>>134
学者の言葉やね

弥助が刀・扶持・私宅を貰った云々の記述は信長公記原本ではなく、尊経閣文庫本の写本にだけある記載
信長公記の筆者は、太田牛一であり1613年に死去(太田牛一本人が書いた原本の別バージョンなら書き忘れだった可能性があるが)。
尊経閣文庫本は写本であり、牛一が死んでから100年以上後の1719年に太田弥左衛門一寛が写本した物で、弥助の上記の記述はこの写本に突然現れた記述であり、
写本した人物が創作加筆した可能性を金子拓教授らは指摘している。