紀元前225年、秦王政は、楚を征服したいと思い、対楚戦にどれだけの部隊が必要かを諮問した[2]。李信は、「20万」が必要だと語った[2]。一方で王翦は、「60万」が必要だと語った[2]。政は、王翦が耄碌(もうろく)したものと捉え、李信の案を採用して侵攻を命じた[2]。