大谷の歴史的な第5打席は、11―3と大量リードした7回2死二、三塁だった。
ドジャース地元放送局のデービス実況が「一塁が空いています。(マーリンズの)シューメーカー監督がどうするのか見てみましょう」と振ると、申告敬遠を打診された同監督が「f××× that(××食らえだ)」と、放送禁止用語入りで吐き捨てる映像が抜かれた。

 同実況は、慌てることなく「監督は『ピー』と言っています。勝負するようですね」と、電波に乗せられない単語だったことをにおわせた。

 その直後、大谷は外角低め143キロのナックルカーブを流し打ち、メモリアル50号が左翼席に着弾。夢の『50―50』を実現させた。