慶安4年(1651)4月20日、3代将軍徳川家光が死去した。
その後を追って家光の家臣5名が殉死、さらにその家臣や家族が殉死した。

殉死とは、主君の死を追って家臣や家族らが自殺することで、とくに武士の世界では、戦死した主君に殉じ切腹するという追腹おいばらの風習があった。
江戸時代になってもこの風習は残り、将軍や藩主に対する殉死者が増加、その是非が論議されるようになった。