>>720
・「豊臣秀吉は宣教師が奴隷貿易を行っている事に怒り彼らを追放した」という俗説は「上杉謙信女性説」など多くのトンデモ説を世に出した作家の八切止夫が発端
・秀吉のバテレン追放令はザル法で令後もフロイスはじめ多くの宣教師が日本に滞在し、朝鮮出兵に同行した宣教師もいる
・秀吉は南蛮貿易継続のため朝廷の勅令を無視して宣教師を聚楽第に招くなど、むしろバテレンにとって最大の庇護者であった
・サン・フェリペ号事件以降でもオルガンティーノは京都在住を続けて殉教した日本二十六聖人の遺品を受け取り、1598年に再来日したヴァリニャーノは秀吉本人と面会している
・こうした経緯から秀吉のバテレン追放令は本気ではなくキリスト教を嫌う朝廷へのアピール程度に過ぎなかったと推定される
・九州から日本人奴隷が海外に輸出されたことを示す史料は存在するが、それはキリスタン大名の大友氏ではなく逆に豊薩合戦で大友領に侵攻し捕虜を得た島津氏が売却したという記録である
・宗教としてのキリスト教禁教が本格化したのは江戸時代初期の慶長の禁教令(1612)が始まり