滅亡した戦国大名や武将てその後どうなったんや
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>>455
四国行くと山の中に集落いっぱいあるわ
四国民曰く平家の落人の末裔らしい >>561
道真公も左遷させられたらビックリしただろうな
そら祟るわ 討ち入りした赤穂浪士も預かり先によってかなり待遇の差があったというし 白川郷とか五箇山にも平家の落人伝説とかあったな
木曽義仲関連かな
そういえば白川郷の近くの内ヶ島氏は地震で滅んでたな >>569
いくら古代の59歳とはいえ政治家として活躍してた貴族が左遷後1年で死亡って不自然やからな
ただ菅原道真の神格化は道真を左遷した系統を抑えて自分の家系を反映させたい、っていう藤原氏内の勢力争いの産物って側面もあったみたいやな
判官贔屓が北条氏による間接的な源氏将軍批判のために普及した面があるのと共通 大宰府とか古くから発展していた大都市で平城京よりも古い中国モデルの都市なのに日本史での扱い微妙に軽い気がする
奈良時代や平安時代の九州にも大都市があったって結構ロマンあると思うんやけどな
時代が下ると九州や中国に勢力を広げた戦国武将にとってもあのあたりは重要な交易地になってくるし
そしてそういえば大宰権帥任命って流罪代わりに使われまくる印象やなって思ったら当時の人々もそんなイメージだったらしく、
本物の大宰府長官が体面を気にして「大宰権帥じゃなくて大宰帥にしてくれ」って言って認められたケースとかもあってちょっと草 >>561
菅原道真は太宰府左遷、その年に死んでるんか それだと京都復帰を太宰府近くの竈門神社にお参りしたりはできなかったか >>574
すまん再確認したら2年後やった
まあ901年1月に左遷されて903年3月に死去だし無給で従者の帯同も禁止だったみたいやからどのみちろくでもない死に方させられてたのは間違いないが >>575
隣のキー押してしまった
903年2月やった >>561
一応流罪と左遷はちゃうで
それに時代関係なくケースバイケースやしな
道真や隆家は官職与えて左遷やけども流罪ではない
頼朝に関しては
武家の棟梁である武家源氏の河内源氏の嫡流で若いとはいえ五位の貴族でもあり
後白河天皇准母統子内親王が院号宣下を受けて上西門院になるとその蔵人になり
尚且つ二条天皇の蔵人でもあったからな
義朝が院近臣として出世したのを鑑みても頼朝の出世はかなり優遇されてるからな
何かしら人気あったのか期待されてたんやろね
あと間違いなく女性人気あったやろね
それに源平は平治の乱であーなったが歴史的にみれば仲も悪くなかったしな
そりゃ東国の開発領主の田舎娘政子から見たら
いくら流人とはいえ若くしてこんな華々しい経歴の都のシティーボーイならメロメロになるし
東国の武士もまぁ最終的に御輿担ぐわなと >>566
一族が弱くなりすぎると
外戚や家臣に専横されるし
一族が強すぎると
その中で跡目争い起きるからな
中華王朝なんかもそうやけど >>577
もちろん名目上はそうやけど名目上は左遷でも実質的に流罪ってケースも多くて意識的にも実質流罪として扱われてたりするからな
藤原伊周や藤原隆家の扱いは少なくとも菅原道真よりはマシだったと思われるが与えられた「大宰権帥」「出雲権守」は明らかに名目的地位やからな
まあ線引きが難しいってのはわかる >>580
一族を警戒しすぎたのが魏で優遇しすぎたのが晋やな
魏は滅びそうになっても皇帝を救う義理も力もなかった
晋は一族が好き勝手していつの間にか自称皇帝が乱立 >>575
太宰府政庁には出仕しなかったが普通に地元の郡司層らとは交流(歌会など)あったから生活はそこまで酷くはなかったみたいよ
>>573
中央で政治バリバリやってた人には苦痛やったろうね
しかも仕事ないのに行けやからな
趣味に生きられなかったから辛かったろうね
太宰府は特殊な立ち位置やからな
筑前国にあるけども筑前国司はいる
主に軍事と外交が仕事だが九州の内政もみるとかいう(時代によっても変わるけども)
まぁやはり一番大きいのは兵馬の動員管理と外交だわね
内政やりたい人向きではないわね 伊周は一応帰京できてから准大臣の扱いになったし
道真や源高明よりは扱い良かったな カバヤ食品の一族ってなんか名家の血を引いとるん?
琉球尚氏の聞得大君を嫁に迎えたり
上皇のお姉さんの養子になったり凄いんやけど >>581
だから流罪と左遷には明確な差があるの
それを結果が同じだからってごっちゃにしたらあかんよ
流罪だろうがケースバイケースで頼朝みたいにかなり優遇されてたもんもあるからね
それに頼朝は流罪だから官位官職を一度剥奪されている
道真や隆家は流罪ではないから官位官職は剥奪されてはいない
ここは大きなポイントよ
皇族に関しては流罪でも品の剥奪は基本なかった 歴史の時間で中世を学んだワイ
「お公家さんは一条二条三条の順で偉いんちゃうの?
なんで九条とか言う雑魚がブイブイ言ってんねん」 >>586
だから>>561でも「名目上は左遷」って書いてあるやろ
日本史的にも菅原道真が流されたって説明され得るように結果として流罪代わりに機能してたって話や >>587
近衛もおるやでー
いわゆる摂関家も良く解らんな
万里小路とか読むことすら() >>589
野望とかだと大名扱いやけど
正確には公家やで
やから中村城やなくて中村御所 ノリで正親町三条を苗字にしたけど長すぎて使い勝手悪すぎって実感して明治時代に改名した人もいたみたいやね うちも戦国時代に没落して農民に戻ったけど
名字はそのまま受け継いどるのでそんなもんやろ >>589
すごいことやからな
応仁の乱の一年後には自分とこの荘園経営に一族(土佐一条氏)送り込んで成功したからな
土佐一条氏は公家というか公卿のくせにバイタリティあるわホンマ
北畠家のように南北朝から室町に国司兼ねた大名で力蓄えたのとはまた別やからな >>594
信長の野望やると北畠弱小で悲しい😭
くっそ名門なのに 歴史詳しく知らんけど実家の近所に大正初期頃まで浅井長政の側室の子孫が住んでたらしくて駅に子孫が建てた銅像あったなあ 秀吉子飼いの中村氏堀尾氏あたりや児小姓上がりの加藤氏福島氏石田氏とかが存続してるのが意味分からん
ガチモンの下級上がりで一切利用価値ないやん >>598
近世は戦国時代に活躍した家ってのが武家社会では一つのステータスになり得たからね
近世以前はやはり官位官職や幕府での役職につけるかどうかという家格が無視できなかったんやけども
良くも悪くも超時空天下人秀吉によって中世終わった結果もあるやろね
そういう意味からも歴史学者が近世を安土桃山から設定してるのは納得できるわね >>594
同時期の摂関家でも
九条家とか荘園経営のイザコザで
執事格の唐橋家と揉めて殺害事件起こしてるからなあ >>599
秀吉の関白就任の経緯おもしろいよなあ
近衛と二条の継承争いに上手く入り込んでいくの なんだかんだなんとか衆とか相談役みたいな感じで雇われて細々と生き残ったっての結構おるよな
足利義昭とかもなんだかんだ生き残ってるんやっけ 三条はおるけど超名門ではないので別にするけど4〜8条はいなかったの?
九条サマはホントに九条に住んでたの? はじっこだろ >>604
存在するのは
四条家:藤原氏魚名流嫡流
五条家:菅原氏(高辻家庶流)
六条家:村上源氏(久我氏庶流)
七条家:藤原氏(水無瀬氏庶流)
八条家:藤原氏(四条家庶流) 野心を持ってるようなのでなきゃ
地元の豪族を束ねるのに都合がいいし
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