滅亡した戦国大名や武将てその後どうなったんや
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徳川の庇護下に入って子孫はみんな面倒見て貰った
最後の当主は大政奉還の時に一仕事貢献してる まあまあ滅ぼされたところの部下として生き残ってる人も多いよね そいつが支配してた地域のしがらみもあるからゲームほど簡単に斬首できないんだよな 応仁の乱に出てくるような苗字の連中は徳川幕府に高家とかいう身分で養われとる
吉良上野介とかこれ 完全に断絶したのって大名クラスやと案外少ないよな
パッと思いつくのは長宗我部と朝倉浅井かな >>1
小さい頃に公家文化の英才教育受けてたから
徳川家康のところへ行って
調停交渉や公家の接待役になって
明治維新まで今川家を高家として残す
どんな困難があっても奥さんとはずっと仲良しだった >>12
へえーすごいな
武田て甲斐が有名だけど房総とか若狭とか安芸にもあるね 氏真と家康ってなんか交流のエピソードって残ってないんか?
知らん間柄やないんやし >>18
氏真がしょっちゅう遊びに来てウザい、みたいなエピソードあるな >>16
鎌倉から続く武田は名門で真里谷武田とか上総にあったり
色々あるな 今川氏真は駿河で隠居してた家康の家に頻繁に友人として訪れて
あまりにもしつこかったので遠い所に屋敷を与えて厄介払いされてたという逸話
情けなくて好き >>18
氏真が晩年にやたら家康を訪問してたって話があったような 蜂須賀家ってまだ続いてるけど
当主が子無し米在住ババアだから断絶確定してるんだよな 長宗我部は官位貰うのが遅すぎたな
息子は貰えずじまいだったとこを見るに
金が無かったのか軽視してたのか >>20
氏真のが歳上やし兄貴ぶったりしてたんやろなあ 名門の家だと糞無能でも捨扶持貰えて家は続いていくよな ワイの実家は尼子なんやがどうやって生き延びたのかわからんわ 直接ワイの家と関わりあるかはわからんけど
同姓の大名は戦国時代に付いた主君が悉く負けて
関ヶ原で負けた時点で心折れて帰農したらしい >>22
幼馴染だからな仲良くしたかったんだろう
親の仇である織田と蹴鞠したって話も残ってるな
「あれが駿河の大名の奈良の果て(笑)」
とかバカにされたりしたけど、プライド捨てて、一生懸命朝廷や公家とのパイプ作って一定の地位を確立したのは見事 実際子どもの頃面倒見てもらった兄貴分が落ちぶれても無下にできないし大人になってから会いたくないよな ワイんちは苗字変えて落ちのびたわ
その後商売で成功して富豪になったけど藩の度重なる金の無心で破産したわ 武将としては全然ダメだったけど
和歌、蹴鞠、茶の湯とか
教養面が高いと尊敬されて、一定の政治力や信頼が発揮できた時代だった
氏真はそこが強くて、戦いではない方法で殺伐とした戦国時代を生き抜いた 滅んだといわれても意外と子孫が残ってたりする
逆に存続してるといっても血縁関係が怪しかったりとかも 織田信長の子孫ですって聞こえはいいけど織田信雄経由やとなんか名乗りにくそうやな
実際まだ繋がっとるんやろか 武将から剣豪に転職って一握りしか居ないんやな
戦場で使えるノウハウって流行りそうなのに >>38
庶流も潰えたのか
まぁ相模三浦氏自体が宝治合戦で生き残った三浦氏し庶流の末裔だが 治世した後だとわざわざ根絶やしにするメリットが少ないから >>41
信雄も有楽斎の子孫もしっかり繋がっとるで >>41
でも後に大名として残ったのほとんど信雄系やぞ?
氏真が良くて何で信雄がアカンのや >>40
血より家第一だから養子でも問題ないって価値観だからね >>22
でもそんな厄介な今川家も幕末に最後の当主が恩返しと言わんばかりに幕府の代表として朝廷との交渉を進め慶喜の命を救ったんだわ 葛西氏とか大宝寺氏とか
あと内ヶ島氏は間違いなく滅亡してる >>49
それでも出来る限り血縁から迎えたりするんやけどね
一部は譜代化を狙って幕閣有力者から養子とる家もあるけど 北条氏でも名越流は今川の養子になって生き残ったって聞いた
加賀藩の藩士に名越家がいる 九州三国志のうち
大友と龍造寺はどうなったんだ?
大友は確か徳川家の旗本で残った
龍造寺は鍋島の庇護受けて明治維新まで残ったかな? 殺した相手の一族の報復が怖いなあ
せや!一族郎党皆殺しにしたろ!
中国だとよく見るけど
日本の戦国時代でこれやってるんか? 歴史上の天皇家や藤原氏の活躍を見ても「でもこいつらの家系近衛文麿製造罪を犯したんだよなあ」と思うとちょっと微妙な気持ちになってしまうというトラップ 家康「息子に武田名乗らせて大名家再興するわ」
家康「氏政の弟の家を大名にして後北条氏再興するぞ」
家康「上杉も反逆者やが特別に大名で残したる」
家康「あ、今川は旗本なw」
なぜなのか たけしの「首」の題材の人を知らんかったが
自分だけ逃走して匿ってもらい、めっちゃ醜悪やな
こんなのキープして何の得があるんだろ >>24
蜂須賀茂韶がタバコをくすねてる姿をみた明治天皇が
「お前の血筋はろくでもないな」と咎めた
なお、蜂須賀家は養子で存続しており
天皇家は江戸時代に蜂須賀家の妃を取っている
という笑い話あったなぁ >>24
蜂須賀って大日本帝国末期にあまりにも不甲斐ないことばっかりやってて華族の地位を返上したんだよな
何やらかしたらそんなことなるのか 名門の家系でも戦国時代どころか平安・鎌倉時代あたりからすでに起源が怪しいとこは結構あるんだよな
武家源氏だってまず初代経基と2代目満仲の親子関係時代疑問の塊やし
源氏、平氏、藤原氏が多すぎるというのもある
戦国武将だと源平藤じゃない本姓持ちとして有名なのは朝倉氏とか大内氏とかかな >>52
どこの馬の骨とも知れない奴をいきなり当主に迎えられても誰も納得しないから説得材料は要るよな
武田信吉ですらうっすら武田氏と関係はある >>55
上にもあるけど浅井の男系は皆殺し
豊臣も同様
石田とかは子供は生かしたけど出家させて断絶させてる
裏切ったり完全に天下を分けるような戦争したところは平氏の轍を踏まんよう断絶させるんやろなあ >>56
父親もタカ派だからやばい
というか公家って基本的にタカ派じゃね
あと日本会議のメンバーに九条とか鷹司とか五摂家の末裔いる 族滅とか族誅は日本史だと全然無いんだよな
物部も平氏も皆殺しにされとらんし絶敵認定された新田義貞も子孫おる
が甲斐武田の残党狩りしてたから本能寺なかったら本当に滅んでいたと言われる
やっぱ信長さんは怖いわ >>11
国親の時代に一条の温情で生き延びただけやからな
一条家に長宗我部家から娘を嫁に出して兼定の孫と子供作ってるから長宗我部家も名前は消えても血筋は残ってるよ 鎌倉時代とかいう族滅というワードが頻発するやべー時代 肝付氏の末裔は大学におったけど
ガチホモ゙やったらしく
ノンケのワイの知人を発展場に連れ出そうと色々誘ってたらしいわ
なんでそんな公園に行かなあかんのか聞いたらホモカミングアウトからの愛の告白されたって 昔は一族郎党皆殺ししても結局、怨霊になって死後報復してくるから無駄だよ派もいるから困る 戦国時代に大名だった奴の子孫は
なんだかんだ旗本だったり他の大名の家老だったりになってたりするな あと子孫がいるとか分家が存続とかも何代前までならOKとするかって問題もあるな
何代も遡ったらたいていの氏族が滅んでないことになるってのは血縁のシステム上よくある話 >>69
まああいつ意味わからんし
尼子義久がいるのに何やってんだよ >>73
吉川が端から東軍やったからなー
それで吉川が主家の毛利許してくれって言うから家康も流石に許すしか無い
毛利が断絶してたら徳川幕府ももう少し長生きしてたろうな >>1
江戸で家康に「ズッ友だょ」ってつきまとってた
秀吉より長生きしたはず >>73
その後200年政権続いたんやから特にアホとは思わんが
よくこの時毛利滅ぼしとけば幕末で云々言われるけど200年やぞ
もうそんな次元じゃないとしか思わん 室町のころまでの名門は無能でもやっぱ扱いいいんよな 三成の息子は津軽藩家老になったな
幕末まで続いてる >>74
肥後細川家と摂関近衛家のハイブリッドだからな
正直家柄血筋で勝てるのって公家系か徳川系か大名系の旧公爵家くらいやろ 毛利も島津も別にそこまで徳川と仲悪かったわけじゃないしむしろ仲良い
仲悪くしたら潰されちゃうから
幕末維新はむしろ藩士側の方が反幕府的やろ 鎌倉時代に有名な事件で滅んだように見えても実は滅んでないって氏族は結構ある
梶原氏も和田氏も三浦氏もそうやな
畠山氏も一応は重忠の子孫か親戚が残ってた可能性はある
比企氏はほとんど滅んだっぽいが比企能員の変のときに2歳だった男子は助命されて長く寺を運営してる
南北朝時代の北条氏はどうやろな >>54
竜造寺は隆信の三男が
佐賀藩支藩の武雄藩主(鍋島姓)になってる >>82
毛利家の当主断った人の話聞いたわ
現在医者らしいけど
子供の頃になんかわけわからん所に連れてかれて
ズラッと年寄りが並んでて
頼まれて嫌って答えて全員ずっこけたとか >>82
>>84
そもそも幕末の毛利てそうせえそうせえ言うてただけで何もしとらんからな
下級武士が力持って勝手にやってただけだから上の神輿は毛利じゃなくても誰でも良かった >>88
島津なんか徳川将軍家に正室を送り出してるもんな
一大名が将軍家に嫁入りさせるって島津以外ないはず >>59
裏切り者の名を受けて全てを捨てて逃げる男 >>89
名越流とか金沢流とか大仏流の中でさらに傍流だと残ってそう >>86
女系なら皇室にも繋がってるからなぁ
族滅にされた豊臣家との差よ 戦国時代の有名な武将の先祖が平安・鎌倉時代に何してたかみたいなのも調べると面白いで
清和源氏の2代目源満仲は藤原兼家や道長みたいな摂関家に仕えて大繁栄してたり
武田氏や佐竹氏や小笠原氏の祖先の源義光さんの裏切りっぷりはホンマすごかったり 氏真が遊びに来すぎてうざいから今の品川辺りに引っ越させたの草生えるわ 水戸黄門によく出てくる水戸藩家老の山野辺家は
最上の末裔なんよな >>89
木曽義仲の子孫は会ってゲームしたわ
名字木曽やったし下の名前もそれっぽくて草生えた そういや執権北條氏の末裔って人見たことあるな
京都のいいところに昔から住んでるらしいし上手く生き延びた末裔もいたんだな >>66
幕末の攘夷論争も
幕府は現実的な路線で開国したかったのに
頑固な国粋主義者の天皇が撤退攘夷を主張して
尊皇派が幕府を突き上げるという構図やったな 伊達家に保護された真田幸村の子孫も後から真田家を再び名乗ったんじゃなかったっけ
信之の子孫から真田家として認められてないとかなんとか >>95
なんか大繁栄した一族にしては泰家・時行以外の系統の活動がなかなか見えてこないんだよな
鎌倉時代に都市住人化しすぎて地方の分家勢力が少なかったみたいな説はあるようだが
滅んだと断言はできなさそうだがもうちょっと子孫の証拠出てきてもいいのにな >>79
旗本入れたら武田信玄の子孫も北条氏康の子孫も今川義元の子孫も全員いるからなあ
もちろん織田信長も
上杉毛利島津佐竹伊達は大名として残ってるし
完全に駆逐されたのは豊臣と朝倉長宗我部ぐらいか >>100
知らんわすまんな
なおそのデブホモも苗字は肝付やったわ >>91
毛利家って今でもしっかりと直系で続いてるからそんな怪しげな継がせ方とかないんじゃないの? >>104
足利将軍家も北条氏の末裔やし血が繋がってるだけならゴロゴロおるはずやで 石田三成とか真田幸村とか一代限りっぽいやつらの子孫が生き残ってるの面白いよな >>106
信之は徳川方だから豊臣についた方を認めるわけにはいかん >>88
毛利の殿様は代々いつ徳川を討つのかって家臣に訊いたらしいぞw >>111
そうなんかな?
まあ聞いた話やし与太話って事にしといて欲しいわ 子孫保護しますって特に働きもせずに過ごせてるお家とかあるんかな >>101
秀久末裔の出石藩仙石家って華族になってたけどその後断絶なんか?
あと旗本なった家もおったような >>103
豊臣姓を賜った人の子孫が豊臣名乗ってるパターンがあるって聞いたことあるな
梁山泊事件の主犯も豊臣って名乗ってたようにヤバいやつが勝手に名乗ってる可能性もあるが 源頼朝の子孫
本人の死から50年くらいで全滅(当時の人々もびっくりする速度)
頼朝の父である義朝の子孫
男系に限っても範頼の子孫の吉見氏、全成の子孫の阿野氏、義円の子孫の愛智氏が存続
特に吉見氏は少なくとも戦国時代までは続いてて、最終的に滅ぼされたともいわれるが本拠地と関係がありそうな吉見姓の末裔はそこそこいるとも
女系も含めると余裕で存続
この差よ >>121
wikipediaみたら14代で断絶書かれてたんごねぇ・・・ >>92
外様大名の藩だからそう言う気風に持っていっただけで仮に親藩大名譜代大名じゃ何も起きない訳で毛利が続いたことは大きかったろ
椋梨藤太みたいな佐幕派も藩内に居たけどその気風が200年多少あったから高杉のような人材が出てこれた 細川護熙、佐竹敬久、吉川晃司
あと誰か殿様の子孫おるか
中学の時に松永久秀の子孫が先生におった 松代藩真田家は江戸時代に断絶して徳川吉宗の子孫になったし まあ長宗我部もなんだかんだ子孫残ってる可能性あるからな
しかも傍流の復姓じゃなく盛親子孫 頼朝足利佐竹武田ら河内源氏は清和源氏の中で嫡流じゃないし清和の嫡流は摂津源氏の多田氏っぽいんだよな
で源氏長者は公家で村上源氏の久我家 >>115
光成の子孫なんか普通のルートで生き残ってるよね
マイナーな隠し子や庶子がみたいな感じでもなく >>119
まああそこ分家もかなり多いからそっちの方の話かもしれんね 織田秀信は高野山追い出された後に流れ着いた村で子供作ったとかで織田(おりた)で残ったとかいう話聞いたな 今川は北条に保護されて残ったけど
北条は残ってないもんなあ なんか四国行ったやつが言うには結構長宗我部っていう家が多いらしい >>102
木曽義仲の子孫なんているわけないやん
武田裏切って滅ぼした木曽義昌の子孫やろそれ 大村藩とかいう平安時代から戦国の世も領地転換せずに幕末どころか戦後の市長までやっとる家 >>126
殿様やないけど一休さんの新右衛門さんの子孫の蜷川さんは同僚の親友でおるらしいわ
格闘家のあいつと遠い親戚なんやろ >>123
頼朝は最後に残った頼家の娘が高齢出産で胎児もろとも死亡して断絶という悲惨な終わりなんだよな
藤原定家からは平氏から受けた恩を忘れた報いと言われた >>134
創価の何代か前の会長が小田原北条氏の末裔で草生えたわ
関東制覇した先祖もびっくりやろな >>126
亀井亜紀子は尼子氏家臣の亀井氏末裔聞いて驚いた >>134
氏規子孫が狭山藩北条家として残ってたような >>129
まあだから権威化した頼朝は凄い
……のかどうかは後世の執権北条氏や足利将軍家の権威強化に使われた疑惑あるから慎重に見ないといけんよなー >>43
四国の位置でワイは東軍やで〜なんていうたら関ヶ原前の寄り道で潰されるからしゃーない >>126
殿じゃないけど赤井英和は丹波の赤鬼の子孫とかなんとか >>125
親藩大名の水戸藩から天狗党出てきとるんやからやっぱり関係ない >>136
自称なんかな
何処に住んでるかはもう忘れたけど
アーマードコアのネット対戦の無い頃の作品で知り合った >>82
>>84
たしかに歴史の大きな流れ考えたら多少延命するだけの可能性はあるけど俺悔しいよ >>142
あいつは岩倉具視の流れも汲む維新後もガチ上流や 血が入ってるだけなら唐澤貴洋尊師も名門河野家の子孫だからな
ほんまもんの上級国民様やわ 細川の本家は安東(秋田)氏に行ったんやな
本家と分家の逆転現象起きとる >>129
源平合戦(治承寿永の内乱)で頼朝が多田行綱の持ってた多田荘をかなり強引に奪い取ったのもそうした嫡流意識争いの結果みたいやな
んで多田荘は古くから豊かで治外法権性があったことも指摘されてるくらい源氏繁栄のゆりかごになった土地
満仲の子孫の頼光・頼親・頼信の中で一番マイナーな頼親だけどなんかこの人清少納言の兄弟を殺害して藤原道長に「殺人上手」とか語られてたりいろんな意味ですごい奴だったっぽいな 菅原道真とか死後怨霊になって天皇呪い殺したり政敵呪い殺したり雷で殺したりした扱いされとるし
本人は太宰府に流されて一族も皆殺しレベルのことやられたんやろなあ…と思ったら
本人と息子4人だけ左遷されて、本人は病死したけど息子は数年で復権しとるんやな
いうほど怨霊になるか? 幕末の記録とか読むと
幕府の奉行に朝比奈とか葛山とか
野望なら戦国当時に捕まえて処分してるような懐かし無能名字がゴロゴロしてて
そら幕府も潰れるよなって ワイの先祖小峰家の宿老の直系やけど主君がやられて伊達に付いたら奥州仕置きでほとんどの領土豊臣秀吉に取られたけど食い扶持分くらいの土地は残してもらえたやで 楽天の三木谷が本多忠勝の子孫とか言ってるけど信じてない >>145
関ケ原は東西できれいに分かれてたわけじゃないぞ。。。
九州から東北まで全国各地で同時多発の戦になってる 夏目漱石の先祖は本多忠勝との一騎討ちに負けて戦死しとるのを孫がずっと擦ってる 長宗我部は蘇我氏の部民の秦氏の末裔ってことになってるが
壬申の乱で大友皇子方の大臣だった蘇我赤兄が
乱後に土佐に流されてる
それが長宗我部のライバルの安芸氏の始祖とかいう話があって面白い 高校の同級生で九鬼君おったな
九鬼家の子孫なん?って聞いたら
ウチは九鬼の接待役の家系だから違うって
それ確実に九鬼家ですやんと思った 北畠は娘が信雄に嫁いでるけど男系では断絶してる?
南北朝時代に分かれた家が東北にもあるらしいが >>135
なんなら長宗我部傍流の香宗我部家もある >>133
長宗我部家って元々がただの土豪で大名になったのは元親が大当たりしたくらいやから
その弟はそこまで脅威に思われてなかったんかもな >>161
最近は子孫が歴史創作に介入するパターン増えたよな
自分の先祖は良い人!その敵対者は悪い人!みたいな主張してる奴結構多いわ >>147
天狗党は藩論統一出来てない単なる暴徒みたいなもんやろ
長州は藩論統一して倒幕の中心として動けた訳やから藩主が誰であったかというのは目茶苦茶重要やわ 鎌倉時代の最後の方になると足利氏が「源氏の名門」みたいな感じで存在感を増していくけどあれも結構トリックがあったみたいやな
簡単にいえば
・代々北条氏から妻を迎え、北条氏の娘との間の子を嫡流としていた(他に生まれた年長の男子がいても庶流扱いにするくらい徹底)
・北条氏は頼朝の弟の末裔である吉見氏や阿野氏を警戒し、足利氏が源氏本流のように扱われた方が都合がよかった
と、北条・足利の思惑の一致によるところが大きいといわれてたり
吾妻鏡で吉見氏の扱いが小さいこととかも何か背景がありそうやね >>167
波岡かな
あっちも戦国時代あたりで継承が怪しい事になってたような >>166
ソフバンから横浜行った九鬼はマジモンの子孫やで >>174
有名な家系の子孫の会合とかあるみたいやけど嫡流マウンティングとかすごそう(偏見) >>174
コーエーが能力値クレームで本当に困っとるんよな
まあネタみたいな変顔やる方も悪いが
なお提督の決断はルーレットに逃げた模様 幕府って大体15代程度で終わるのはなんかあるんかね >>145
長引く可能性もあった訳やしな
長曾我部とか南条を責めるのは酷だと思うわ >>175
長州の藩論統一も決起あってのことやしそれが上手くいったかどうかは今の話題に関係ないやん
事が起こる土壌が長州毛利だからあったって話やけど親藩でも起きたぞって言いたいんや 上でも書かれてるけど「織田信長の末裔!」→「でも信雄の系統か〜」みたいに微妙な空気になったりする事例ありそうやね >>176
すまんネタわからん
テニス上手い爽やかイケメンで性格も良かったし
多分違うと思う
>>180
でもテキトーぶっこいた家臣の帳尻合わせで切腹させられた武将の子孫て可哀想よな >>158
幕末の幕府主戦派なんかだと
竹中重固は竹中半兵衛子孫だな >>184
前漢後漢や唐から明清あたり見とると中興の祖出て立て直しても200年から300年くらいが王朝の使用期限っぽいわ >>184
まあさすがに偶然っぽいけど鎌倉幕府の執権も室町幕府の将軍も江戸幕府の将軍も15代前後なのはなんか面白いな
鎌倉の執権とかは代数のカウントにも諸説あるし室町幕府の将軍は再任とかもいるが 大内義隆とか一時期1番領地多かったんじゃないそれがあっさり滅亡してるしな >>162
でも中四国と九州は西軍が多いやん
だから長引くと攻められる可能性があるから長曾我部や南条が西軍についたのは常識的な判断だと思うわ
実際阿波は西軍に占領されて蜂須賀家政は高野山に追放されているからな 島津って鎌倉以来なのか
そらおおいばりするわな
貴族と違って自分らで土地守ってきたんやもんな >>189
前に九鬼というエロ映像のブランドがあったので
ちょっと気になったんや >>36
庶流が伊勢北畠に仕えて志摩十三地頭の一家になったりしている >>192
中国でも三国志までの時代は将棋みたいに取った駒にしてたんやけどなあ
おかしくなったのは晋以降 そういや武田信玄の子孫自称して子孫の会から否定されたグラドルおったな
直後に万引きで逮捕されて草やったわ 応仁の乱で主力となった細川畠山赤松大内山名とか軒並み消えた >>195
8代目が時宗、義政、吉宗とその時代時代のキーマンやってるのも面白い >>161
嫌な思いすることが多かったんだろうなと思う
裏切り者といえば明智くらいのイメージあるし >>199
島津て守護大名でそのまま江戸時代終わるまで領地変わらなかった唯一の大名家じゃないのか >>192
チャトランガ系ボードゲームの中でも取った駒を再利用できるのが日本の将棋の特色として注目されることは多いけどどうも持ち駒ルールができた時期は不明みたいなんだよな
11世紀から16世紀までいろんな説があったり >>206
何とかイメージ変えたいという子孫の思いもわかる >>183
作毎にメンツも能力もガラッと変えりゃええやん
固定しすぎたんよ >>199
何なら平安末期から系譜辿れるからな
天皇公家除いたら今1番名門の家系といって過言じゃない
そら佳子とくっつけさせたがるわ 島津はなんか宣伝工作が上手かったって面もありそう
実際に最強だったかはちょっとな 水戸藩は御三家最弱を拗らせて天皇が一番偉いんや言い始めた
御三家筆頭の尾張徳川は早々に官軍について幕府を攻撃してる
将軍を出せなかったり江戸本家と衝突して不満あったからな
戦国時代から敵は身内よ >>198
なんとなくだけど
陶興房が亡くなってから大内ダメになった感じがするね >>209
対馬の宗家とか支配面倒な場所は粘れるで
その意味でも平安時代から戦後市長までやる大村藩は異常やけど 傍流が明治の時に復姓して残ってるケースもあるんやろな >>218
義隆の息子が尼子との戦いで戦死してからじゃない >>196
領地が広いだけじゃなくて石見銀山と博多を同時支配というチート
それがあんなにあっさり滅亡するからわからんもんやな まあ島津は近衛家の家来だし
中央とコネがあったのも大きいだろ >>218
まあ厳島の戦いが決定的やな
とはいえ簒奪者の陶家がそのまま大内の領土維持できたかは微妙
それが出来る能力なら毛利に負けてないと思うし >>213
さすがに一度も覇権を握った事の無い地方豪族が武家の棟梁の系統よりも上は無い 山中幸盛のほんまの子孫はどっちやみたいな裁判があったらしいな まあ明智光秀の子孫が鬱陶しいって気持ちもわかるっちゃわかるが他と違って何も宣伝しなければ「裏切者の代名詞の末裔」として扱われそうって危機感があるって事情は割り引いてやる必要ありそうやね
伝統的にいいイメージの家系の末裔が似たようなことやってたらどうかと思うが >>208
なんか末裔っぽい人が学者として出てたな
胤って名前使ってた >>219
宗家は途中まで守護どころか地頭ですらなかった(それぞれ少弐氏)のが少し痛いなあ >>196
陶にやられたのがなぁ…
無能呼ばわりされとるけど尼子大友相手にやりまくっとるし経済も重視しとったから能力は高かったんやろな
陶の親父とか重臣中の重臣やし信用するのはしゃーないわ 楠公さんの自称子孫が戦国時代に朝敵認定外すよう嘆願して許されたけど
楠木氏はその後どうなったんや ○○の子孫とか羨ましい
夏休みに地方にある本家に日本中から親戚が続々と集まるとか憧れる 千葉氏が族滅に近い扱いの中で傍流が奥州藤原氏の後を支配してて最近まで子孫が中尊寺の博物館長やってるのも草やな >>203
脇坂家の末裔名乗ってた美人女医もいたよな
確か詐欺で逮捕された挙句にすっぴん状態で逮捕されたからとんでもない素顔を報道された上に脇坂家の嫡流から親戚関係を否定されたりと最後はめちゃくちゃやった 太閤立志伝やってるとちょいちょい出てくる妖怪みたいな風貌の北条早雲なんやねん >>222
武闘派の新宮党を毛利の策略にはまってあっさり粛正してしまったのがアウトやろ >>228
自称明智の子孫も
論考を見てると意外と明智ageはしてないし
むしろ信長と家康を強大に描く過程で
間接的に光秀がアホ扱いされとる
光秀ごときの単独犯で成し遂げられる訳がない
が議論のスタートやし 奥州藤原氏も滅亡させられてなかったら東北がどんな風に発展してたのかは興味あるわ
だから頼朝あんまり好かんのよな 清和源氏の子孫で作られた多田満仲同族会みたいな組織のフェイスブックを見てみたら「こいつは反日だから除名した」みたいな文面ばかり踊っていたのには衝撃受けた
先祖もさぞ嘆いてるやろなと思ったがよく考えたら同族殺しは源氏の伝統やったな
まあこの手の同族会って一つだけじゃないみたいだけど キリシタン大名伊東家→遣欧少年使節団の伊東マンショ
知った時はくすっと来た 庶子やら一族がどこぞの大名の家臣になって存続してたりする 尊王ってことで南朝の功臣の子孫を
明治維新の際に復興して華族させたりしてたな
新田とか菊池とか名和とか >>240
新宮党ほっといたらそれはそれで分裂しそうなんよなぁ >>242
でもあれが無かったら伊達を始めとした諸氏が奥州に土着する事も無かったかもしれんのやで? >>198
そりゃ大内じゃね?
何故か月山富田城で負けてしまったけど、それ以前もその後も基本大内の方が優勢やからな >>240
それは尼子家や
ワイの言いたかったのは大内家なんや >>236
ワラワラ集まるな
お前誰だよってガキと盆正月は遊んでたわ >>221
陶興房の頃は大内だけで勝ってた感じで
陶晴賢は大して活躍してないイメージがあって
毛利が頑張ってた感じで
吉田郡山城とか、安芸武田を滅ぼしたこととかは毛利がメインだったし
その後すぐに月山富田城で負けたし >>245
桑名の家老になって幕末迎えてる服部半蔵 岩手に菊池姓が多いのが
肥後菊池の一族が南北朝の時に
南朝方として転戦して流れ着いた結果とか
考えれば凄い話よな >>223
秋田(元安東さん)が関東に移動した経過を知った時は
ちょっと驚きやったな ちなワイの先祖は武士じゃないけど聖徳太子の母親の付き人だったみたい >>242
奥州藤原氏もどうやら血統的には完全に滅んだわけじゃないみたいやね
もちろん宗家は滅んで奥州の支配権を失ってるわけやから滅亡の定義によっては消えてることになりそうやけど
藤原秀衡の子の1人の高衡は義経追討時にも許されて鎌倉幕府の客将的な立場になってたらしい
面白いことに勝手のわからない奥州の運営のために生かされたみたいやな
頼家の時代に建仁の乱で殺されるが子孫は小泉氏として残ったという説もある
他に秀衡の弟の家系みたいな支流も残ってる >>223
佐竹も常陸のイメージあるから今山形言われても頭が納得してくれない 「○○の子孫を称した」とかもイメージよくなかったりするけど当時の人々にとって家系図は履歴書みたいなものだったからしょうがなくって面もあるみたいやね >>252
義隆も九州方面では勝ってたんだよ
少弐家滅ぼすのにわざわざ格上の大弐の官位貰って追い詰めたりしてたしね >>255
武田もいろんなとこにおるの知った時はなるほどなと思ったわ
安芸甲斐若狭上総 >>242
大して変わらんだろw
平泉の人口推計とか嘘くさいし >>258
長男がめっちゃ偉い
でも次男が可哀想って母親が長男嫌って次男寵愛する傾向あるわ
兎にも角にも長男はそんなのを乗り越えるから強い
ワイ次男だけど気楽だわ >>262
江戸幕府もちゃんとした官位を与えないといけないから多少盛っていいんで良い血筋の子孫という事にしろって推奨するくらいやしね
まあ提出後に家系図の矛盾点を散々添削されるんやけど >>267
兵農分離終わって軍人揃えた本州vs一領具足でまともに勝てるわけない >>263
倒しきれなくて和睦して暴殺したんじゃなかったけ? >>254
東北に残された菊池氏の一族が再度士族となって再興しようという気持ちで
士っぽい文字をいれて菊地と名乗るようになったのが菊地性の始まりみたいなことなんかの番組でやっていたな >>235
菅沼とか奥平みたいに、地方豪族でも時の流れで歴史に顔を出すような一族の末裔は
やはり多少は鼻が高いんやろな >>219
ワイ元大村市民やけど由緒正しい土地やったんか… >>277
まあ名門の家って何度も復活するから結局とどめを刺したのは龍造寺だったかな 武士じゃないけど東大首席四人輩出した鳩山家とか学者何人も輩出してる五百旗頭家はなんなんだ
頭の出来が違うのか 島津と伊達は南北朝から江戸末期まで大勢力として生き残ったの凄いわ
島津は先祖代々の土地守り抜いたし伊達はちょっとズラされたけど平和になった時代に仙台平野貰えたんやから充分勝ち組や
逆に国人から出世した毛利とか家臣スタートの前田黒田鍋島も凄い >>285
黒田は途中で断絶して別人の家系になってるけどな >>285
島津前田伊達と御三家の次に石高多いのどこたさなんだろ >>269
能登の畠山の肖像画が恰幅のいいヒゲ親父だったんで、
しばらく武田信玄の肖像画扱いされてたな
俺は学校で武田信玄と習った世代w >>261
この人に生きていてほしいって願いから生み出された生存説っていうのもよくあるけど
そういうのじゃなくても意外と子孫が残ってたりみたいなのはあるから興味あったら調べてみると面白いで
完全な豆知識やけど分家の樋爪氏の苗字はアイヌ語地名由来っていわれてるみたいやな >>269
畠山はいくつかの家に別れたからな
東北の二本松畠山氏が本来の嫡流らしいが弱体化
幕府の要職についたのは紀伊や和泉の畠山氏で
応仁の乱で派手に争ってたのもこの家
能登畠山氏はそこから分かれてる 大内氏はなんか大河とかで扱えそうなロマンあるよね
支配地域とか繁栄ぶりとかで 畠山も本来は本流は二本松と知って草
伊達パッパの話に出てくるアレかよ
影が薄すぎる >>287
地元じゃ謀殺された宇都宮の呪いと言われてる
宇都宮も元は関東だったな >>286
幕末には小倉と唐津で大名やってて
唐津の世継ぎが老中やってたな 最上義光とかも好きなんだけど
どんどん衰退していくのめっちゃ悲しい >>301
宇都宮はこないだ大河で死んだ道兼の子孫名乗ってたな
どうも本来は中原氏らしいけど >>299
大内義興は大河にしたら面白いと思うわ
知名度が無いのがアレだが 表舞台には出てこなくても信濃の国人領主とか駿河の旧今川家臣とかは幕臣に取り立てられてるから徳川からの扱いはいいわね >>301
宇都宮氏は今の栃木県に当たる下野国の宇都宮の地名を冠した名門やね
鎌倉時代からめっちゃ活躍してる
本家も戦国武将でもあるけど全盛期の成綱の時代がよく扱われる時代の少し前なのがあまり知られてない要因なんかな
結構すごい武将やから面白いと思うけど 細川は元々庶流も庶流(辿ると義兼の兄の義清に行き着く)だし成り上がったんやなぁ
吉良斯波の方が家格的に上やろうし
成り上がりと言えば鎌倉幕府の北条とか安達もか 今現在まで子孫も有能で一番繁栄してる大名ってだれや
立花家あたりか? >>303
駒姫惨殺のところで視聴者にトラウマ植え付けられそう
いくら何でも可哀想すぎる >>305
宇都宮氏の起源は諸説あるけど古代の毛野氏の末裔って説が一番ロマンあると思う
まあぶっちゃけ突き詰めて考えると天皇家含めどの氏族も男系で綺麗に続いてたかどうかはちょっと怪しいかもしれんが 相馬さんが原発事故で移住したとか聞いて涙不可避
数少ない南北朝からの先祖代々の土地死守した大名なのに 小笠原は本木雅弘の慶喜で
長州藩に敗れたときに「申し訳ござりませぬう」とか言ってたな
何度も連呼するもんだから慶喜から「もうわかった、やかましい」とか言われてた >>308
そんなことないぞ
妻の侍女孕ませて大喧嘩するというドロドロ展開も見られるぞ 長宗我部信親の才を恐れたクロカンが蜂須賀とセンゴクに命じて突出させ釣り野伏せを喰らわせた
謀略だったソースは後にセンゴクが許されてるから
って小説読んだな >>303
最上没落の話を手塚治虫が漫画にしてるから、探してみたらどう?
ただし大河ドラマ風じゃなくて殿様のやらかし話だけど 足利氏の嫡流やら庶流やらの関係が複雑なのは北条氏との間の子供が嫡流で他はどんなに年長で有能でも庶流、
だけど本人たちには嫡流意識があったりする、みたいな事情が絡んでたりするからやろな
足利氏の生き残り戦略が生んだ悲哀かもしれないしある意味では自由でいいのかもしれない 大河ドラマ毛利元就とかいう中盤まで大内と尼子が主役の大河ドラマ
ワイは細川俊之の大内が好きでした >>307
豊臣本体が来るまで籠城せよって下知だったけど
武功欲しさや島津の挑発に乗って出陣しちゃって大敗北
長宗我部元親の愛息子は死ぬし
そもそも命令違反だったって秀吉の怒りを買って追放処分の憂き目に遭う >>310
旗本表高1位が甲斐武田家臣横田備中の子孫だったりしたよな 良くて小藩に再封か高家旗本
悪けりゃ新領主に藩士として仕えるとか帰農
>>267
仙石のせいで期待の嫡男失ったのがターニングポイント
>>298
二本松のは伊達にフルボッコにされてるイメージ 公方もどうなったか不明やな
堀越公方や小弓公方や古河公方の末裔とか >>324
平和な時代じゃない方が女は軽く扱われて結婚相手を強制的に決められるから誰でも結婚できる >>314
徳川家は家達からは国際感覚に優れた人が多いな
現当主の家広には子供いないからどうなるかわからんが 畠山氏といえば戦国時代ファン的には源氏になった後の畠山氏ってイメージだろうけど
本来の畠山氏である重忠の子孫も生き残ってるって説はあるみたいやな >>314
藤堂家
食い逃げ犯→天下人の側近
からの子孫は政府軍に速攻寝返り伯爵家に
お笑い芸人ゆってぃ >>317
相馬て伊達政宗に滅亡させられたと思ってたわ
蘆名と勘違いか 那須氏は戦後冤罪で捕まって滅びかけたが今女性が当主か
滅びるのか >>336
どっちに着くべきかを見極められる目って遺伝で養われるものなんやろうか >>338
いうても津軽さんの血が濃いんやろ?
与一から血繋がってたっけ? もし戦国武将の末裔は今も上級国民やってるケースが多いみたいな統計が出たりすると歴史ファンの武将信仰はちょっとダメージを受けるかもしれない >>329
堀越公方は政知の子のうち1人が将軍義澄になってるから
古河・小弓の系統は大名喜連川氏やし >>338
武家は女流でも養子でも家名が繋がればセーフやから >>329
小弓公方は喜連川氏興してから足利復姓して今も続いてるはず 喜連川氏もなんか特異な存在で江戸時代にも参勤交代しなくていいとか徳川配下じゃない客将的な扱いだったみたいやな >>336
司馬遼太郎に散々な描かれ方をしたのが印象的
しかも幕末の鳥羽伏見でも幕府軍を裏切って大砲を撃ちかけてたというエピソードを持ち出して
「裏切りの藤堂」と描いていたな >>329
足利義輝や義昭は堀越公方政知の子孫(曾孫?)
古河・小弓公方は喜連川家として明治まで存続 徳川家もなんかベトナム人女性との結婚をめぐって親子が内紛起こしてたこともあったよな >>343
俺んとこの宿場に泊まれやと江戸まで嫌味を言いに行ったで有名な >>321
息子の義康がめちゃくちゃ優秀だったけど
義光の家臣に唆されて仲悪くされて
義康暗殺事件が起きて
その後に誰よりも父親の幸せを願ってた手紙が死後見つかるとか、悲しすぎる
義光の死後はどんどん家が衰退していくし 徳川宗家現当主
一族に反対されながらもベトナム人を妻にする
立憲から国政選挙出て落選
こいつ >>342
そこそこの規模の大名や家臣なら地元の名士的な扱いされるから上級は多いんじゃないの
更には遺産も多いから博物館開いたり庭園を整備して観光事業やってたり >>352
徳川宗家やからな
立憲民主党から出馬して静岡で惨敗したりバカ殿様やで >>354
秀次事件で愛娘がお手つき前なのに首はねられたあたりから歯車狂ってそう >>350
初代も食い逃げしようとした店にちゃんと出世払いした上で
藤堂家は参勤交代時には必ず本陣をその店にしたり
旗印は食い逃げしようとした餅3つだったり
義理堅いのよね 津軽が反乱を起こしました←はい
城主の石川高信が死んだか生きてるか分かりません←そんなことある?
津軽も南部もそれなりの大名やろ?
しかも石川高信って南部一門やろ? >>355
>>357
殿様パワーで当選しそうなもんやけどな
そう甘くはないんやな >>346
>>348
石高足りんけど足利子孫ってことで大名扱いしてもらったり
大名に課されるいろんな役目を免除されてたり
朝廷の官位も相当以上のものをもらったり
ただし格式なりの出費はあるから財政は困ったそうな >>355
>>357
でも安倍晋三からネガキャンされまくってた頃の立憲から出たのは気骨を感じるわ
自民党に擦り寄る権力の犬ならがっかりだった >>360
津軽って青森の中でも穀倉地帯らしくて、いい土地だけ取って独立した津軽を南部側は恨んでるのが今でも仲悪いのに繋がってるらしいな >>358
駒姫可哀想だったよな
許されたのに
しかも東北一の美少女だし 石田三成は孫が津軽藩の藩主だったり家老だったりしてるし
曾孫が徳川家光に嫁いで長女を産みそこから現天皇家の先祖の一人になってるので血統的には勝ち組 龍造寺は何度も幕府にお家再興願い出たけどダメポで会津に引き取られてひっそりと暮らしてたな 前田家の当主で生前陸軍中将まで上り詰めた前田利為は東條英機と仲悪かったとかかあるか
厳密に言うと前田利為は庶流出身で本家の婿養子だけどね >>365
大名松前氏として存続したよ
幕末には外様なのに老中になったり 昔の日本の所有や禄の価値観って現代人からするとかなり混乱しそう
・土地などは貸し借りではなく売買されても「本当は本来の持ち主に帰属している」という観念があって、正当に買っても不正占拠のようなイメージを持たれることもあった
・何か仕事するときの出費は普段もらってる俸禄の中から出せ、そのために禄を与えているんだからという発想が一般的だった 有能やろ立花氏の子孫達は
先祖代々の類まれなる努力といつの世も御花を愛してくださるみなさまのおかげで、約300年経った今でも御花は立花家そして柳川と共にあり続け、今も歴史の途中を歩み続けています。
現在はこの掘割に囲まれた全敷地7,000坪が「立花氏庭園」の名称で国の名勝に指定されております。
そして、中でも「松濤園」「西洋館」「大広間」「御居間」「家政局(お役間)」「門番詰め所」といった、約100年ほど前の伯爵邸の姿をそのままに留める近代和風建築は、日本に現存する文化財として、今や大変稀有な存在になりました。 >>369
戦地で飛行機事故死したんで相続税のかからん戦死扱いにしようとしたら元々嫌いな上に財源欲しい東條がガチで邪魔してきて政争になっとんのよな >>371
おおそうなんだ
あの戦国時代をかいくぐって大出世だなあ >>364
南部と津軽の確執ね
青森県でも八戸周辺は江戸時代には南部家の領地だったから、
県内でも出身地で仲が悪くなってたという話やね >>363
家達からの流れ見ればわかるが徳川家は外国での経験させるから安倍なんかより遥かに国際感覚優れてると思うよ
というか開国時での幕臣めちゃくちゃ外交うまいよ
薩長が台無しにしたけどね BSフジのプライムニュースに時々出てくる真田幸光とかいう経済学者は家柄的には真田家の男系子孫だが
血統的には伊達政宗の男系子孫 >>161
マジモンなら興味あるけどあいつ完全に偽物のクズだからなあ >>368
将軍家主催のエクストリーム御伽衆で
5人揃って四天王!
ってやったらワンチャンあったかも知れんな >>363
確かに徳川本家くらいの財産や知名度や存在感があれば権力にすり寄ればのほほんと甘い汁を啜れただろうに
わざわざ対立政党から出馬するあたりなんか当人たちにも反発あるんやろな
超大金持ちの遊戯王の高橋和希が安倍政権を売国と批判してたようなのと被る >>275
ザキカキは安東一門
南部に負けて北海道に逃げたのがザキカキ
秋田に逃げたのが秋田氏
自称、福井の若狭武田の親戚 別に明智に加担してた訳やないのに一色さんなんで滅ぼされたん🥺 ちなみに安東氏は奥州安倍氏の末裔
安倍晋三の祖先という事になる 自民党宏池会所属徳川家広はありそうだが清和会所属徳川家広なんか見たら狂うわ >>385
仙石のせいで十河存保死んだあと
息子の存英は所領相続出来ずに浪人したからなあ
んで大坂夏の陣で大阪方で死んでる 丹羽さんはあのあと奥羽に飛ばされて白河藩主やってるの草
滝川さんや柴田さんに比べればマシなのか 佐々成政や佐久間盛信の子孫は旗本とかやってるのかな >>392
賀茂氏系の勘解由小路家は江戸時代断絶してたような 仙石秀久嫌われてて草
蕎麦を切って麺にしたのは仙石の発明らしいから大目にみたれ >>393
すぐに二本松に移されたな
幕末は列藩同盟参加で二本松少年隊の悲劇があった 維新を迎えた大名ってみんな東京に引っ越しさせたっていうけど令和のいまも 東京なんかな
島津や伊達は領地に住んどるっていうのは有名だが 鎌倉以来の名家、室町殿奉公衆とか落ちぶれても大抵再就職先があるのはやっぱり先祖伝来のコネと知識のおかげなんやろうな >>382
徳川宗家と言っても確か会津松平家の玄孫ぐらいやろ
まあ自民に行かない辺りは評価できるけど 氏長者ってまだ続いてるんやろうか
源氏の棟梁は今も徳川家でええんか docomoの井伊社長が彦根藩殿様の末裔
楽天の三木谷の母方が本多忠勝の子孫
らしい
あと米沢藩上杉の子孫がJR東海
加賀藩前田の子孫か日本郵船の役員
らしい >>392
ちとしらべたら土御門が不手際したんで
勘解由小路系の再興が図られて
傍流の幸徳井家が再興してるみたいだわ
幸徳井友景は柳生家からの養子で
剣豪+陰陽師のハイブリッドとして
結構創作のネタにされてるみたいだw >>96
九州に明らか豊臣っぽいやつおるし生き残ってそうやけどな >>404
明治期になくなってるけど
維新期にコ川が朝敵になったんで
村上源氏筆頭の久我氏に移ってる >>404
裔藤会の会長は藤原長者なんやないか?
今は細川元首相の弟が近衛継いで会長やったはずや >>404
藤原とかは残ってるけど源氏は徳川か村上源氏の後裔 仙石秀久って漫画の主人公にもなってたよな
何で選んだんやろ
史実重視と言いつつ登場人物の呼び名のキャプションとかはそんなに史実寄りでもないという 徳川家康の関東移封とか伊達政宗の仙台移封とか先祖代々の土地を移されるの罰ゲームに見えて実は将来の敵を育て上げちゃってるやろ思った
戦乱終わったら守り辛い平野本拠でも問題ないし軍費やなくて開墾にお金使えるし
だから豊臣は滅びた まぁ家は残っててもほとんどの場合直系で残ってることはまぁまぁ少ない >>418
男系で続いてる所はまあすくないわな
他家からの養子は昔娘が嫁いだ家からもってきたりはしてる >>395
>>408
地下人の方が残ってたか
剣豪の陰陽師とか強そう >>1
今川家は高家旗本として幕末で存続
明治維新後に跡取りに先立たれて断絶した >>403
摂関家兼大名家の豊臣氏羽柴家は潰れたが
豊臣氏羽柴家は高台院が養子を貰って木下家として再興され明治まで旗本として存続したで >>420
朝鮮柳生とか出てくる某小説家の世界観では最強の陰陽師兼最強の剣客やで >>403
伝承レベルであれば木下姓に改めて国松が生き延びたって話は一応ある そこそこ有名なwebライター長宗我部盛親の子孫だったのは割と驚いた 後年の今川氏真は家康を恐れさせた男やぞ
家康邸に遊びに行っても家康は居留守を使って会うの嫌がったんや >>419
伊達みたいに男系残ってるけど分家に逆転されるケースもあるから悲しいね >>422
木下系やと家定末裔の足守藩木下家は大名として存続したな >>426
子供が吉野に逃亡して楠木正成子孫の娘と結ばれて
そこに土着したみたいな話? 今村均輩出した今村家は仙台藩士
山本五十六の山本家と旧姓の高野家は長岡藩士
井上成美の井上家は幕臣
東條英機は東條家は盛岡藩士
石原莞爾の石原家は庄内藩士
武士多いな クリスケプラーは自称明智光秀の子孫だし松永久秀の子孫も女優なんだっけ渡辺なんとかさん
信長を苦しめたあのふたり >>433
五十六の養父は
河井継之助の右腕だった山本帯刀だよな 立花宗茂「ふひー旧領に戻ってきたやで」→外様大名として復帰
立花直次「ふひー三池に5000石貰って大身旗本やで」→息子の代で藩となり譜代大名へ 親戚までってのはあんま無いんやないか?
朝倉ですら親戚が生き残って徳川家の旗本になっとるし >>433
東條英機の実家は正確には盛岡藩士では無いよ
元々は能のシテの家が南部藩のお抱えになったのが遠因 日本であまり一族根絶やしとか家を完全に潰すのがないのは
家格(どういう官位官職につけるか)がかなり大きな意味を持ってたからな
潰すよりも利用した方がいいから >>438
草
サンガツ
能に関わる家だったからちょっと怪しいなとは思ってたけどそういう経緯があったか 根絶やしにされたのって荒木村重とかバテレン系ぐらいか
鎌倉は結構しっかりやられてるけど >>435
せや
先祖が戊辰戦争に参加してたと思うと面白い 足利義輝や義昭とかそんな子供作らねえもんか やり方によってはエライことになるかもなのはわかるけどさ 御恩と奉公は鎌倉の基本だけど、社会の基本でもあるよな
うちの会社御恩が少ないから奉公する気でーへんわ 菊池も島津に乗っ取られてなかったか
福岡の黒田
岡山の池田
青森の八戸南部は島津の養子貰ってたはず
有馬もだったかなー
島津の養子貰ってそのまま江戸時代終わった3家 御先祖広島出身だけどずっと平家の末裔って言われて育ったらしいわ >>447
小田氏は嫡流が浪人として江戸時代生き残ってたって論文があったな >>441
荒木氏も普通に村重の叔父の孫が黒田長政の斡旋で徳川秀忠に気に入られて幕臣として残った >>452
ワイ古代専門だったから知らなかったわサンガツ >>450
広島や徳島は平家の落人がつくったと伝わる集落けっこうあるらしい >>453
秀吉も家康も秀忠もそうやがかなり名家コレクターやからな
嫡流や大名家として断絶しても家自体は存続してるパターンはかなり多いからな 個人的には百済王氏の子孫残ってるのが激アツ
百済王って氏の存在すら知られて無さそうだが >>449
本家は大友から入ってたな
大友義鑑の弟
傍流が存続してて江戸時代も存続して
明治期に南朝功臣の子孫として華族
天皇機関説の菊池武夫はこの系列や >>455
平家落人やと宮崎の椎葉村なんかは有名やな
椎葉姓と那須姓ばかりの村 岩松氏は新田の血を引いてるとはいえ足利の血も引いてるからか南北朝で足利側として戦ってたよな 滅亡じゃないけど改易された大名てどうなるんだ
安芸福島とか50万石あったのに 高山右近も大名家としては途絶えたが子供の系譜で石川福井大分でそれぞれ家残したからな 三好の末裔は広島在住だったはず
福島正則に匿われてそのまま広島に住んでるだったかな
地元新聞で答えてる画像を昔見た 荒木村重って1人だけ逃げた奴だっけ
あれ普通に一族の立場になってみたら怖すぎるよな
荒木説得しに行った部下2人が連れて帰るの無理だと悟ってそのまま逃亡したのも気持ち考えるときつい >>463
普通に交代寄合の大身旗本として存続したで >>467
旗本にはなれたんだ
でも家臣達はバラバラになったんだろな >>462
山名も新田系やけど足利方やったな
里見や大舘も新田系で最初は南朝方やったけど
宗家の衰退で北朝方に
大舘は奉公衆として義満側近にまでなった 細川氏の本流とか結構悲惨よな
肥後細川家はちょっと違うし >>468
再就職は割と上手くいった人が多いらしいのが救いかね 戦国の成り上がりは滅んでそのままが多いのがちょっと切ない 伊達はかなり東北の氏族乗っ取ってておもろい
筆頭は田村を筆頭に岩城とか三沢とか 赤松も将軍〇しすらやったのに江戸時代を迎える前に滅んだんやろ 信長の野望では1人っ子だが実際1人しか作らんかったんか >>472
やっぱり家としての知識やら見識の蓄積がないと生き残れないんやろな
突然変異が出て成り上がったとて >>7
堺に行こうとしたが途中の船で死んで遺体を海に捨てられた うちは佐竹家の家臣の末裔らしい。関東→秋田→青森。そこから農家 >>468
あー交代寄合ではないなすまん
最上家と混同してもうたわ
2000石の旗本として福島家は存続したで >>31
普通に毛利の手下になった義久の子孫じゃねえの? 武田の本家は穴山梅雪の子が継いだのも酷いのに続きもしなかったの悲しい 明治に苗字をつけろと言われた時
近所に〇〇氏がいたらみんな〇〇つまて苗字にしたからな
怪しいもんだね
代々、苗字じゃなくて氏が伝わってない家はアウトだな 意外と知られてないが室町最後の将軍は結構恵まれてて草 >>469
山名は足利義兼からの付き合いなのかな
新田本家と違って足利はもちろん山名も頼朝の御門葉だったよな >>463
改易された大名もそうだけど家臣達はどうなるん?
広島だとそのまま浅野に入れたんかな 給料は安くなるだろうけど >>475
傍流の幕臣が2家残ってる
片方は幕末に外国奉行やってて
片方は明治期に海軍中将なってるな あ、仕事で龍造寺家臣の百武さんの末裔だったって人に会ったことある。 >>483
んーそうでもない
本百姓は苗字持ってたからな
あと村や集落が一族だけってのも多かったしな >>487
血統的には伊達の家系で北条無関係なんだけどな 加藤清正の血筋は残ってない?
息子が改易されてどうなったっけ >479
青森は三成の息子とか小田原北条氏に滅ぼされた三浦半島の三浦氏とか小笠原とか工藤とか関東旧勢力オールスターズの苗字がいっぱいいる
三浦氏は滅ぼされたあと実際に青森まで行った伝説も神奈川にあるみたい
あと青森の苗字對馬(つしま)は元寇から逃げてきた対馬の人達らしい >>493
出羽の大庄屋の一つ加藤家として存続したで >>492
伊達のほうが格上だからしょうがないじゃ >>495
義政の乳母の今参局が大舘氏らしい
大舘教氏の娘
義教の諱受けてるんだな >>489
軍人の百武兄弟ってその百武の分家なんだ
今知ったわ >>498
東北の方で庄屋として残ってはいたのか
旗本とかにはなれんかったんだな >>403
高台院の兄ちゃんの息子の木下延俊は大分の日出藩を興してるやな
なお隣の杵築藩は松平 >>502
だって扶持料として一万石貰ってたんだぜ加藤家
大名復帰するより大庄屋やる方がええからな
しかも扶持料貰ったのは米どころの出羽やし
出羽には大庄屋多いからな 古代氏族がその後どうなったのか気になってる
土師氏の末裔が菅原氏大江氏
東漢氏の末裔が坂上氏 >>503
延俊の息子が勝頼の息子で生き延びた国松だって伝説あるよな >>505
大江の末裔は一応毛利氏
坂上の末裔は田村氏 >>495
ああwikiで調べなおしたら教氏の妹だ御今
娘は義政側室らしい
満信−持房−教氏−尚氏−晴光と
一族ずっと将軍の諱受けてるんだな へうげものだと国松どころかちゃっかり秀頼まで九州に落ち延びてた >>505
源氏平氏藤原氏の子孫が多すぎて不自然だし古代氏族の子孫が滅多に出てこないのも不自然だから自称源氏平氏藤原氏の中には古代氏族の子孫も結構いるって推定は行われてるね 源平は対象者めちゃくちゃ多いからね
平家は4天皇から源氏は21天皇から出てる
花山天皇から出た白川伯王家以外はどれも源が元になってるし 工藤氏みたいに藤原南家の末裔称する武家多いのは驚いたわ >>507
日本人の大多数なんて氏ないんやから
大半が荘園や国人領主の開発した荘の地名や領主の苗字や氏を拝借(仮託し尚且つ苗字や屋号名乗っただけやし
まぁワイの苗字は奈良以前からある品部の一つの氏姓がそのまま使われてるものやけども
それもただそこに先祖が住んでたからやろしな
完全な末裔ではないやろからな
先祖の出身地をそこの領主の氏や苗字を借りて表すのも多かったしね >>505
菅原氏は高辻とか五条とか唐橋とか公家で残ってる
武士になった一族もいて
柳生がその子孫を自称してたな >>75
しかも馬鹿な作戦に巻き込まれて犬死にやろ 高家って養うだけでもめちゃくちゃ銭かかるのに家康の度量なのかただ保守的だっただけなのか
上杉景勝なんてうーん憲政金かかるしそろそろメンドいから斬首でw乙wぐらいの勢いじゃん >>508
坂上氏末裔が大名として生き残ってたのか
>>509
安達もそうだが外戚は強いなぁ
葛城氏蘇我氏藤原氏もそうか 男系存続も「男系で存続してる」ってことが箔になるから強調されるだけで実際のとこは結構怪しいやろな >>511
まぁ家格(官位官職にありつく為の資格)が重要やったからね
公的にも私的にもね
氏姓は血縁的一族でもあるが職能的集団という側面もあるからね >>512
嵯峨源氏とか兄弟クッソ多いしな
地方に下って土着武士とか多いだろうし
渡辺党とかその代表格やし
将門と戦った源護一族も一文字の名前からして嵯峨源氏やろしな 死んだ方がマシや!みたいな風潮マジでキツかったやろうな 平家の落人伝承が正確にせよ不正確にせよ昔は一族や家族みたいな考え方が今とは違ってたってことにも注意が必要やな
具体的にいうと郎党や使用人とかも家族の一員みたいに扱われることは多く、平家の落人も平家に従っていた郎党の末裔も込みの存在といわれてたりする 百武さんやら執行さんやら一万田さんやら吉弘さんやら龍造寺や大友遺臣の家は普通に残ってるな >>522
元々嵯峨天皇が子供整理するために作ったのが源氏だから当然っちゃ当然
1世王には源氏2世王には平氏的な使い分けが一応当初はされてた >>518
まぁ所領支配の為には名家であることは価値があるからね
所領貰うレベルの旗本ならばその家の歴史や家格ってのが所領統治にも有益やからね
あとはポケモン図鑑揃えるみたいなもんや 中学高校の同級に織田・柿崎・宇佐美・相馬・戸沢・小野寺・和賀の末裔おったわ
特に織田と柿崎が多かった 日本史って血筋や系譜辿ると大体大まかな流れわかる
これは今の政治家もそうかな
派閥や人の血筋追うとわかる >>526
数はおるのに
一世源氏は大臣出せたりするけど
二世くらいになると参議
三世くらいやと各省の卿や国司くらいになって
どんどん表舞台から消えていくんよね 同じ苗字だらけの村とかは結構あるんやけど当然全員が同族とは限らなくて、その苗字がその地域の住人であることを表していて実際の家系の区別には別の屋号とかが使われてるみたいなケースは多い
まあ現代人がイメージする苗字とは役割が違っていたって感じなんやろね
だから血縁がなくてもその地域の殿様と同じ苗字みたいなケースも >>529
そりゃー結局なんやかんや天皇家との血縁に繋がるようにできてるからな
総理大臣経験者で誰とも縁戚関係にないの村山富市と野田佳彦と小渕恵三と菅義偉ぐらいしかないからな >>524
平家の隠れ里系は
平家の荘園の荘官やってたような層が新たに開墾したものが多いやろからね >>511
やはり皇族もしくは貴族の血筋って在地の有力者には箔付けになるんだろうなぁ >>530
古代は五世までは王族として扱ってたけれどそれ以降は臣籍降下しろって律令に決まりあったからな
それでまかないきれなくなった分どんどん早まった
一世源氏はほとんど親王と変わらない待遇受けてたはずやで 清和源氏
初代 源経基 917年生まれ
2代目 源満仲 912年生まれ
親子というはずなのに最初から繋がりが怪しすぎる
ちなみに経基の生年を調整しようとすると今度は一世源氏なのに40代にもなって官位を与えられてなかったという不自然な展開になるので詰んでる模様 古代豪族100とか平安王朝と源平武士あたり買ってみるか 家康は立花宗茂仕官しに来た時はレアキャラ来たって感じやったやろなぁw
正式に制度化される前の書院番(家康の親衛隊)の番頭にすぐ起用したのをみれば
大名共に見せびらかしたかったんやろな
あの立花宗茂ゲットしたぜって >>519
あと足利の外戚といえば日野氏やな
藤原系公家の中でも平安時代に摂関出したような家ではないのに
足利家の縁戚で室町時代は存在感があった よくある間違い
今川氏真が高家に
正解
今川氏真は高家になれなかった
嫡男も
今川家が高家になれた理由は、吉良家の血筋をの娘を迎えた氏真の孫の代から
吉良家の推薦を受けて高家になれた
全部吉良家のお陰
氏真のお陰ではない >>534
土地支配の正当化になるからね
荘園の寄進が加速していくのは
王臣家や中央貴族の末裔が地方への土着がひと段落して新たに都から来るのもなくなっていくのとリンクしてるのはオモロいわね 一応経基親王は陽成源氏じゃないかと言われてる
陽成天皇があまりにもアレすぎたから清和源氏にしたと>>536 >>539
それで日野富子が出てくるのか
そういえば関東管領の上杉氏も外戚だったなぁ 島津に攻められたなんもパッとしなかった琉球王国の国王は現在もいるぞ
15代目あたりで血の流れは終わった臭いけど >>535
継げない王族は
奈良〜平安初期 謀反の疑いで処刑の可能性
平安中期〜 捨扶持的に官位貰える
室町〜 寺送り
みたいなイメージあるから
まあマシなほうっちゃマシなほうやな 衛府の七忍では秀頼生き残ってたな
琉球に逃げとる
なお「おんし大将の器じゃなか」 >>539
まぁ日野氏は浄土真宗との関係も深いから(親鸞は日野氏出身)で室町以前から地味に
浄土真宗との関係で公家の中でも特殊な位置を占めてたからね 臣籍降下というシステムが普及した背景には皇族には地位ばかり高い問題児が多かったからという面も 上杉も結局土着の長尾家になるのは
自然の流れだったんだろかな
と思ったけど太田氏は滅びたしまぁ運か 近代でも財部彪なんか閨閥の代表格だから血筋縁戚は最強 足利氏と関係が深い家系といえば上杉氏とかもやな
鎌倉末期に北条氏の母を持つ足利高義が早世してしまってその弟であり上杉氏の母を持つ足利尊氏が後を継いだことなどから存在感を増していった 文室浄三天皇にする話が出るぐらいには結構当初はガバかった
一世源氏は若干今の宮家的な機能が期待されてた節はある
結局源氏から即位したの宇多天皇だけだけど >>550
扇谷上杉の傍流がコ川に旗本として使えて加増重ねて
加賀爪家として大名に復帰してたり
ちなみに次代で改易された >>554
改易されるんかーい
山内、扇谷、越後の三上杉は命運バラバラやな 野見宿禰→土師氏→大江朝臣→毛利氏
→菅原朝臣→?→前田氏
→秋篠朝臣→? >>553
醍醐天皇も源氏として生きてた時期あったはずや >>557
せやな宇多天皇が源定省時代にできた子供だったな
忘れてたわサンガツ >>555
加賀爪政尚 今川家臣からコ川家臣 慶長地震の伏見城倒壊で死亡
加賀爪忠澄 江戸町内の消火活動中に死亡
加賀爪直澄 乱暴旗本として有名だが家光の小姓だったので大名に
加賀爪直清 養子、養父の隠居で相続する予定が知行に関する書類不備で改易
波乱万丈な一族 まぁワイらの先祖の大半は貴賤の差はあれども農地経営者や農民の子孫やからな
大雑把にいえばみんな農家や 醍醐天皇と菅原氏と室町時代で思い出したがなんか日本の流罪も個々の事例ごとに大幅に事情が変わってきてる印象あるな
源頼朝の例だと側近の帯同も許してもらえてギリギリ貴族の体面を保てて北条政子と結ばれるくらいだったり
藤原隆家は配流地に行かずに途中にとどまってなあなあで済ませたりしてたり(名目上は左遷)
逆に室町時代には送る途中で殺す実質的死罪として機能してるケースも多かったり
んで菅原道真は名目上は左遷だけど送られたその年に死んでるくらいだし無給だったし実質的に餓死させられたんやろな >>561
江戸時代改易された大名も他家預かりになること多いけど
送られた先によって扱いがかなりちゃうみたいやな
旧交あるところとそうでないところで 歴史好きの間では氏(本姓)と苗字の違いも有名やけど昔から役割が重複してる部分があったり苗字自体も現代人がイメージする苗字とは違う要素があったりするから一般的に混乱があるのも頷けると思う
苗字が代々受け継がれるようになったのも後のことで、平安時代とか鎌倉時代とかだと親子で苗字が違うとか時に本姓で、時に苗字で呼ばれてる人物がいたりとか、
和田義盛が三浦氏の長者と見なされてたケースもあったりとか現代的なイメージの苗字とはどうしてもズレがあるんだよな 伊達家乗っ取りを企んだと言われている伊達兵部は土佐に飛ばされて数年後に亡くなった
宇和島藩といい後先考えずに子供作りすぎるのも考えものやな政宗 >>562
いいとこだと隠居した客人みたいに扱ってもらえるけど扱いが悪いとこだと実質的に幽閉されて筆すらロクに差し入れてもらえないってこともあったみたいやね
幕府との関係とか送り先との関係とかいろんな要因が絡むみたいだが >>455
四国行くと山の中に集落いっぱいあるわ
四国民曰く平家の落人の末裔らしい >>561
道真公も左遷させられたらビックリしただろうな
そら祟るわ 討ち入りした赤穂浪士も預かり先によってかなり待遇の差があったというし 白川郷とか五箇山にも平家の落人伝説とかあったな
木曽義仲関連かな
そういえば白川郷の近くの内ヶ島氏は地震で滅んでたな >>569
いくら古代の59歳とはいえ政治家として活躍してた貴族が左遷後1年で死亡って不自然やからな
ただ菅原道真の神格化は道真を左遷した系統を抑えて自分の家系を反映させたい、っていう藤原氏内の勢力争いの産物って側面もあったみたいやな
判官贔屓が北条氏による間接的な源氏将軍批判のために普及した面があるのと共通 大宰府とか古くから発展していた大都市で平城京よりも古い中国モデルの都市なのに日本史での扱い微妙に軽い気がする
奈良時代や平安時代の九州にも大都市があったって結構ロマンあると思うんやけどな
時代が下ると九州や中国に勢力を広げた戦国武将にとってもあのあたりは重要な交易地になってくるし
そしてそういえば大宰権帥任命って流罪代わりに使われまくる印象やなって思ったら当時の人々もそんなイメージだったらしく、
本物の大宰府長官が体面を気にして「大宰権帥じゃなくて大宰帥にしてくれ」って言って認められたケースとかもあってちょっと草 >>561
菅原道真は太宰府左遷、その年に死んでるんか それだと京都復帰を太宰府近くの竈門神社にお参りしたりはできなかったか >>574
すまん再確認したら2年後やった
まあ901年1月に左遷されて903年3月に死去だし無給で従者の帯同も禁止だったみたいやからどのみちろくでもない死に方させられてたのは間違いないが >>575
隣のキー押してしまった
903年2月やった >>561
一応流罪と左遷はちゃうで
それに時代関係なくケースバイケースやしな
道真や隆家は官職与えて左遷やけども流罪ではない
頼朝に関しては
武家の棟梁である武家源氏の河内源氏の嫡流で若いとはいえ五位の貴族でもあり
後白河天皇准母統子内親王が院号宣下を受けて上西門院になるとその蔵人になり
尚且つ二条天皇の蔵人でもあったからな
義朝が院近臣として出世したのを鑑みても頼朝の出世はかなり優遇されてるからな
何かしら人気あったのか期待されてたんやろね
あと間違いなく女性人気あったやろね
それに源平は平治の乱であーなったが歴史的にみれば仲も悪くなかったしな
そりゃ東国の開発領主の田舎娘政子から見たら
いくら流人とはいえ若くしてこんな華々しい経歴の都のシティーボーイならメロメロになるし
東国の武士もまぁ最終的に御輿担ぐわなと >>566
一族が弱くなりすぎると
外戚や家臣に専横されるし
一族が強すぎると
その中で跡目争い起きるからな
中華王朝なんかもそうやけど >>577
もちろん名目上はそうやけど名目上は左遷でも実質的に流罪ってケースも多くて意識的にも実質流罪として扱われてたりするからな
藤原伊周や藤原隆家の扱いは少なくとも菅原道真よりはマシだったと思われるが与えられた「大宰権帥」「出雲権守」は明らかに名目的地位やからな
まあ線引きが難しいってのはわかる >>580
一族を警戒しすぎたのが魏で優遇しすぎたのが晋やな
魏は滅びそうになっても皇帝を救う義理も力もなかった
晋は一族が好き勝手していつの間にか自称皇帝が乱立 >>575
太宰府政庁には出仕しなかったが普通に地元の郡司層らとは交流(歌会など)あったから生活はそこまで酷くはなかったみたいよ
>>573
中央で政治バリバリやってた人には苦痛やったろうね
しかも仕事ないのに行けやからな
趣味に生きられなかったから辛かったろうね
太宰府は特殊な立ち位置やからな
筑前国にあるけども筑前国司はいる
主に軍事と外交が仕事だが九州の内政もみるとかいう(時代によっても変わるけども)
まぁやはり一番大きいのは兵馬の動員管理と外交だわね
内政やりたい人向きではないわね 伊周は一応帰京できてから准大臣の扱いになったし
道真や源高明よりは扱い良かったな カバヤ食品の一族ってなんか名家の血を引いとるん?
琉球尚氏の聞得大君を嫁に迎えたり
上皇のお姉さんの養子になったり凄いんやけど >>581
だから流罪と左遷には明確な差があるの
それを結果が同じだからってごっちゃにしたらあかんよ
流罪だろうがケースバイケースで頼朝みたいにかなり優遇されてたもんもあるからね
それに頼朝は流罪だから官位官職を一度剥奪されている
道真や隆家は流罪ではないから官位官職は剥奪されてはいない
ここは大きなポイントよ
皇族に関しては流罪でも品の剥奪は基本なかった 歴史の時間で中世を学んだワイ
「お公家さんは一条二条三条の順で偉いんちゃうの?
なんで九条とか言う雑魚がブイブイ言ってんねん」 >>586
だから>>561でも「名目上は左遷」って書いてあるやろ
日本史的にも菅原道真が流されたって説明され得るように結果として流罪代わりに機能してたって話や >>587
近衛もおるやでー
いわゆる摂関家も良く解らんな
万里小路とか読むことすら() >>589
野望とかだと大名扱いやけど
正確には公家やで
やから中村城やなくて中村御所 ノリで正親町三条を苗字にしたけど長すぎて使い勝手悪すぎって実感して明治時代に改名した人もいたみたいやね うちも戦国時代に没落して農民に戻ったけど
名字はそのまま受け継いどるのでそんなもんやろ >>589
すごいことやからな
応仁の乱の一年後には自分とこの荘園経営に一族(土佐一条氏)送り込んで成功したからな
土佐一条氏は公家というか公卿のくせにバイタリティあるわホンマ
北畠家のように南北朝から室町に国司兼ねた大名で力蓄えたのとはまた別やからな >>594
信長の野望やると北畠弱小で悲しい😭
くっそ名門なのに 歴史詳しく知らんけど実家の近所に大正初期頃まで浅井長政の側室の子孫が住んでたらしくて駅に子孫が建てた銅像あったなあ 秀吉子飼いの中村氏堀尾氏あたりや児小姓上がりの加藤氏福島氏石田氏とかが存続してるのが意味分からん
ガチモンの下級上がりで一切利用価値ないやん >>598
近世は戦国時代に活躍した家ってのが武家社会では一つのステータスになり得たからね
近世以前はやはり官位官職や幕府での役職につけるかどうかという家格が無視できなかったんやけども
良くも悪くも超時空天下人秀吉によって中世終わった結果もあるやろね
そういう意味からも歴史学者が近世を安土桃山から設定してるのは納得できるわね >>594
同時期の摂関家でも
九条家とか荘園経営のイザコザで
執事格の唐橋家と揉めて殺害事件起こしてるからなあ >>599
秀吉の関白就任の経緯おもしろいよなあ
近衛と二条の継承争いに上手く入り込んでいくの なんだかんだなんとか衆とか相談役みたいな感じで雇われて細々と生き残ったっての結構おるよな
足利義昭とかもなんだかんだ生き残ってるんやっけ 三条はおるけど超名門ではないので別にするけど4〜8条はいなかったの?
九条サマはホントに九条に住んでたの? はじっこだろ >>604
存在するのは
四条家:藤原氏魚名流嫡流
五条家:菅原氏(高辻家庶流)
六条家:村上源氏(久我氏庶流)
七条家:藤原氏(水無瀬氏庶流)
八条家:藤原氏(四条家庶流) 野心を持ってるようなのでなきゃ
地元の豪族を束ねるのに都合がいいし
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