進行ルートおかしいでしょ?
無闇に奥へ奥へ進行して、土地征服する気あんの?
初陣の小早川が舞い上がっちゃって
盲滅法に進軍して略奪しまくっただけやないの 信長はたしかに英傑だけど、秀吉が配下になったこと、光秀が転がり込んできたことが幸運
この二人を上回る功績やったやつが織田譜代にいますか?って その点、秀吉の方が織田信長より前から評価されてる
大坂では江戸時代も徳川に対抗して太閤さんと言われて人気あったらしいしな >>867
そもそも秀吉は政治を最後まできちんとやってる辺りキチ度は大分低いんよ
普通に資料見ると晩年も真面目に働いてるからな 病床に家康呼んで「秀頼の事、どうかよろしく頼むンゴ…」
って懇願してた時
絶対(どうせ裏切るんやろなぁ…)って思ってたよな >>872
攻略地が漢字地名の中でオランカイとか変な単語出てくる加藤清正の頭おかしいルートほんますこ >>870
良いトコ六角氏ぐらいの扱いだよな
特徴的な名前なのに今一つどころか殆ど人気無い六角さん
ノッブよりも前に足利将軍から『父のよう』と言われ
加冠役までやった事あるのに… >>870
信長や秀吉が三英傑なのも平和な江戸時代が長く続いたおかげなんだよな
家康が居なくて戦国に逆戻りしてたら信長や秀吉も一瞬だけ強かった細川や三好程度の扱いだっただろう 武田信玄よりよっぽど風林火山で動いているよ秀吉は
黒田官兵衛がいたのも大きいとは思うけどさ >>876
まあ、大阪はその頃から東京コンプはあったんやろな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています