滅亡した戦国大名や武将てその後どうなったんや
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>>134
創価の何代か前の会長が小田原北条氏の末裔で草生えたわ
関東制覇した先祖もびっくりやろな >>126
亀井亜紀子は尼子氏家臣の亀井氏末裔聞いて驚いた >>134
氏規子孫が狭山藩北条家として残ってたような >>129
まあだから権威化した頼朝は凄い
……のかどうかは後世の執権北条氏や足利将軍家の権威強化に使われた疑惑あるから慎重に見ないといけんよなー >>43
四国の位置でワイは東軍やで〜なんていうたら関ヶ原前の寄り道で潰されるからしゃーない >>126
殿じゃないけど赤井英和は丹波の赤鬼の子孫とかなんとか >>125
親藩大名の水戸藩から天狗党出てきとるんやからやっぱり関係ない >>136
自称なんかな
何処に住んでるかはもう忘れたけど
アーマードコアのネット対戦の無い頃の作品で知り合った >>82
>>84
たしかに歴史の大きな流れ考えたら多少延命するだけの可能性はあるけど俺悔しいよ >>142
あいつは岩倉具視の流れも汲む維新後もガチ上流や 血が入ってるだけなら唐澤貴洋尊師も名門河野家の子孫だからな
ほんまもんの上級国民様やわ 細川の本家は安東(秋田)氏に行ったんやな
本家と分家の逆転現象起きとる >>129
源平合戦(治承寿永の内乱)で頼朝が多田行綱の持ってた多田荘をかなり強引に奪い取ったのもそうした嫡流意識争いの結果みたいやな
んで多田荘は古くから豊かで治外法権性があったことも指摘されてるくらい源氏繁栄のゆりかごになった土地
満仲の子孫の頼光・頼親・頼信の中で一番マイナーな頼親だけどなんかこの人清少納言の兄弟を殺害して藤原道長に「殺人上手」とか語られてたりいろんな意味ですごい奴だったっぽいな 菅原道真とか死後怨霊になって天皇呪い殺したり政敵呪い殺したり雷で殺したりした扱いされとるし
本人は太宰府に流されて一族も皆殺しレベルのことやられたんやろなあ…と思ったら
本人と息子4人だけ左遷されて、本人は病死したけど息子は数年で復権しとるんやな
いうほど怨霊になるか? 幕末の記録とか読むと
幕府の奉行に朝比奈とか葛山とか
野望なら戦国当時に捕まえて処分してるような懐かし無能名字がゴロゴロしてて
そら幕府も潰れるよなって ワイの先祖小峰家の宿老の直系やけど主君がやられて伊達に付いたら奥州仕置きでほとんどの領土豊臣秀吉に取られたけど食い扶持分くらいの土地は残してもらえたやで 楽天の三木谷が本多忠勝の子孫とか言ってるけど信じてない >>145
関ケ原は東西できれいに分かれてたわけじゃないぞ。。。
九州から東北まで全国各地で同時多発の戦になってる 夏目漱石の先祖は本多忠勝との一騎討ちに負けて戦死しとるのを孫がずっと擦ってる 長宗我部は蘇我氏の部民の秦氏の末裔ってことになってるが
壬申の乱で大友皇子方の大臣だった蘇我赤兄が
乱後に土佐に流されてる
それが長宗我部のライバルの安芸氏の始祖とかいう話があって面白い 高校の同級生で九鬼君おったな
九鬼家の子孫なん?って聞いたら
ウチは九鬼の接待役の家系だから違うって
それ確実に九鬼家ですやんと思った 北畠は娘が信雄に嫁いでるけど男系では断絶してる?
南北朝時代に分かれた家が東北にもあるらしいが >>135
なんなら長宗我部傍流の香宗我部家もある >>133
長宗我部家って元々がただの土豪で大名になったのは元親が大当たりしたくらいやから
その弟はそこまで脅威に思われてなかったんかもな >>161
最近は子孫が歴史創作に介入するパターン増えたよな
自分の先祖は良い人!その敵対者は悪い人!みたいな主張してる奴結構多いわ >>147
天狗党は藩論統一出来てない単なる暴徒みたいなもんやろ
長州は藩論統一して倒幕の中心として動けた訳やから藩主が誰であったかというのは目茶苦茶重要やわ 鎌倉時代の最後の方になると足利氏が「源氏の名門」みたいな感じで存在感を増していくけどあれも結構トリックがあったみたいやな
簡単にいえば
・代々北条氏から妻を迎え、北条氏の娘との間の子を嫡流としていた(他に生まれた年長の男子がいても庶流扱いにするくらい徹底)
・北条氏は頼朝の弟の末裔である吉見氏や阿野氏を警戒し、足利氏が源氏本流のように扱われた方が都合がよかった
と、北条・足利の思惑の一致によるところが大きいといわれてたり
吾妻鏡で吉見氏の扱いが小さいこととかも何か背景がありそうやね >>167
波岡かな
あっちも戦国時代あたりで継承が怪しい事になってたような >>166
ソフバンから横浜行った九鬼はマジモンの子孫やで >>174
有名な家系の子孫の会合とかあるみたいやけど嫡流マウンティングとかすごそう(偏見) >>174
コーエーが能力値クレームで本当に困っとるんよな
まあネタみたいな変顔やる方も悪いが
なお提督の決断はルーレットに逃げた模様 幕府って大体15代程度で終わるのはなんかあるんかね >>145
長引く可能性もあった訳やしな
長曾我部とか南条を責めるのは酷だと思うわ >>175
長州の藩論統一も決起あってのことやしそれが上手くいったかどうかは今の話題に関係ないやん
事が起こる土壌が長州毛利だからあったって話やけど親藩でも起きたぞって言いたいんや 上でも書かれてるけど「織田信長の末裔!」→「でも信雄の系統か〜」みたいに微妙な空気になったりする事例ありそうやね >>176
すまんネタわからん
テニス上手い爽やかイケメンで性格も良かったし
多分違うと思う
>>180
でもテキトーぶっこいた家臣の帳尻合わせで切腹させられた武将の子孫て可哀想よな >>158
幕末の幕府主戦派なんかだと
竹中重固は竹中半兵衛子孫だな >>184
前漢後漢や唐から明清あたり見とると中興の祖出て立て直しても200年から300年くらいが王朝の使用期限っぽいわ >>184
まあさすがに偶然っぽいけど鎌倉幕府の執権も室町幕府の将軍も江戸幕府の将軍も15代前後なのはなんか面白いな
鎌倉の執権とかは代数のカウントにも諸説あるし室町幕府の将軍は再任とかもいるが 大内義隆とか一時期1番領地多かったんじゃないそれがあっさり滅亡してるしな >>162
でも中四国と九州は西軍が多いやん
だから長引くと攻められる可能性があるから長曾我部や南条が西軍についたのは常識的な判断だと思うわ
実際阿波は西軍に占領されて蜂須賀家政は高野山に追放されているからな 島津って鎌倉以来なのか
そらおおいばりするわな
貴族と違って自分らで土地守ってきたんやもんな >>189
前に九鬼というエロ映像のブランドがあったので
ちょっと気になったんや >>36
庶流が伊勢北畠に仕えて志摩十三地頭の一家になったりしている >>192
中国でも三国志までの時代は将棋みたいに取った駒にしてたんやけどなあ
おかしくなったのは晋以降 そういや武田信玄の子孫自称して子孫の会から否定されたグラドルおったな
直後に万引きで逮捕されて草やったわ 応仁の乱で主力となった細川畠山赤松大内山名とか軒並み消えた >>195
8代目が時宗、義政、吉宗とその時代時代のキーマンやってるのも面白い >>161
嫌な思いすることが多かったんだろうなと思う
裏切り者といえば明智くらいのイメージあるし >>199
島津て守護大名でそのまま江戸時代終わるまで領地変わらなかった唯一の大名家じゃないのか >>192
チャトランガ系ボードゲームの中でも取った駒を再利用できるのが日本の将棋の特色として注目されることは多いけどどうも持ち駒ルールができた時期は不明みたいなんだよな
11世紀から16世紀までいろんな説があったり >>206
何とかイメージ変えたいという子孫の思いもわかる >>183
作毎にメンツも能力もガラッと変えりゃええやん
固定しすぎたんよ >>199
何なら平安末期から系譜辿れるからな
天皇公家除いたら今1番名門の家系といって過言じゃない
そら佳子とくっつけさせたがるわ 島津はなんか宣伝工作が上手かったって面もありそう
実際に最強だったかはちょっとな 水戸藩は御三家最弱を拗らせて天皇が一番偉いんや言い始めた
御三家筆頭の尾張徳川は早々に官軍について幕府を攻撃してる
将軍を出せなかったり江戸本家と衝突して不満あったからな
戦国時代から敵は身内よ >>198
なんとなくだけど
陶興房が亡くなってから大内ダメになった感じがするね >>209
対馬の宗家とか支配面倒な場所は粘れるで
その意味でも平安時代から戦後市長までやる大村藩は異常やけど 傍流が明治の時に復姓して残ってるケースもあるんやろな >>218
義隆の息子が尼子との戦いで戦死してからじゃない >>196
領地が広いだけじゃなくて石見銀山と博多を同時支配というチート
それがあんなにあっさり滅亡するからわからんもんやな まあ島津は近衛家の家来だし
中央とコネがあったのも大きいだろ >>218
まあ厳島の戦いが決定的やな
とはいえ簒奪者の陶家がそのまま大内の領土維持できたかは微妙
それが出来る能力なら毛利に負けてないと思うし >>213
さすがに一度も覇権を握った事の無い地方豪族が武家の棟梁の系統よりも上は無い 山中幸盛のほんまの子孫はどっちやみたいな裁判があったらしいな まあ明智光秀の子孫が鬱陶しいって気持ちもわかるっちゃわかるが他と違って何も宣伝しなければ「裏切者の代名詞の末裔」として扱われそうって危機感があるって事情は割り引いてやる必要ありそうやね
伝統的にいいイメージの家系の末裔が似たようなことやってたらどうかと思うが >>208
なんか末裔っぽい人が学者として出てたな
胤って名前使ってた >>219
宗家は途中まで守護どころか地頭ですらなかった(それぞれ少弐氏)のが少し痛いなあ >>196
陶にやられたのがなぁ…
無能呼ばわりされとるけど尼子大友相手にやりまくっとるし経済も重視しとったから能力は高かったんやろな
陶の親父とか重臣中の重臣やし信用するのはしゃーないわ 楠公さんの自称子孫が戦国時代に朝敵認定外すよう嘆願して許されたけど
楠木氏はその後どうなったんや ○○の子孫とか羨ましい
夏休みに地方にある本家に日本中から親戚が続々と集まるとか憧れる 千葉氏が族滅に近い扱いの中で傍流が奥州藤原氏の後を支配してて最近まで子孫が中尊寺の博物館長やってるのも草やな >>203
脇坂家の末裔名乗ってた美人女医もいたよな
確か詐欺で逮捕された挙句にすっぴん状態で逮捕されたからとんでもない素顔を報道された上に脇坂家の嫡流から親戚関係を否定されたりと最後はめちゃくちゃやった 太閤立志伝やってるとちょいちょい出てくる妖怪みたいな風貌の北条早雲なんやねん >>222
武闘派の新宮党を毛利の策略にはまってあっさり粛正してしまったのがアウトやろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています