滅亡した戦国大名や武将てその後どうなったんや
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>>175
長州の藩論統一も決起あってのことやしそれが上手くいったかどうかは今の話題に関係ないやん
事が起こる土壌が長州毛利だからあったって話やけど親藩でも起きたぞって言いたいんや 上でも書かれてるけど「織田信長の末裔!」→「でも信雄の系統か〜」みたいに微妙な空気になったりする事例ありそうやね >>176
すまんネタわからん
テニス上手い爽やかイケメンで性格も良かったし
多分違うと思う
>>180
でもテキトーぶっこいた家臣の帳尻合わせで切腹させられた武将の子孫て可哀想よな >>158
幕末の幕府主戦派なんかだと
竹中重固は竹中半兵衛子孫だな >>184
前漢後漢や唐から明清あたり見とると中興の祖出て立て直しても200年から300年くらいが王朝の使用期限っぽいわ >>184
まあさすがに偶然っぽいけど鎌倉幕府の執権も室町幕府の将軍も江戸幕府の将軍も15代前後なのはなんか面白いな
鎌倉の執権とかは代数のカウントにも諸説あるし室町幕府の将軍は再任とかもいるが 大内義隆とか一時期1番領地多かったんじゃないそれがあっさり滅亡してるしな >>162
でも中四国と九州は西軍が多いやん
だから長引くと攻められる可能性があるから長曾我部や南条が西軍についたのは常識的な判断だと思うわ
実際阿波は西軍に占領されて蜂須賀家政は高野山に追放されているからな 島津って鎌倉以来なのか
そらおおいばりするわな
貴族と違って自分らで土地守ってきたんやもんな >>189
前に九鬼というエロ映像のブランドがあったので
ちょっと気になったんや >>36
庶流が伊勢北畠に仕えて志摩十三地頭の一家になったりしている >>192
中国でも三国志までの時代は将棋みたいに取った駒にしてたんやけどなあ
おかしくなったのは晋以降 そういや武田信玄の子孫自称して子孫の会から否定されたグラドルおったな
直後に万引きで逮捕されて草やったわ 応仁の乱で主力となった細川畠山赤松大内山名とか軒並み消えた >>195
8代目が時宗、義政、吉宗とその時代時代のキーマンやってるのも面白い >>161
嫌な思いすることが多かったんだろうなと思う
裏切り者といえば明智くらいのイメージあるし >>199
島津て守護大名でそのまま江戸時代終わるまで領地変わらなかった唯一の大名家じゃないのか >>192
チャトランガ系ボードゲームの中でも取った駒を再利用できるのが日本の将棋の特色として注目されることは多いけどどうも持ち駒ルールができた時期は不明みたいなんだよな
11世紀から16世紀までいろんな説があったり >>206
何とかイメージ変えたいという子孫の思いもわかる >>183
作毎にメンツも能力もガラッと変えりゃええやん
固定しすぎたんよ >>199
何なら平安末期から系譜辿れるからな
天皇公家除いたら今1番名門の家系といって過言じゃない
そら佳子とくっつけさせたがるわ 島津はなんか宣伝工作が上手かったって面もありそう
実際に最強だったかはちょっとな 水戸藩は御三家最弱を拗らせて天皇が一番偉いんや言い始めた
御三家筆頭の尾張徳川は早々に官軍について幕府を攻撃してる
将軍を出せなかったり江戸本家と衝突して不満あったからな
戦国時代から敵は身内よ >>198
なんとなくだけど
陶興房が亡くなってから大内ダメになった感じがするね >>209
対馬の宗家とか支配面倒な場所は粘れるで
その意味でも平安時代から戦後市長までやる大村藩は異常やけど 傍流が明治の時に復姓して残ってるケースもあるんやろな >>218
義隆の息子が尼子との戦いで戦死してからじゃない >>196
領地が広いだけじゃなくて石見銀山と博多を同時支配というチート
それがあんなにあっさり滅亡するからわからんもんやな まあ島津は近衛家の家来だし
中央とコネがあったのも大きいだろ >>218
まあ厳島の戦いが決定的やな
とはいえ簒奪者の陶家がそのまま大内の領土維持できたかは微妙
それが出来る能力なら毛利に負けてないと思うし >>213
さすがに一度も覇権を握った事の無い地方豪族が武家の棟梁の系統よりも上は無い 山中幸盛のほんまの子孫はどっちやみたいな裁判があったらしいな まあ明智光秀の子孫が鬱陶しいって気持ちもわかるっちゃわかるが他と違って何も宣伝しなければ「裏切者の代名詞の末裔」として扱われそうって危機感があるって事情は割り引いてやる必要ありそうやね
伝統的にいいイメージの家系の末裔が似たようなことやってたらどうかと思うが >>208
なんか末裔っぽい人が学者として出てたな
胤って名前使ってた >>219
宗家は途中まで守護どころか地頭ですらなかった(それぞれ少弐氏)のが少し痛いなあ >>196
陶にやられたのがなぁ…
無能呼ばわりされとるけど尼子大友相手にやりまくっとるし経済も重視しとったから能力は高かったんやろな
陶の親父とか重臣中の重臣やし信用するのはしゃーないわ 楠公さんの自称子孫が戦国時代に朝敵認定外すよう嘆願して許されたけど
楠木氏はその後どうなったんや ○○の子孫とか羨ましい
夏休みに地方にある本家に日本中から親戚が続々と集まるとか憧れる 千葉氏が族滅に近い扱いの中で傍流が奥州藤原氏の後を支配してて最近まで子孫が中尊寺の博物館長やってるのも草やな >>203
脇坂家の末裔名乗ってた美人女医もいたよな
確か詐欺で逮捕された挙句にすっぴん状態で逮捕されたからとんでもない素顔を報道された上に脇坂家の嫡流から親戚関係を否定されたりと最後はめちゃくちゃやった 太閤立志伝やってるとちょいちょい出てくる妖怪みたいな風貌の北条早雲なんやねん >>222
武闘派の新宮党を毛利の策略にはまってあっさり粛正してしまったのがアウトやろ >>228
自称明智の子孫も
論考を見てると意外と明智ageはしてないし
むしろ信長と家康を強大に描く過程で
間接的に光秀がアホ扱いされとる
光秀ごときの単独犯で成し遂げられる訳がない
が議論のスタートやし 奥州藤原氏も滅亡させられてなかったら東北がどんな風に発展してたのかは興味あるわ
だから頼朝あんまり好かんのよな 清和源氏の子孫で作られた多田満仲同族会みたいな組織のフェイスブックを見てみたら「こいつは反日だから除名した」みたいな文面ばかり踊っていたのには衝撃受けた
先祖もさぞ嘆いてるやろなと思ったがよく考えたら同族殺しは源氏の伝統やったな
まあこの手の同族会って一つだけじゃないみたいだけど キリシタン大名伊東家→遣欧少年使節団の伊東マンショ
知った時はくすっと来た 庶子やら一族がどこぞの大名の家臣になって存続してたりする 尊王ってことで南朝の功臣の子孫を
明治維新の際に復興して華族させたりしてたな
新田とか菊池とか名和とか >>240
新宮党ほっといたらそれはそれで分裂しそうなんよなぁ >>242
でもあれが無かったら伊達を始めとした諸氏が奥州に土着する事も無かったかもしれんのやで? >>198
そりゃ大内じゃね?
何故か月山富田城で負けてしまったけど、それ以前もその後も基本大内の方が優勢やからな >>240
それは尼子家や
ワイの言いたかったのは大内家なんや >>236
ワラワラ集まるな
お前誰だよってガキと盆正月は遊んでたわ >>221
陶興房の頃は大内だけで勝ってた感じで
陶晴賢は大して活躍してないイメージがあって
毛利が頑張ってた感じで
吉田郡山城とか、安芸武田を滅ぼしたこととかは毛利がメインだったし
その後すぐに月山富田城で負けたし >>245
桑名の家老になって幕末迎えてる服部半蔵 岩手に菊池姓が多いのが
肥後菊池の一族が南北朝の時に
南朝方として転戦して流れ着いた結果とか
考えれば凄い話よな >>223
秋田(元安東さん)が関東に移動した経過を知った時は
ちょっと驚きやったな ちなワイの先祖は武士じゃないけど聖徳太子の母親の付き人だったみたい >>242
奥州藤原氏もどうやら血統的には完全に滅んだわけじゃないみたいやね
もちろん宗家は滅んで奥州の支配権を失ってるわけやから滅亡の定義によっては消えてることになりそうやけど
藤原秀衡の子の1人の高衡は義経追討時にも許されて鎌倉幕府の客将的な立場になってたらしい
面白いことに勝手のわからない奥州の運営のために生かされたみたいやな
頼家の時代に建仁の乱で殺されるが子孫は小泉氏として残ったという説もある
他に秀衡の弟の家系みたいな支流も残ってる >>223
佐竹も常陸のイメージあるから今山形言われても頭が納得してくれない 「○○の子孫を称した」とかもイメージよくなかったりするけど当時の人々にとって家系図は履歴書みたいなものだったからしょうがなくって面もあるみたいやね >>252
義隆も九州方面では勝ってたんだよ
少弐家滅ぼすのにわざわざ格上の大弐の官位貰って追い詰めたりしてたしね >>255
武田もいろんなとこにおるの知った時はなるほどなと思ったわ
安芸甲斐若狭上総 >>242
大して変わらんだろw
平泉の人口推計とか嘘くさいし >>258
長男がめっちゃ偉い
でも次男が可哀想って母親が長男嫌って次男寵愛する傾向あるわ
兎にも角にも長男はそんなのを乗り越えるから強い
ワイ次男だけど気楽だわ >>262
江戸幕府もちゃんとした官位を与えないといけないから多少盛っていいんで良い血筋の子孫という事にしろって推奨するくらいやしね
まあ提出後に家系図の矛盾点を散々添削されるんやけど >>267
兵農分離終わって軍人揃えた本州vs一領具足でまともに勝てるわけない >>263
倒しきれなくて和睦して暴殺したんじゃなかったけ? >>254
東北に残された菊池氏の一族が再度士族となって再興しようという気持ちで
士っぽい文字をいれて菊地と名乗るようになったのが菊地性の始まりみたいなことなんかの番組でやっていたな >>235
菅沼とか奥平みたいに、地方豪族でも時の流れで歴史に顔を出すような一族の末裔は
やはり多少は鼻が高いんやろな >>219
ワイ元大村市民やけど由緒正しい土地やったんか… >>277
まあ名門の家って何度も復活するから結局とどめを刺したのは龍造寺だったかな 武士じゃないけど東大首席四人輩出した鳩山家とか学者何人も輩出してる五百旗頭家はなんなんだ
頭の出来が違うのか 島津と伊達は南北朝から江戸末期まで大勢力として生き残ったの凄いわ
島津は先祖代々の土地守り抜いたし伊達はちょっとズラされたけど平和になった時代に仙台平野貰えたんやから充分勝ち組や
逆に国人から出世した毛利とか家臣スタートの前田黒田鍋島も凄い ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています