大島洋平(39歳、125打席 .198 0 5)「引退は全く考えていない。今年に関しては『代打は難しかった』」
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大島は単打マンのイメージあるけど
3球団競合堂上直倫と通算本塁打数が同じという 2億5000万円は高すぎる
1億5000万円でも高い 自分の馬鹿で幼稚な打撃理論に従わない奴を干してた
アホ立浪がいなくなって、また復活するだろw 自分の馬鹿で幼稚な打撃理論に従わない奴を干してた
アホ立浪がいなくなって、また復活するだろw 自分の馬鹿で幼稚な打撃理論に従わない奴を干してた
アホ立浪がいなくなって、また復活するだろw >>17
全盛期坂本の前に置いときゃ大レジェンドやったやろな 大島「おい、立浪!」
立浪「はいっ、ただいま!」
大島「焼きそば買ってこい」
立浪「はいっ、ただいま!」
〜
立浪「どうぞ、焼きそばにございます!」
大島「?」
大島「焼き鯖っていっただろ、このチンカスが!!!」
ボコ、ボコ、ケリケリ、ボコボコ
立浪「ァ”ァ”ァ”・・・・(死亡 大島「おい、立浪!」
立浪「はいっ、ただいま!」
大島「お前、なんでこんなに無能なんだよ」
立浪「はっ、でもいつも同じ爽やかな表情を崩さないという妙技は会得しております」
大島「何の役にもたってねーだろ、二年連続最下位が!!!!」
ボコ、ボコ、ケリケリ、ボコボコ
立浪「ァ”ァ”ァ”・・・・(死亡 オーナー室にて
立浪「え〜ん、オーナー、大島がいじめるよー(涙」
オーナー「それはそれは坊ちゃん、大島は酷いやつですな。契約で泣かせてやりますよ」
オーナー「中日スポーツか?明日の一面は、立浪、大島に泣かされる、でいけや」
翌日
立浪「ァ”ァ”ァ”・・・・(死亡 実家にて
立浪「パパー、みんながイジメるの、組の力でしめてやってよ〜(涙」
組長「お前を監督にするため、何十億使ったおもとんのや、この無能が!」
ボコ、ボコ、ケリケリ、ボコボコ
立浪「ァ”ァ”ァ”・・・・(死亡 夜の鶴舞公園にて
立浪「なんや、なんや、よってたかって俺をいじめやがって。俺は天才やぞ!」
野良犬「お、立浪やんけ。食ったろ」
ガブ、ガブ、ムシャムシャ、ガブガブ、ガガガ
立浪「ァ”ァ”ァ”・・・・(死亡 "あのマウンドがあったから──"
元中日ドラゴンズの近藤廉さん(41)には、生涯忘れられないマウンドがあるという。
「プロ3年目のDeNA(現X)戦、シーズン初の一軍マウンドでした。6点ビハインドの9回に登板、言ってみれば『敗戦処理』です」
敗戦処理を送り出すということは、ベンチが白旗を上げたということ。言うなれば多少の失点は許容範囲である。
しかし、このマウンドで凄惨な光景が繰り広げられた。
結果を言えば、この日の近藤さんの登板内容は被安打8、与四死球5、失点10、球数はなんと62。
「とにかくイニングが終わらない。たった3つのアウトが遠い。5点目を失った時くらいかな。ベンチの立浪監督に視線を向けて『もう無理です』って訴えかけたんだけどね。目を合わせてくれないの(笑)」
ベンチに"見殺し"にされた近藤さんの胸中には、自分への不甲斐なさと同時に監督への怒りもあったという。
「なんで助けてくれないんだよっていう。普通、3年目の若手が晒し者になってたら替えるでしょ。『どうしてこんな仕打ちをするんだ』っていう思いが強かったですね」
立浪監督への不信も影響したのか、近藤さんの成績はこの後も奮わず、"見殺し"から3年後に戦力外通告を受け引退。
プロ野球選手という肩書きを失ってからは周囲の人々も離れ、職も仲間も失ったショックから酒に溺れる日々を過ごしたという。
しかし、皮肉にも彼を救ったのは立浪監督の存在だった。
「ある日、気付いたんですよね。『あ、これあの日のマウンドと同じだ』って。誰も手を差し伸べてはくれない。それでも、自分の力で立ち向かうしかない。あの日、どれだけ打たれてもアウトを3つ取れたんだから、今度もやれるはずだって」
奮起した近藤さんは、名古屋市内で味噌カツ屋をオープン。お腹をいっぱいに満たしてほしいというコンセプトから白米が食べ放題で、今では地元でも評判の店に成長した。
「立浪監督には、野球選手としてではなく人として大切なことを教えてもらいました。凶弾に倒れた時は本当にショックだったけど、今でも命日には墓前にお米を供えに行ってます」
近藤さんの表情は、あの日とは違う"戦う顔"をしていた。 CBCラジオ
9回ライデルがブルペン投球していたことについて
「ブルペン投球は自主的に、「俺に行かせろ」と言いコーチの制止を振り切り投球準備を始めた」
内乱ですねぇ 青いポル・ポト
我々は独自の球団を建設している。新しいドラゴンズを建設するのである
したがって反抗的な形をとる京田も笠原もいらない。阿部もいらない
たとえレギュラーであっても、球団の毒と思えば微笑んで殺せ
今所属しているのは新しい中日なのである。我々はこれより過去を切り捨てる
水を飲んではいけない。飲むのは弛んでいるからだ
米を食べてはいけない。食べたら動きが鈍くなるからだ。
笑ってはいけない。笑うのは戦う顔をしていないからだ。
タツ・ナミ 元中日ドラゴンズの細川成也さん(86)は、今でも忘れられないことがあるという。
「横浜から移籍して1年目の夏、調子を落として二軍落ちも囁かれていた頃、
当時の立浪監督から『米を食いすぎて動きが鈍っている』と指導を受けたんです。
なので米を口にせず過ごしてみたら調子が戻った。」
細川さんの復調を見て、立浪監督は野手全員に白米の摂取を禁止した。
当初は反感を買い、発端の細川さんも白い目で見られたという。
「僕がたまたま上手く行っただけで、まさか全体で禁止するなんて思わなかった。
当時は申し訳なく思いでいっぱいでした」
しかし引退後、他球団の選手が現役時代と変わらない高カロリーの生活を改められず健康を害する中、
細川さんら中日ドラゴンズの選手達は病気とは無縁だったという。
「生活の中で炭水化物を摂る習慣がなくなった。健康食に慣れたので体重も減り、細身になれました」
高齢となった今でも糖尿病を始めとする生活習慣病には罹らず、
健康診断の結果も良好なままだ。
これも若い時から炭水化物の摂取を制限していたおかげと細川さんは振り返る。
立浪監督は程なくして凶弾に倒れたが、今でも感謝の念は薄れていない。 大島とビシエドを干したのは立浪の功績
これで次の監督は使わなくても許される ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています