半島に伝わる最古の正史「三国史記・新羅本紀」によれば、新羅の建国時の宰相(瓢公)は倭人(日本人)であり、始祖の朴赫居世についても倭人(日本人)説があること(瓢=ひさご・ひょうたん=朴=半島南部古語)、王家の一つ昔氏の第4代王昔脱解は倭種・倭人(日本人)であり、新羅の建国当初は倭種・倭人が王位や大輔を占めるほど多大な役割を演じたばかりか、<倭・倭コンビ>がいなかったら、その後36人の新羅王が輩出する金王室もありえなかった。さらに金王室36代王の姪と高麗の始祖王との間に生まれた子供の流れが8代目以降の高麗王を占め、倭種・脱解の血は伝統ある新羅から禅譲を受けた王朝である高麗王朝にも流れ込んでいる。

(2)遺伝子、出土する古墳や装飾品、人骨、日本・中国・朝鮮・高句麗等の各種記録から古代朝鮮半島、とくに半島南部は日本人種が住んでおり(古代朝鮮人の骨格や遺伝子は日本人と極めて近い)、現代の基準で言えば半島南部(全羅道・慶尚道)は日本人種のものであった。 例えば、
◎ 半島南部の先住民が倭人(日本人)(弥生人=百越系民族)であること
(半島南部考古学的遺物=九州北部遺物)
◎ 百済、新羅は日本の大和朝廷に対し従属(植民地)的地位にあったこと
◎ 大和朝廷(日本)による伽耶地域の支配(半島南部における多数の前方後円墳の存在)
 しかし、現在の日本人と韓国・朝鮮人とは遺伝子上にも大きく隔たりがあり、朝鮮民族はモンゴル・中国系に近いものとなっており、古代朝鮮時代で発掘される人骨からわかる遺伝子とは大きく変質しているが、これは北方民族の朝鮮半島への度重なる侵攻や支配により、交配が繰り返され、遺伝子が入れ替わってしまったわけで、特に、AD 660百済滅亡・AD 663白村江の敗戦・AD 668高句麗滅亡により,百済・高句麗の王族・貴族・庶民等の多くの難民を日本が受け入れたが、残った男性は唐・新羅軍に殺され、女性は犯されて北シナ人の唐と新羅の子孫を残している。
そして、倭種・脱解の血は伝統ある新羅から禅譲を受けた高麗王朝に引き継がれたが、モンゴル「元」に攻められてかなりの倭種・倭人(日本人)系男性が殺され、「征服者は女性同伴ではなく、単身でやってきて半島女性と交わり子孫を残した」わけで、現在の韓国・朝鮮人の主な人種形成はやはり13世紀あたりのようです。