滅亡した戦国大名や武将てその後どうなったんや
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>>493
出羽の大庄屋の一つ加藤家として存続したで >>492
伊達のほうが格上だからしょうがないじゃ >>495
義政の乳母の今参局が大舘氏らしい
大舘教氏の娘
義教の諱受けてるんだな >>489
軍人の百武兄弟ってその百武の分家なんだ
今知ったわ >>498
東北の方で庄屋として残ってはいたのか
旗本とかにはなれんかったんだな >>403
高台院の兄ちゃんの息子の木下延俊は大分の日出藩を興してるやな
なお隣の杵築藩は松平 >>502
だって扶持料として一万石貰ってたんだぜ加藤家
大名復帰するより大庄屋やる方がええからな
しかも扶持料貰ったのは米どころの出羽やし
出羽には大庄屋多いからな 古代氏族がその後どうなったのか気になってる
土師氏の末裔が菅原氏大江氏
東漢氏の末裔が坂上氏 >>503
延俊の息子が勝頼の息子で生き延びた国松だって伝説あるよな >>505
大江の末裔は一応毛利氏
坂上の末裔は田村氏 >>495
ああwikiで調べなおしたら教氏の妹だ御今
娘は義政側室らしい
満信−持房−教氏−尚氏−晴光と
一族ずっと将軍の諱受けてるんだな へうげものだと国松どころかちゃっかり秀頼まで九州に落ち延びてた >>505
源氏平氏藤原氏の子孫が多すぎて不自然だし古代氏族の子孫が滅多に出てこないのも不自然だから自称源氏平氏藤原氏の中には古代氏族の子孫も結構いるって推定は行われてるね 源平は対象者めちゃくちゃ多いからね
平家は4天皇から源氏は21天皇から出てる
花山天皇から出た白川伯王家以外はどれも源が元になってるし 工藤氏みたいに藤原南家の末裔称する武家多いのは驚いたわ >>507
日本人の大多数なんて氏ないんやから
大半が荘園や国人領主の開発した荘の地名や領主の苗字や氏を拝借(仮託し尚且つ苗字や屋号名乗っただけやし
まぁワイの苗字は奈良以前からある品部の一つの氏姓がそのまま使われてるものやけども
それもただそこに先祖が住んでたからやろしな
完全な末裔ではないやろからな
先祖の出身地をそこの領主の氏や苗字を借りて表すのも多かったしね >>505
菅原氏は高辻とか五条とか唐橋とか公家で残ってる
武士になった一族もいて
柳生がその子孫を自称してたな >>75
しかも馬鹿な作戦に巻き込まれて犬死にやろ 高家って養うだけでもめちゃくちゃ銭かかるのに家康の度量なのかただ保守的だっただけなのか
上杉景勝なんてうーん憲政金かかるしそろそろメンドいから斬首でw乙wぐらいの勢いじゃん >>508
坂上氏末裔が大名として生き残ってたのか
>>509
安達もそうだが外戚は強いなぁ
葛城氏蘇我氏藤原氏もそうか 男系存続も「男系で存続してる」ってことが箔になるから強調されるだけで実際のとこは結構怪しいやろな >>511
まぁ家格(官位官職にありつく為の資格)が重要やったからね
公的にも私的にもね
氏姓は血縁的一族でもあるが職能的集団という側面もあるからね >>512
嵯峨源氏とか兄弟クッソ多いしな
地方に下って土着武士とか多いだろうし
渡辺党とかその代表格やし
将門と戦った源護一族も一文字の名前からして嵯峨源氏やろしな 死んだ方がマシや!みたいな風潮マジでキツかったやろうな 平家の落人伝承が正確にせよ不正確にせよ昔は一族や家族みたいな考え方が今とは違ってたってことにも注意が必要やな
具体的にいうと郎党や使用人とかも家族の一員みたいに扱われることは多く、平家の落人も平家に従っていた郎党の末裔も込みの存在といわれてたりする 百武さんやら執行さんやら一万田さんやら吉弘さんやら龍造寺や大友遺臣の家は普通に残ってるな >>522
元々嵯峨天皇が子供整理するために作ったのが源氏だから当然っちゃ当然
1世王には源氏2世王には平氏的な使い分けが一応当初はされてた >>518
まぁ所領支配の為には名家であることは価値があるからね
所領貰うレベルの旗本ならばその家の歴史や家格ってのが所領統治にも有益やからね
あとはポケモン図鑑揃えるみたいなもんや 中学高校の同級に織田・柿崎・宇佐美・相馬・戸沢・小野寺・和賀の末裔おったわ
特に織田と柿崎が多かった 日本史って血筋や系譜辿ると大体大まかな流れわかる
これは今の政治家もそうかな
派閥や人の血筋追うとわかる >>526
数はおるのに
一世源氏は大臣出せたりするけど
二世くらいになると参議
三世くらいやと各省の卿や国司くらいになって
どんどん表舞台から消えていくんよね 同じ苗字だらけの村とかは結構あるんやけど当然全員が同族とは限らなくて、その苗字がその地域の住人であることを表していて実際の家系の区別には別の屋号とかが使われてるみたいなケースは多い
まあ現代人がイメージする苗字とは役割が違っていたって感じなんやろね
だから血縁がなくてもその地域の殿様と同じ苗字みたいなケースも >>529
そりゃー結局なんやかんや天皇家との血縁に繋がるようにできてるからな
総理大臣経験者で誰とも縁戚関係にないの村山富市と野田佳彦と小渕恵三と菅義偉ぐらいしかないからな >>524
平家の隠れ里系は
平家の荘園の荘官やってたような層が新たに開墾したものが多いやろからね >>511
やはり皇族もしくは貴族の血筋って在地の有力者には箔付けになるんだろうなぁ >>530
古代は五世までは王族として扱ってたけれどそれ以降は臣籍降下しろって律令に決まりあったからな
それでまかないきれなくなった分どんどん早まった
一世源氏はほとんど親王と変わらない待遇受けてたはずやで 清和源氏
初代 源経基 917年生まれ
2代目 源満仲 912年生まれ
親子というはずなのに最初から繋がりが怪しすぎる
ちなみに経基の生年を調整しようとすると今度は一世源氏なのに40代にもなって官位を与えられてなかったという不自然な展開になるので詰んでる模様 古代豪族100とか平安王朝と源平武士あたり買ってみるか 家康は立花宗茂仕官しに来た時はレアキャラ来たって感じやったやろなぁw
正式に制度化される前の書院番(家康の親衛隊)の番頭にすぐ起用したのをみれば
大名共に見せびらかしたかったんやろな
あの立花宗茂ゲットしたぜって >>519
あと足利の外戚といえば日野氏やな
藤原系公家の中でも平安時代に摂関出したような家ではないのに
足利家の縁戚で室町時代は存在感があった よくある間違い
今川氏真が高家に
正解
今川氏真は高家になれなかった
嫡男も
今川家が高家になれた理由は、吉良家の血筋をの娘を迎えた氏真の孫の代から
吉良家の推薦を受けて高家になれた
全部吉良家のお陰
氏真のお陰ではない >>534
土地支配の正当化になるからね
荘園の寄進が加速していくのは
王臣家や中央貴族の末裔が地方への土着がひと段落して新たに都から来るのもなくなっていくのとリンクしてるのはオモロいわね 一応経基親王は陽成源氏じゃないかと言われてる
陽成天皇があまりにもアレすぎたから清和源氏にしたと>>536 >>539
それで日野富子が出てくるのか
そういえば関東管領の上杉氏も外戚だったなぁ 島津に攻められたなんもパッとしなかった琉球王国の国王は現在もいるぞ
15代目あたりで血の流れは終わった臭いけど >>535
継げない王族は
奈良〜平安初期 謀反の疑いで処刑の可能性
平安中期〜 捨扶持的に官位貰える
室町〜 寺送り
みたいなイメージあるから
まあマシなほうっちゃマシなほうやな 衛府の七忍では秀頼生き残ってたな
琉球に逃げとる
なお「おんし大将の器じゃなか」 >>539
まぁ日野氏は浄土真宗との関係も深いから(親鸞は日野氏出身)で室町以前から地味に
浄土真宗との関係で公家の中でも特殊な位置を占めてたからね 臣籍降下というシステムが普及した背景には皇族には地位ばかり高い問題児が多かったからという面も 上杉も結局土着の長尾家になるのは
自然の流れだったんだろかな
と思ったけど太田氏は滅びたしまぁ運か 近代でも財部彪なんか閨閥の代表格だから血筋縁戚は最強 足利氏と関係が深い家系といえば上杉氏とかもやな
鎌倉末期に北条氏の母を持つ足利高義が早世してしまってその弟であり上杉氏の母を持つ足利尊氏が後を継いだことなどから存在感を増していった 文室浄三天皇にする話が出るぐらいには結構当初はガバかった
一世源氏は若干今の宮家的な機能が期待されてた節はある
結局源氏から即位したの宇多天皇だけだけど >>550
扇谷上杉の傍流がコ川に旗本として使えて加増重ねて
加賀爪家として大名に復帰してたり
ちなみに次代で改易された >>554
改易されるんかーい
山内、扇谷、越後の三上杉は命運バラバラやな 野見宿禰→土師氏→大江朝臣→毛利氏
→菅原朝臣→?→前田氏
→秋篠朝臣→? >>553
醍醐天皇も源氏として生きてた時期あったはずや >>557
せやな宇多天皇が源定省時代にできた子供だったな
忘れてたわサンガツ >>555
加賀爪政尚 今川家臣からコ川家臣 慶長地震の伏見城倒壊で死亡
加賀爪忠澄 江戸町内の消火活動中に死亡
加賀爪直澄 乱暴旗本として有名だが家光の小姓だったので大名に
加賀爪直清 養子、養父の隠居で相続する予定が知行に関する書類不備で改易
波乱万丈な一族 まぁワイらの先祖の大半は貴賤の差はあれども農地経営者や農民の子孫やからな
大雑把にいえばみんな農家や 醍醐天皇と菅原氏と室町時代で思い出したがなんか日本の流罪も個々の事例ごとに大幅に事情が変わってきてる印象あるな
源頼朝の例だと側近の帯同も許してもらえてギリギリ貴族の体面を保てて北条政子と結ばれるくらいだったり
藤原隆家は配流地に行かずに途中にとどまってなあなあで済ませたりしてたり(名目上は左遷)
逆に室町時代には送る途中で殺す実質的死罪として機能してるケースも多かったり
んで菅原道真は名目上は左遷だけど送られたその年に死んでるくらいだし無給だったし実質的に餓死させられたんやろな >>561
江戸時代改易された大名も他家預かりになること多いけど
送られた先によって扱いがかなりちゃうみたいやな
旧交あるところとそうでないところで 歴史好きの間では氏(本姓)と苗字の違いも有名やけど昔から役割が重複してる部分があったり苗字自体も現代人がイメージする苗字とは違う要素があったりするから一般的に混乱があるのも頷けると思う
苗字が代々受け継がれるようになったのも後のことで、平安時代とか鎌倉時代とかだと親子で苗字が違うとか時に本姓で、時に苗字で呼ばれてる人物がいたりとか、
和田義盛が三浦氏の長者と見なされてたケースもあったりとか現代的なイメージの苗字とはどうしてもズレがあるんだよな 伊達家乗っ取りを企んだと言われている伊達兵部は土佐に飛ばされて数年後に亡くなった
宇和島藩といい後先考えずに子供作りすぎるのも考えものやな政宗 >>562
いいとこだと隠居した客人みたいに扱ってもらえるけど扱いが悪いとこだと実質的に幽閉されて筆すらロクに差し入れてもらえないってこともあったみたいやね
幕府との関係とか送り先との関係とかいろんな要因が絡むみたいだが >>455
四国行くと山の中に集落いっぱいあるわ
四国民曰く平家の落人の末裔らしい >>561
道真公も左遷させられたらビックリしただろうな
そら祟るわ 討ち入りした赤穂浪士も預かり先によってかなり待遇の差があったというし 白川郷とか五箇山にも平家の落人伝説とかあったな
木曽義仲関連かな
そういえば白川郷の近くの内ヶ島氏は地震で滅んでたな >>569
いくら古代の59歳とはいえ政治家として活躍してた貴族が左遷後1年で死亡って不自然やからな
ただ菅原道真の神格化は道真を左遷した系統を抑えて自分の家系を反映させたい、っていう藤原氏内の勢力争いの産物って側面もあったみたいやな
判官贔屓が北条氏による間接的な源氏将軍批判のために普及した面があるのと共通 大宰府とか古くから発展していた大都市で平城京よりも古い中国モデルの都市なのに日本史での扱い微妙に軽い気がする
奈良時代や平安時代の九州にも大都市があったって結構ロマンあると思うんやけどな
時代が下ると九州や中国に勢力を広げた戦国武将にとってもあのあたりは重要な交易地になってくるし
そしてそういえば大宰権帥任命って流罪代わりに使われまくる印象やなって思ったら当時の人々もそんなイメージだったらしく、
本物の大宰府長官が体面を気にして「大宰権帥じゃなくて大宰帥にしてくれ」って言って認められたケースとかもあってちょっと草 >>561
菅原道真は太宰府左遷、その年に死んでるんか それだと京都復帰を太宰府近くの竈門神社にお参りしたりはできなかったか >>574
すまん再確認したら2年後やった
まあ901年1月に左遷されて903年3月に死去だし無給で従者の帯同も禁止だったみたいやからどのみちろくでもない死に方させられてたのは間違いないが >>575
隣のキー押してしまった
903年2月やった >>561
一応流罪と左遷はちゃうで
それに時代関係なくケースバイケースやしな
道真や隆家は官職与えて左遷やけども流罪ではない
頼朝に関しては
武家の棟梁である武家源氏の河内源氏の嫡流で若いとはいえ五位の貴族でもあり
後白河天皇准母統子内親王が院号宣下を受けて上西門院になるとその蔵人になり
尚且つ二条天皇の蔵人でもあったからな
義朝が院近臣として出世したのを鑑みても頼朝の出世はかなり優遇されてるからな
何かしら人気あったのか期待されてたんやろね
あと間違いなく女性人気あったやろね
それに源平は平治の乱であーなったが歴史的にみれば仲も悪くなかったしな
そりゃ東国の開発領主の田舎娘政子から見たら
いくら流人とはいえ若くしてこんな華々しい経歴の都のシティーボーイならメロメロになるし
東国の武士もまぁ最終的に御輿担ぐわなと >>566
一族が弱くなりすぎると
外戚や家臣に専横されるし
一族が強すぎると
その中で跡目争い起きるからな
中華王朝なんかもそうやけど >>577
もちろん名目上はそうやけど名目上は左遷でも実質的に流罪ってケースも多くて意識的にも実質流罪として扱われてたりするからな
藤原伊周や藤原隆家の扱いは少なくとも菅原道真よりはマシだったと思われるが与えられた「大宰権帥」「出雲権守」は明らかに名目的地位やからな
まあ線引きが難しいってのはわかる >>580
一族を警戒しすぎたのが魏で優遇しすぎたのが晋やな
魏は滅びそうになっても皇帝を救う義理も力もなかった
晋は一族が好き勝手していつの間にか自称皇帝が乱立 >>575
太宰府政庁には出仕しなかったが普通に地元の郡司層らとは交流(歌会など)あったから生活はそこまで酷くはなかったみたいよ
>>573
中央で政治バリバリやってた人には苦痛やったろうね
しかも仕事ないのに行けやからな
趣味に生きられなかったから辛かったろうね
太宰府は特殊な立ち位置やからな
筑前国にあるけども筑前国司はいる
主に軍事と外交が仕事だが九州の内政もみるとかいう(時代によっても変わるけども)
まぁやはり一番大きいのは兵馬の動員管理と外交だわね
内政やりたい人向きではないわね 伊周は一応帰京できてから准大臣の扱いになったし
道真や源高明よりは扱い良かったな カバヤ食品の一族ってなんか名家の血を引いとるん?
琉球尚氏の聞得大君を嫁に迎えたり
上皇のお姉さんの養子になったり凄いんやけど >>581
だから流罪と左遷には明確な差があるの
それを結果が同じだからってごっちゃにしたらあかんよ
流罪だろうがケースバイケースで頼朝みたいにかなり優遇されてたもんもあるからね
それに頼朝は流罪だから官位官職を一度剥奪されている
道真や隆家は流罪ではないから官位官職は剥奪されてはいない
ここは大きなポイントよ
皇族に関しては流罪でも品の剥奪は基本なかった 歴史の時間で中世を学んだワイ
「お公家さんは一条二条三条の順で偉いんちゃうの?
なんで九条とか言う雑魚がブイブイ言ってんねん」 >>586
だから>>561でも「名目上は左遷」って書いてあるやろ
日本史的にも菅原道真が流されたって説明され得るように結果として流罪代わりに機能してたって話や >>587
近衛もおるやでー
いわゆる摂関家も良く解らんな
万里小路とか読むことすら() >>589
野望とかだと大名扱いやけど
正確には公家やで
やから中村城やなくて中村御所 ノリで正親町三条を苗字にしたけど長すぎて使い勝手悪すぎって実感して明治時代に改名した人もいたみたいやね うちも戦国時代に没落して農民に戻ったけど
名字はそのまま受け継いどるのでそんなもんやろ >>589
すごいことやからな
応仁の乱の一年後には自分とこの荘園経営に一族(土佐一条氏)送り込んで成功したからな
土佐一条氏は公家というか公卿のくせにバイタリティあるわホンマ
北畠家のように南北朝から室町に国司兼ねた大名で力蓄えたのとはまた別やからな >>594
信長の野望やると北畠弱小で悲しい😭
くっそ名門なのに 歴史詳しく知らんけど実家の近所に大正初期頃まで浅井長政の側室の子孫が住んでたらしくて駅に子孫が建てた銅像あったなあ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています