>>172
警察官失職後は、運転免許も取り消されたため新聞配達や牛乳配達で生計を立てた。五人の子どもを抱えながらの生活は困窮し、長女は高校進学を諦め二俣町から離れた場所で就職しなければならなかった。
村八分や親族からは縁を切ると言われ、事件から10年後の1961年には不審火によって自宅が全焼する被害を受ける。火事の直前に当時小学3年生の次男が長靴をはいた男が家に入っていったのを目撃し警察に証言したところ、逆に次男が火をつけたものと見られ補導されそうになった。結局不審者に対する捜査は一切行われることなくコタツの不始末による失火と結論付けられたが、この火事によって山崎が集めていた事件資料の多くが失われた。
wiki見たけどその後もホンマ胸糞やな
袴田さん、無罪
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
199それでも動く名無し
2024/09/26(木) 14:51:20.94ID:i1yYjuGz0■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています