滅亡した戦国大名や武将てその後どうなったんや
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>>196
領地が広いだけじゃなくて石見銀山と博多を同時支配というチート
それがあんなにあっさり滅亡するからわからんもんやな まあ島津は近衛家の家来だし
中央とコネがあったのも大きいだろ >>218
まあ厳島の戦いが決定的やな
とはいえ簒奪者の陶家がそのまま大内の領土維持できたかは微妙
それが出来る能力なら毛利に負けてないと思うし >>213
さすがに一度も覇権を握った事の無い地方豪族が武家の棟梁の系統よりも上は無い 山中幸盛のほんまの子孫はどっちやみたいな裁判があったらしいな まあ明智光秀の子孫が鬱陶しいって気持ちもわかるっちゃわかるが他と違って何も宣伝しなければ「裏切者の代名詞の末裔」として扱われそうって危機感があるって事情は割り引いてやる必要ありそうやね
伝統的にいいイメージの家系の末裔が似たようなことやってたらどうかと思うが >>208
なんか末裔っぽい人が学者として出てたな
胤って名前使ってた >>219
宗家は途中まで守護どころか地頭ですらなかった(それぞれ少弐氏)のが少し痛いなあ >>196
陶にやられたのがなぁ…
無能呼ばわりされとるけど尼子大友相手にやりまくっとるし経済も重視しとったから能力は高かったんやろな
陶の親父とか重臣中の重臣やし信用するのはしゃーないわ 楠公さんの自称子孫が戦国時代に朝敵認定外すよう嘆願して許されたけど
楠木氏はその後どうなったんや ○○の子孫とか羨ましい
夏休みに地方にある本家に日本中から親戚が続々と集まるとか憧れる 千葉氏が族滅に近い扱いの中で傍流が奥州藤原氏の後を支配してて最近まで子孫が中尊寺の博物館長やってるのも草やな >>203
脇坂家の末裔名乗ってた美人女医もいたよな
確か詐欺で逮捕された挙句にすっぴん状態で逮捕されたからとんでもない素顔を報道された上に脇坂家の嫡流から親戚関係を否定されたりと最後はめちゃくちゃやった 太閤立志伝やってるとちょいちょい出てくる妖怪みたいな風貌の北条早雲なんやねん >>222
武闘派の新宮党を毛利の策略にはまってあっさり粛正してしまったのがアウトやろ >>228
自称明智の子孫も
論考を見てると意外と明智ageはしてないし
むしろ信長と家康を強大に描く過程で
間接的に光秀がアホ扱いされとる
光秀ごときの単独犯で成し遂げられる訳がない
が議論のスタートやし 奥州藤原氏も滅亡させられてなかったら東北がどんな風に発展してたのかは興味あるわ
だから頼朝あんまり好かんのよな 清和源氏の子孫で作られた多田満仲同族会みたいな組織のフェイスブックを見てみたら「こいつは反日だから除名した」みたいな文面ばかり踊っていたのには衝撃受けた
先祖もさぞ嘆いてるやろなと思ったがよく考えたら同族殺しは源氏の伝統やったな
まあこの手の同族会って一つだけじゃないみたいだけど キリシタン大名伊東家→遣欧少年使節団の伊東マンショ
知った時はくすっと来た 庶子やら一族がどこぞの大名の家臣になって存続してたりする 尊王ってことで南朝の功臣の子孫を
明治維新の際に復興して華族させたりしてたな
新田とか菊池とか名和とか >>240
新宮党ほっといたらそれはそれで分裂しそうなんよなぁ >>242
でもあれが無かったら伊達を始めとした諸氏が奥州に土着する事も無かったかもしれんのやで? >>198
そりゃ大内じゃね?
何故か月山富田城で負けてしまったけど、それ以前もその後も基本大内の方が優勢やからな >>240
それは尼子家や
ワイの言いたかったのは大内家なんや >>236
ワラワラ集まるな
お前誰だよってガキと盆正月は遊んでたわ >>221
陶興房の頃は大内だけで勝ってた感じで
陶晴賢は大して活躍してないイメージがあって
毛利が頑張ってた感じで
吉田郡山城とか、安芸武田を滅ぼしたこととかは毛利がメインだったし
その後すぐに月山富田城で負けたし >>245
桑名の家老になって幕末迎えてる服部半蔵 岩手に菊池姓が多いのが
肥後菊池の一族が南北朝の時に
南朝方として転戦して流れ着いた結果とか
考えれば凄い話よな >>223
秋田(元安東さん)が関東に移動した経過を知った時は
ちょっと驚きやったな ちなワイの先祖は武士じゃないけど聖徳太子の母親の付き人だったみたい >>242
奥州藤原氏もどうやら血統的には完全に滅んだわけじゃないみたいやね
もちろん宗家は滅んで奥州の支配権を失ってるわけやから滅亡の定義によっては消えてることになりそうやけど
藤原秀衡の子の1人の高衡は義経追討時にも許されて鎌倉幕府の客将的な立場になってたらしい
面白いことに勝手のわからない奥州の運営のために生かされたみたいやな
頼家の時代に建仁の乱で殺されるが子孫は小泉氏として残ったという説もある
他に秀衡の弟の家系みたいな支流も残ってる >>223
佐竹も常陸のイメージあるから今山形言われても頭が納得してくれない 「○○の子孫を称した」とかもイメージよくなかったりするけど当時の人々にとって家系図は履歴書みたいなものだったからしょうがなくって面もあるみたいやね >>252
義隆も九州方面では勝ってたんだよ
少弐家滅ぼすのにわざわざ格上の大弐の官位貰って追い詰めたりしてたしね >>255
武田もいろんなとこにおるの知った時はなるほどなと思ったわ
安芸甲斐若狭上総 >>242
大して変わらんだろw
平泉の人口推計とか嘘くさいし >>258
長男がめっちゃ偉い
でも次男が可哀想って母親が長男嫌って次男寵愛する傾向あるわ
兎にも角にも長男はそんなのを乗り越えるから強い
ワイ次男だけど気楽だわ >>262
江戸幕府もちゃんとした官位を与えないといけないから多少盛っていいんで良い血筋の子孫という事にしろって推奨するくらいやしね
まあ提出後に家系図の矛盾点を散々添削されるんやけど >>267
兵農分離終わって軍人揃えた本州vs一領具足でまともに勝てるわけない >>263
倒しきれなくて和睦して暴殺したんじゃなかったけ? >>254
東北に残された菊池氏の一族が再度士族となって再興しようという気持ちで
士っぽい文字をいれて菊地と名乗るようになったのが菊地性の始まりみたいなことなんかの番組でやっていたな >>235
菅沼とか奥平みたいに、地方豪族でも時の流れで歴史に顔を出すような一族の末裔は
やはり多少は鼻が高いんやろな >>219
ワイ元大村市民やけど由緒正しい土地やったんか… >>277
まあ名門の家って何度も復活するから結局とどめを刺したのは龍造寺だったかな 武士じゃないけど東大首席四人輩出した鳩山家とか学者何人も輩出してる五百旗頭家はなんなんだ
頭の出来が違うのか 島津と伊達は南北朝から江戸末期まで大勢力として生き残ったの凄いわ
島津は先祖代々の土地守り抜いたし伊達はちょっとズラされたけど平和になった時代に仙台平野貰えたんやから充分勝ち組や
逆に国人から出世した毛利とか家臣スタートの前田黒田鍋島も凄い >>285
黒田は途中で断絶して別人の家系になってるけどな >>285
島津前田伊達と御三家の次に石高多いのどこたさなんだろ >>269
能登の畠山の肖像画が恰幅のいいヒゲ親父だったんで、
しばらく武田信玄の肖像画扱いされてたな
俺は学校で武田信玄と習った世代w >>261
この人に生きていてほしいって願いから生み出された生存説っていうのもよくあるけど
そういうのじゃなくても意外と子孫が残ってたりみたいなのはあるから興味あったら調べてみると面白いで
完全な豆知識やけど分家の樋爪氏の苗字はアイヌ語地名由来っていわれてるみたいやな >>269
畠山はいくつかの家に別れたからな
東北の二本松畠山氏が本来の嫡流らしいが弱体化
幕府の要職についたのは紀伊や和泉の畠山氏で
応仁の乱で派手に争ってたのもこの家
能登畠山氏はそこから分かれてる 大内氏はなんか大河とかで扱えそうなロマンあるよね
支配地域とか繁栄ぶりとかで 畠山も本来は本流は二本松と知って草
伊達パッパの話に出てくるアレかよ
影が薄すぎる >>287
地元じゃ謀殺された宇都宮の呪いと言われてる
宇都宮も元は関東だったな >>286
幕末には小倉と唐津で大名やってて
唐津の世継ぎが老中やってたな 最上義光とかも好きなんだけど
どんどん衰退していくのめっちゃ悲しい >>301
宇都宮はこないだ大河で死んだ道兼の子孫名乗ってたな
どうも本来は中原氏らしいけど >>299
大内義興は大河にしたら面白いと思うわ
知名度が無いのがアレだが 表舞台には出てこなくても信濃の国人領主とか駿河の旧今川家臣とかは幕臣に取り立てられてるから徳川からの扱いはいいわね >>301
宇都宮氏は今の栃木県に当たる下野国の宇都宮の地名を冠した名門やね
鎌倉時代からめっちゃ活躍してる
本家も戦国武将でもあるけど全盛期の成綱の時代がよく扱われる時代の少し前なのがあまり知られてない要因なんかな
結構すごい武将やから面白いと思うけど 細川は元々庶流も庶流(辿ると義兼の兄の義清に行き着く)だし成り上がったんやなぁ
吉良斯波の方が家格的に上やろうし
成り上がりと言えば鎌倉幕府の北条とか安達もか 今現在まで子孫も有能で一番繁栄してる大名ってだれや
立花家あたりか? >>303
駒姫惨殺のところで視聴者にトラウマ植え付けられそう
いくら何でも可哀想すぎる >>305
宇都宮氏の起源は諸説あるけど古代の毛野氏の末裔って説が一番ロマンあると思う
まあぶっちゃけ突き詰めて考えると天皇家含めどの氏族も男系で綺麗に続いてたかどうかはちょっと怪しいかもしれんが 相馬さんが原発事故で移住したとか聞いて涙不可避
数少ない南北朝からの先祖代々の土地死守した大名なのに 小笠原は本木雅弘の慶喜で
長州藩に敗れたときに「申し訳ござりませぬう」とか言ってたな
何度も連呼するもんだから慶喜から「もうわかった、やかましい」とか言われてた >>308
そんなことないぞ
妻の侍女孕ませて大喧嘩するというドロドロ展開も見られるぞ 長宗我部信親の才を恐れたクロカンが蜂須賀とセンゴクに命じて突出させ釣り野伏せを喰らわせた
謀略だったソースは後にセンゴクが許されてるから
って小説読んだな >>303
最上没落の話を手塚治虫が漫画にしてるから、探してみたらどう?
ただし大河ドラマ風じゃなくて殿様のやらかし話だけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています