滅亡した戦国大名や武将てその後どうなったんや
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徳川の庇護下に入って子孫はみんな面倒見て貰った
最後の当主は大政奉還の時に一仕事貢献してる まあまあ滅ぼされたところの部下として生き残ってる人も多いよね そいつが支配してた地域のしがらみもあるからゲームほど簡単に斬首できないんだよな 応仁の乱に出てくるような苗字の連中は徳川幕府に高家とかいう身分で養われとる
吉良上野介とかこれ 完全に断絶したのって大名クラスやと案外少ないよな
パッと思いつくのは長宗我部と朝倉浅井かな >>1
小さい頃に公家文化の英才教育受けてたから
徳川家康のところへ行って
調停交渉や公家の接待役になって
明治維新まで今川家を高家として残す
どんな困難があっても奥さんとはずっと仲良しだった >>12
へえーすごいな
武田て甲斐が有名だけど房総とか若狭とか安芸にもあるね 氏真と家康ってなんか交流のエピソードって残ってないんか?
知らん間柄やないんやし >>18
氏真がしょっちゅう遊びに来てウザい、みたいなエピソードあるな >>16
鎌倉から続く武田は名門で真里谷武田とか上総にあったり
色々あるな 今川氏真は駿河で隠居してた家康の家に頻繁に友人として訪れて
あまりにもしつこかったので遠い所に屋敷を与えて厄介払いされてたという逸話
情けなくて好き >>18
氏真が晩年にやたら家康を訪問してたって話があったような 蜂須賀家ってまだ続いてるけど
当主が子無し米在住ババアだから断絶確定してるんだよな 長宗我部は官位貰うのが遅すぎたな
息子は貰えずじまいだったとこを見るに
金が無かったのか軽視してたのか >>20
氏真のが歳上やし兄貴ぶったりしてたんやろなあ 名門の家だと糞無能でも捨扶持貰えて家は続いていくよな ワイの実家は尼子なんやがどうやって生き延びたのかわからんわ 直接ワイの家と関わりあるかはわからんけど
同姓の大名は戦国時代に付いた主君が悉く負けて
関ヶ原で負けた時点で心折れて帰農したらしい >>22
幼馴染だからな仲良くしたかったんだろう
親の仇である織田と蹴鞠したって話も残ってるな
「あれが駿河の大名の奈良の果て(笑)」
とかバカにされたりしたけど、プライド捨てて、一生懸命朝廷や公家とのパイプ作って一定の地位を確立したのは見事 実際子どもの頃面倒見てもらった兄貴分が落ちぶれても無下にできないし大人になってから会いたくないよな ワイんちは苗字変えて落ちのびたわ
その後商売で成功して富豪になったけど藩の度重なる金の無心で破産したわ 武将としては全然ダメだったけど
和歌、蹴鞠、茶の湯とか
教養面が高いと尊敬されて、一定の政治力や信頼が発揮できた時代だった
氏真はそこが強くて、戦いではない方法で殺伐とした戦国時代を生き抜いた 滅んだといわれても意外と子孫が残ってたりする
逆に存続してるといっても血縁関係が怪しかったりとかも 織田信長の子孫ですって聞こえはいいけど織田信雄経由やとなんか名乗りにくそうやな
実際まだ繋がっとるんやろか 武将から剣豪に転職って一握りしか居ないんやな
戦場で使えるノウハウって流行りそうなのに >>38
庶流も潰えたのか
まぁ相模三浦氏自体が宝治合戦で生き残った三浦氏し庶流の末裔だが 治世した後だとわざわざ根絶やしにするメリットが少ないから >>41
信雄も有楽斎の子孫もしっかり繋がっとるで >>41
でも後に大名として残ったのほとんど信雄系やぞ?
氏真が良くて何で信雄がアカンのや >>40
血より家第一だから養子でも問題ないって価値観だからね >>22
でもそんな厄介な今川家も幕末に最後の当主が恩返しと言わんばかりに幕府の代表として朝廷との交渉を進め慶喜の命を救ったんだわ 葛西氏とか大宝寺氏とか
あと内ヶ島氏は間違いなく滅亡してる >>49
それでも出来る限り血縁から迎えたりするんやけどね
一部は譜代化を狙って幕閣有力者から養子とる家もあるけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています