江戸時代の農民「これ食ってみな、飛ぶぞ」
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>>106
保存も輸送も出来ないから近くで取れたもん食ってんだよ
田舎は食うや食わずの生活だったようだけど
江戸の街は結構食文化発展してたそうだよ >>114
ムスリムも外国ならセーフって考えのやつもいるから国の問題じゃないで こういうスレって絶対に当時を見ていきたかのように語る歴史に自信ニキ現れるよな 江戸に関しては近くに川も海もあるしな
魚くらいは取れる >>111
武士は清貧を尊ぶそうだから
そうしょっちゅう贅沢してたわけじゃないらしいけどね
むしろ金持ちの商人の方が毎日良いもの食ってたとか >>119
まあ大学で少し勉強してれば江戸時代くらいの近世の情報はかなり正確に知れるからな、まともに情報残ってない縄文とか語り始めたらヤバいやつだけど >>80
畜産してないんやから江戸の町人が気軽に食えるわけ無いやん >>30
道長の兄の道隆は
かなりの酒好きで糖尿なったみたいやな
当時の酒って濁り酒やろし >>111
料理人「熱々の料理できたで!チェックするのに10分待ってな」
毒味役AB「ほな毒味や!」
毒味役AB「30分経ったけどなんともないで!」
配膳人「ほな運ぶで。炭火で温め直すでー。長い廊下運ぶでー(10分経過)あ、ちょっとパサパサになったもうた」
毒味役C「次はワイが毒味や!」
毒味役C「30分経ったけどなんともないで!」
配膳人「ほな料理が崩れてないかチェックや(10分経過)将軍様のとこに長い廊下を運ぶでー(10分経過)」
毒味役DE「ワイらが最後の毒味や!」
毒味役DE「30分経ったけどなんともないで!将軍様OKや!」
こんなんやけどええか? >>117
そもそも当時なら目の前の江戸湾で魚獲って食ってたしな 江戸時代の庶民の生活レベルってエアプが思ってるより高いんやで >>125
筋肉付けるのに必要なのは実はたんぱく質ではなく炭水化物って最近筋トレ界隈で言われだしてるからな 幕末の朝廷は金なくて
孝明天皇の膳の魚すらマトモなもんじゃなかったから
京都守護職の松平容保が新鮮な魚を取り寄せて
それに天皇が感激したって話残ってるな >>134
配膳人A「ワイはここの角までや!次頼んだで!」
配膳人B「まかしとき!あの柱のところでCのやつに渡すで!」 >>134
料理自体やなくて箸とかに毒塗られてたどうするんや?
まさか同じ箸は使わんやろ >>1
京都でこういうの食べたら1人2000円くらい取られたんやが >>142
10人前作って毒味役がランダムで食って最後の一人前が将軍様のもんやから仮にやるなら1/10に賭けるしかないで >>128
食ってんだよなあ
まあ牛や豚じゃないだろうけど
鴨とかあとは兎とか狸とか
ちな生類哀れみの令はとくに犬食を禁止していて
これだけはまじめに守らせたそうだから
現代日本に犬食文化が無いのは生類哀れみの令のせい 胡椒と米を一緒に炊いた胡椒メシが流行ってたんだってな トンキンには庶民の味方どぜう汁があったんやでー!
ドジョウてwww >>145
生類憐れみの令は庶民の人権が軽視されて辻斬りが横行してたのをやめさせるための苦肉の策やで >>139
戦国時代はもっと悲惨で天皇は決まったメニューが出るんやけど、金がないから名目合わせのためだけに腐ったもんも出して「これは腐ってるから食ったらダメやで!」って張り紙貼ってあったらしいやん >>69
2日食わずは何かしでかして遣り手婆に折檻されてたんか? >>150
後奈良天皇の即位式が金なくて
北条や今川や大内から金出してもらって
即位10年後にやっと出来たレベルだしな
孝明天皇も援助前は腐った魚が出て
儀式的に箸をつけるフリやるだけだったらしい 玄米毎日食えるとかかなり恵まれた農民やん
日本人が米をほぼ皆常食できるようになったのは1970年代ぐらいやからな実際はさ >>149
孤児やホームレスの保護も目的だけど
なんで動物の保護とそいつらの保護を同じ法律でやるのかわかんねえんだよな >>149
そういう側面もあったけど
鳥を捕まえて食ったから死罪とか犬に噛まれたから反撃して犬殺して死罪とか蚊を叩き潰して改易遠島はやり過ぎやろ……
人を大事にしとるのかしないのかワカラン法やでほんま >>157
残りの9人前は毒味役の腹の中だからロス出てないで
1番美味いもん食えるのは最初の2人やけど 江戸時代の町人に関しては狩猟された肉を売る店があったようやで
農村の方が肉食禁忌は強いらしい >>160
外の情報が入ってこない方が宗教や文化に忠実な生き方になるのは古今東西変わらんね >>161
まあ狩猟肉と家畜の肉に関してはかなり意識の差はあったようやけど また市中引き回しは死出の旅ということで罪人には金が渡され、求めに応じて道中酒を買わせたり、煙草を買わせたりした。
しかし小石川の商家の前を通ったとき、路上の見物人の中に赤ん坊に授乳している婦人がおり「あの乳が飲みたい」と罪人が所望した。
検視役人は婦人に命じてその願いを叶えてやったが、それ以後この制度は行われなくなった。 >>162
葉物野菜が現代でこれだけ食べれるようになったのは近代化進んでインフラ普及してからやからね
これは割と世界的にみても同じ これ一日分だからな
朝に全部用意してあとは冷や飯食らう
おかずは保存のためにメチャクチャ塩辛い
塩分でひたすら米を食う病気一直線の食生活だ 米は殆ど年貢として上納だろ
高持の豪農なら米も食えたが、普通の農家や小作なんか粟や稗
飢饉の時にまず死ぬのが小作(水飲み百姓)や、田畑を持たない駄賃引き 落語とかでよくあるけど、腐っててもとりあえず食ってみよう精神で
食あたりで死ぬ奴いっぱいいただろうな >>170
下手すりゃ食って死ぬか食わないで死ぬかの2択やからな >>170
まぁ江戸は酷い男余りやったから
男の命の価値が軽い軽いwww
あれ?トンキンでも変わらんのか
のかーp p p >>169
年貢だけじゃなく貴重な換金作物やからな
食うより売るからな
ただ江戸期も末期になるとかなりの農村が米を稗や粟と合わせた雑穀米で常食食できるようにもなってたけどもね
(これは米以外の商品作物作るようになり換金作物が増えた為でもある)
ただ白米はやはりハレの日ぐらいしか食えなかったけどもな
水曜でギリ徳川慶喜見たことある人いる説の時に明治生まれのジジババの多くが
一番うまかった食い物で白米と答えてたのも白米食うのは一部の都市部だけやったことの証左の一つやしな 米が満足に食えるようになったの戦後やしな
品種改良のおかげで寒冷地でも育つように
戦前は朝鮮半島や台湾から本土に米や雑穀運んでた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています