滅亡した戦国大名や武将てその後どうなったんや
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>>404
藤原とかは残ってるけど源氏は徳川か村上源氏の後裔 仙石秀久って漫画の主人公にもなってたよな
何で選んだんやろ
史実重視と言いつつ登場人物の呼び名のキャプションとかはそんなに史実寄りでもないという 徳川家康の関東移封とか伊達政宗の仙台移封とか先祖代々の土地を移されるの罰ゲームに見えて実は将来の敵を育て上げちゃってるやろ思った
戦乱終わったら守り辛い平野本拠でも問題ないし軍費やなくて開墾にお金使えるし
だから豊臣は滅びた まぁ家は残っててもほとんどの場合直系で残ってることはまぁまぁ少ない >>418
男系で続いてる所はまあすくないわな
他家からの養子は昔娘が嫁いだ家からもってきたりはしてる >>395
>>408
地下人の方が残ってたか
剣豪の陰陽師とか強そう >>1
今川家は高家旗本として幕末で存続
明治維新後に跡取りに先立たれて断絶した >>403
摂関家兼大名家の豊臣氏羽柴家は潰れたが
豊臣氏羽柴家は高台院が養子を貰って木下家として再興され明治まで旗本として存続したで >>420
朝鮮柳生とか出てくる某小説家の世界観では最強の陰陽師兼最強の剣客やで >>403
伝承レベルであれば木下姓に改めて国松が生き延びたって話は一応ある そこそこ有名なwebライター長宗我部盛親の子孫だったのは割と驚いた 後年の今川氏真は家康を恐れさせた男やぞ
家康邸に遊びに行っても家康は居留守を使って会うの嫌がったんや >>419
伊達みたいに男系残ってるけど分家に逆転されるケースもあるから悲しいね >>422
木下系やと家定末裔の足守藩木下家は大名として存続したな >>426
子供が吉野に逃亡して楠木正成子孫の娘と結ばれて
そこに土着したみたいな話? 今村均輩出した今村家は仙台藩士
山本五十六の山本家と旧姓の高野家は長岡藩士
井上成美の井上家は幕臣
東條英機は東條家は盛岡藩士
石原莞爾の石原家は庄内藩士
武士多いな クリスケプラーは自称明智光秀の子孫だし松永久秀の子孫も女優なんだっけ渡辺なんとかさん
信長を苦しめたあのふたり >>433
五十六の養父は
河井継之助の右腕だった山本帯刀だよな 立花宗茂「ふひー旧領に戻ってきたやで」→外様大名として復帰
立花直次「ふひー三池に5000石貰って大身旗本やで」→息子の代で藩となり譜代大名へ 親戚までってのはあんま無いんやないか?
朝倉ですら親戚が生き残って徳川家の旗本になっとるし >>433
東條英機の実家は正確には盛岡藩士では無いよ
元々は能のシテの家が南部藩のお抱えになったのが遠因 日本であまり一族根絶やしとか家を完全に潰すのがないのは
家格(どういう官位官職につけるか)がかなり大きな意味を持ってたからな
潰すよりも利用した方がいいから >>438
草
サンガツ
能に関わる家だったからちょっと怪しいなとは思ってたけどそういう経緯があったか 根絶やしにされたのって荒木村重とかバテレン系ぐらいか
鎌倉は結構しっかりやられてるけど >>435
せや
先祖が戊辰戦争に参加してたと思うと面白い 足利義輝や義昭とかそんな子供作らねえもんか やり方によってはエライことになるかもなのはわかるけどさ 御恩と奉公は鎌倉の基本だけど、社会の基本でもあるよな
うちの会社御恩が少ないから奉公する気でーへんわ 菊池も島津に乗っ取られてなかったか
福岡の黒田
岡山の池田
青森の八戸南部は島津の養子貰ってたはず
有馬もだったかなー
島津の養子貰ってそのまま江戸時代終わった3家 御先祖広島出身だけどずっと平家の末裔って言われて育ったらしいわ >>447
小田氏は嫡流が浪人として江戸時代生き残ってたって論文があったな >>441
荒木氏も普通に村重の叔父の孫が黒田長政の斡旋で徳川秀忠に気に入られて幕臣として残った >>452
ワイ古代専門だったから知らなかったわサンガツ >>450
広島や徳島は平家の落人がつくったと伝わる集落けっこうあるらしい >>453
秀吉も家康も秀忠もそうやがかなり名家コレクターやからな
嫡流や大名家として断絶しても家自体は存続してるパターンはかなり多いからな 個人的には百済王氏の子孫残ってるのが激アツ
百済王って氏の存在すら知られて無さそうだが >>449
本家は大友から入ってたな
大友義鑑の弟
傍流が存続してて江戸時代も存続して
明治期に南朝功臣の子孫として華族
天皇機関説の菊池武夫はこの系列や >>455
平家落人やと宮崎の椎葉村なんかは有名やな
椎葉姓と那須姓ばかりの村 岩松氏は新田の血を引いてるとはいえ足利の血も引いてるからか南北朝で足利側として戦ってたよな 滅亡じゃないけど改易された大名てどうなるんだ
安芸福島とか50万石あったのに 高山右近も大名家としては途絶えたが子供の系譜で石川福井大分でそれぞれ家残したからな 三好の末裔は広島在住だったはず
福島正則に匿われてそのまま広島に住んでるだったかな
地元新聞で答えてる画像を昔見た 荒木村重って1人だけ逃げた奴だっけ
あれ普通に一族の立場になってみたら怖すぎるよな
荒木説得しに行った部下2人が連れて帰るの無理だと悟ってそのまま逃亡したのも気持ち考えるときつい >>463
普通に交代寄合の大身旗本として存続したで >>467
旗本にはなれたんだ
でも家臣達はバラバラになったんだろな >>462
山名も新田系やけど足利方やったな
里見や大舘も新田系で最初は南朝方やったけど
宗家の衰退で北朝方に
大舘は奉公衆として義満側近にまでなった 細川氏の本流とか結構悲惨よな
肥後細川家はちょっと違うし >>468
再就職は割と上手くいった人が多いらしいのが救いかね 戦国の成り上がりは滅んでそのままが多いのがちょっと切ない 伊達はかなり東北の氏族乗っ取ってておもろい
筆頭は田村を筆頭に岩城とか三沢とか 赤松も将軍〇しすらやったのに江戸時代を迎える前に滅んだんやろ 信長の野望では1人っ子だが実際1人しか作らんかったんか >>472
やっぱり家としての知識やら見識の蓄積がないと生き残れないんやろな
突然変異が出て成り上がったとて >>7
堺に行こうとしたが途中の船で死んで遺体を海に捨てられた うちは佐竹家の家臣の末裔らしい。関東→秋田→青森。そこから農家 >>468
あー交代寄合ではないなすまん
最上家と混同してもうたわ
2000石の旗本として福島家は存続したで >>31
普通に毛利の手下になった義久の子孫じゃねえの? 武田の本家は穴山梅雪の子が継いだのも酷いのに続きもしなかったの悲しい 明治に苗字をつけろと言われた時
近所に〇〇氏がいたらみんな〇〇つまて苗字にしたからな
怪しいもんだね
代々、苗字じゃなくて氏が伝わってない家はアウトだな 意外と知られてないが室町最後の将軍は結構恵まれてて草 >>469
山名は足利義兼からの付き合いなのかな
新田本家と違って足利はもちろん山名も頼朝の御門葉だったよな >>463
改易された大名もそうだけど家臣達はどうなるん?
広島だとそのまま浅野に入れたんかな 給料は安くなるだろうけど >>475
傍流の幕臣が2家残ってる
片方は幕末に外国奉行やってて
片方は明治期に海軍中将なってるな あ、仕事で龍造寺家臣の百武さんの末裔だったって人に会ったことある。 >>483
んーそうでもない
本百姓は苗字持ってたからな
あと村や集落が一族だけってのも多かったしな >>487
血統的には伊達の家系で北条無関係なんだけどな 加藤清正の血筋は残ってない?
息子が改易されてどうなったっけ >479
青森は三成の息子とか小田原北条氏に滅ぼされた三浦半島の三浦氏とか小笠原とか工藤とか関東旧勢力オールスターズの苗字がいっぱいいる
三浦氏は滅ぼされたあと実際に青森まで行った伝説も神奈川にあるみたい
あと青森の苗字對馬(つしま)は元寇から逃げてきた対馬の人達らしい >>493
出羽の大庄屋の一つ加藤家として存続したで >>492
伊達のほうが格上だからしょうがないじゃ >>495
義政の乳母の今参局が大舘氏らしい
大舘教氏の娘
義教の諱受けてるんだな >>489
軍人の百武兄弟ってその百武の分家なんだ
今知ったわ >>498
東北の方で庄屋として残ってはいたのか
旗本とかにはなれんかったんだな >>403
高台院の兄ちゃんの息子の木下延俊は大分の日出藩を興してるやな
なお隣の杵築藩は松平 >>502
だって扶持料として一万石貰ってたんだぜ加藤家
大名復帰するより大庄屋やる方がええからな
しかも扶持料貰ったのは米どころの出羽やし
出羽には大庄屋多いからな 古代氏族がその後どうなったのか気になってる
土師氏の末裔が菅原氏大江氏
東漢氏の末裔が坂上氏 >>503
延俊の息子が勝頼の息子で生き延びた国松だって伝説あるよな >>505
大江の末裔は一応毛利氏
坂上の末裔は田村氏 >>495
ああwikiで調べなおしたら教氏の妹だ御今
娘は義政側室らしい
満信−持房−教氏−尚氏−晴光と
一族ずっと将軍の諱受けてるんだな へうげものだと国松どころかちゃっかり秀頼まで九州に落ち延びてた >>505
源氏平氏藤原氏の子孫が多すぎて不自然だし古代氏族の子孫が滅多に出てこないのも不自然だから自称源氏平氏藤原氏の中には古代氏族の子孫も結構いるって推定は行われてるね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています