豊臣秀吉←日本統一したこいつがなんか微妙な評価に落ち着いた理由
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
>>812
毛利輝元は爆速で大坂城に入ったりしててわりとノリノリで首を突っ込んでる
でも彼の目的は家康と正面から激突して天下を取ることじゃなくて
のらりくらりとやりながら火事場泥棒で毛利の領地を広げること
なので四国や九州のあちこちに兵を送り込んだ
それを危ぶんだ吉川や福原といった宿老は家康と結び
関ヶ原の直前に家康自身が出馬してることを確認して手を出さないことに決めた >>835
その辺りの話とか細川-三好-松永とかの話しやら考えたらさ
やっぱり結局は足利将軍家があっちにフラフラこっちにフラフラして
自壊したってのが正しいような気がする。
そして『あるべき権威』が右往左往する度に
周囲や地方が振り回されてシェイクダウン!ウェルカム戦国!
とぐっちゃぐちゃになったと。
当時の人達マジで大変だったんだろうなコレ。 東国だと今川と武田、小笠原はちゃんと守護だけど
その他の国は守護任命されてないんか? >>838
結局、毛利の目というか思考の中に『天下』という
大きな戦略目標が無かったという事なんだろうかねぇ
そう考えたらその戦略目標をきっちり立てた
秀吉の大きさというか偉人具合だな
糞漏らしは秀吉がクリエイティブしたモノに後乗りしただけ。 あと信長もやけど秀吉は領地変えして武士を先祖代々の土地から引き離したのもデカかったな
これがあったから武家がより近世的な組織になって官僚化が進んだ
徳川なんかも三河から引き離された結果組織が旧来の形から抜けだして内政の能力が高まってるからな >>840
守護というかその守護の多数占めてた管領家が
斯波→内紛ばっかで守護代とかに盗られる
畠山→上洛and上洛and上洛の無限上洛編で疲弊して消える
細川→烏帽子付けないマンがやらかした後に大混乱に陥り終わる
どいつもこいつも守護の勤め果たして無ぇw! 要は戦争屋だからな
大義名分でジェノサイドしまくりで名は残るも血脈は絶えた >>843
阿波守護細川家はわりと安定してたから
まあ家臣にぶちころされたんですが 愛嬌とかカリスマ性がないのがキツいわ、ノッブは厳しいけど愛嬌がある、ヤッスはいうまでもない、秀吉はなんか猿のイメージ強すぎてカリスマ性感じないし愛嬌もないしな >>837
家康(江戸幕府)の農民政策は秀吉よりガチガチに締め付ける政策だしな
家康が農民は生かさずころさずと言ったという創作逸話が生まれるくらいに
関所をガチガチに作ってお伊勢参り理由でないと他国にも行けない
信長→秀吉→家康と農民の自由を奪っていったという… >>846
若い頃とか下っぱの時は会ったのにねー上に立った時が・・・ あ、関東の話しだったか
信州武田や駿河今川は地理的にちょっと特殊だから
多分守護にされてたんだろうけど
関東は基本的に関東管領上杉家が各地の守護を勤めてた筈
なお、何故か最終的に家老の長尾家が
上杉名乗って関東管領になったもよう() 今でも中国や朝鮮と仲が悪い理由の1つだからな
現代人にまで迷惑かけるとんだ国賊だよ >>847
細川、三好の時代に農民商人とかの地下衆の立場かなり上がってたからなあ
細川の頃に出た地下銭(税金)が三好のときになくなったけど信長のときに復活してるし >>841
まあ元就以来の家訓だしね
それに当時家康と積極的に敵対しようなんて普通は思わないんじゃないかね
動員兵力の巨大さ、経験の豊かさ、小牧長久手のこともあって戦上手、勇猛というイメージあったろうし
家康が日本中から嫌われてるならともかく
むしろ「律儀者」として心を寄せる武将(味方)が多かったし >>851
言うて下層民出身やからな
そういう意味でも日本史全体、世界史全体見ても本当に特殊
同じLvからのってマムルークの奴隷から皇帝にまでなった
バイバルスぐらいじゃねぇかと良く言われてる >>854
中国の朱元璋とかもそうじゃない?
国内で大名までハードルさげても松永ぐらいじゃかいかな ゆうて暴君なんかどこでもいるわな
今から見るとおかしく見えるだけで >>853
日本の半分ぐらいからは嫌われてたから
そこまでアレでもなかったんじゃないかぁと
そもそも堀も周囲も埋められた大阪城であれだけ籠城出来たんだから、
中国地方抑えてる毛利が大阪城利用して出来るムーブとか
もっと色々あったんじゃねぇかなと >>857
全然違うし
東海近畿を抑えてただけの織田家崩壊後のイチ地方軍団長の1人に過ぎないし >>858
洪武帝が居たか
まぁ中華史は天命思想だかでちょっと特殊な気もするけど >>854
>>858
秀吉は天下人に運良く仕えて棚ぼたで転がり込んできた天下だから自分の力で天下を切り開いた英傑と一緒にしたらあかん >>863
言うてバイバルスもマムルークに仕えて出世したし
洪武帝だって郭子興に仕えて天下に出た
秀吉がノッブに仕えてたからってそんなに下げる事も無いような
大返しから他重臣撃破→お家乗っ取り→京都中央政界掌握は
見事な手腕だと思ふ >>863
棚ぼたで中国大返しと美濃大返しができるもんかね?
他にやれそうな武将って誰かいる? 晩年の秀吉やべえと思ったら、明の初代皇帝のほうがもっとやばかったわ >>863
元は他家にいたのが織田家を選んだのは秀吉の先見の明やしなぁ
あと信長の統一事業に秀吉は滅茶苦茶貢献してる
包囲網破るのにも方面軍でも突出した戦果出してた
棚ぼたってのはなんか違うと思うな >>867
秀吉があと10年長生きしてたら、劉邦か朱元璋のように粛清モードになってたと思うぞ 秀吉がもし、天下を取って無ければ
歴史的にも、織田信長だって三好家()レベルの扱いだよw
秀吉のおかげで順調なら天下を取ってた扱いの過剰評価されてるの >>870
そもそも織田信長ってノブヤボで高まったらしいからな
伊達政宗は大河ドラマ
そんなもんよ 朝鮮出兵って進行ルートおかしいでしょ?
無闇に奥へ奥へ進行して、土地征服する気あんの?
初陣の小早川が舞い上がっちゃって
盲滅法に進軍して略奪しまくっただけやないの 信長はたしかに英傑だけど、秀吉が配下になったこと、光秀が転がり込んできたことが幸運
この二人を上回る功績やったやつが織田譜代にいますか?って その点、秀吉の方が織田信長より前から評価されてる
大坂では江戸時代も徳川に対抗して太閤さんと言われて人気あったらしいしな >>867
そもそも秀吉は政治を最後まできちんとやってる辺りキチ度は大分低いんよ
普通に資料見ると晩年も真面目に働いてるからな 病床に家康呼んで「秀頼の事、どうかよろしく頼むンゴ…」
って懇願してた時
絶対(どうせ裏切るんやろなぁ…)って思ってたよな >>872
攻略地が漢字地名の中でオランカイとか変な単語出てくる加藤清正の頭おかしいルートほんますこ >>870
良いトコ六角氏ぐらいの扱いだよな
特徴的な名前なのに今一つどころか殆ど人気無い六角さん
ノッブよりも前に足利将軍から『父のよう』と言われ
加冠役までやった事あるのに… >>870
信長や秀吉が三英傑なのも平和な江戸時代が長く続いたおかげなんだよな
家康が居なくて戦国に逆戻りしてたら信長や秀吉も一瞬だけ強かった細川や三好程度の扱いだっただろう 武田信玄よりよっぽど風林火山で動いているよ秀吉は
黒田官兵衛がいたのも大きいとは思うけどさ >>876
まあ、大阪はその頃から東京コンプはあったんやろな >>878
歴戦893の集団を軍監無しの
フリーハンドで解き放った結果なだけ
兄さん達には本当にすまない事をしたと思う >>875
洪武帝も粛清はコップの中の嵐に過ぎず政治家として優秀で国内情勢は安定していたな
外征も秀吉と違ってモンゴルを牽制する程度の攻撃しか行わず民衆への負担も軽減してる こいつがもっと有能ならいまも大阪が首都だっただろう 若い頃の武将を寝返らせるエピソードとか聞くと秀吉って割とサイコだよな
子や兄弟の仲を割くのが上手かった感じなんやろ? >>880
家康いないと戦国時代に逆戻りするかね? >>887
秀吉いなきゃ美濃の調略にはまだ時間かかって信長の美濃攻略も数年遅れたろうな >>887
兄弟の仲を裂こうとしたり信頼してるナンバー2を引き抜きしたり単純に性格が悪いよな
そりゃ死んだ後は大名は誰も豊臣に味方してくれませんわ >>885
有能無能の話よりも寿命の問題だな
秀吉がもうちょっとだけ長生きしてたら
家康がもうちょっとだけ短命だったら
歴史は変わってた >>886
まぁ実際は清正にも理由があったんだと思うよ
文禄慶長みたら頑張ってるのって大体織豊政権の中でも
若手の層が無茶やってんだよね
当時恐らく『もう国内で戦は無い』という事で
武功を上げてない若手が古参を抑える為の実績作りという
世代間競争の面とかも見える
で、世代間で見たら政宗とかも若手に入るんだろうけど、
恐らくコイツは「奥州平定した」という実績持ってたからか無理してないw
人間って面白ぇよなw >>888
頼れる身内、譜代がいないからだよ
自分も子供が秀頼だけだし 日本史学の中やと秀吉の刀狩からの惣無事令はクソほど評価高いで
無ければ奪う、守るために殺すが当たり前だった中世で「戦うのやめようや殺し合いは良くないで」っていう
社会全体のコンセンサスをとったのは日本史の中で最も大きな出来事の一つ、っていうぐらいの高評価や >>895
一夜城は創作だけど、美濃の国人衆の調略は秀吉がやってるよ >>896
昔の教育やと刀狩は人民が政治に不満ある場合に武装闘争できなくなる弾圧政策とか教育テレビでやってたで 秀吉よりすごい中華いちのなりあがりで闇も深い洪武帝も人気ないからな
とにかく人気ないから風評も伝説化しないね >>896
検地も刀狩も惣無事も以前から行われてる事なのに秀吉が先駆者みたいな風潮作られてるのはまずいと思うわ >>898
赤ヘルゲバ棒文化今も残ってたら爆発してたやろな >>898
不満あると僧ですら刃物持って騒いでた時代と
現代とではまぁ見方変わるのはしゃーない まぁ、僧兵つっても中身みたら武家とか地侍の
次男三男とかそんなのも多かったみたいだけどね 刀狩や兵農分離って何故か悪いイメージで語られるけど乱世を終わらせるに当たって戦力統制して以前からの社会構造から抜け出す画期になる政策なんよな
そもそも全員武器持ち半分兵士なアウトレイジ状態が続き過ぎた >>898
戦国時代が混沌としたのは、ひとえに地侍と国人の存在やからね
戦乱終わらせるために、ここを武装解除させるのは仕方ない
なんとか就職活動やって、その土地の統治者になった大名の被官になる道もあれば、自分から帰農した武士もいる
荒くれの水野勝成ですら一度は帰農してるし >>904
だって本来村-村間の水利権とかの問題を差配するお上が当てにならんこと多すぎたし
ならもう自助努力として穏便に暴力しかない 家康は妻子殺し、寺社騙して埋め立て、民衆虐殺、今川裏切りと色々やってるけど結局勝者だから肯定される
結局のところ歴史は勝者に合わせて作られて勝者に合わせて語られる
勝った側の理屈が適用されるに過ぎない >>908
いやーどうだろ、確かにそうだけどぶっちゃけ信長と秀吉と家康が三人合体したみたいな洪武帝がいるけど結局秀吉扱いなのよね
家康はいいとこ持っていったと思うけど、仕事量多いと思うよ 木下てどこからきた名字かわからんのやけど
遠江の国人に木下秀まで一緒のやつがけっこうおるんやって
木下秀吉は遠江の松下加兵衛の家臣やったから実は遠江の国人なのかもな >>910
秀吉を朱元璋に重ねたがるのは同じ底辺出身だからだがそれ以外に共通点ほぼ無いからな
天下へのルートも政権のその後も全然違う >>913
天下取った後の貢献度が秀吉超えて家康すら超えてるしな、やっぱ上なのよ >>913
武器持ってる富農くらいのレベルだから別に底辺ではないんやろ 上杉謙信って当時でも強いやばいって思われてたんか? レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。